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日銀を天空から見ると「円」の文字に見えるのは意識的設計か?

クイズ番組等でよく引き合いに出されるそうなのだが、日本銀行を上空、つまり鳥瞰のGoogle Earthの視点で見ると「円」の形に造られているという…。

更新日: 2012年02月07日

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この記事は私がまとめました

himanekoさん

facebookの仲間と賑わったこの話題に、日本銀行本館の設計者・辰野金吾は意識的に建築設計する際に「円」という形を設計したのか、はたまた偶然の産物なのか?活字、文字文化に詳しい方々の知見の協力もあり「意識的に設計された」とする見解に落ち着いた経過のまとめ!

「円」という文字に見えます!
Google Mapではこちらを参照。
http://g.co/maps/bvxjn

ま、最初は「へぇ~」というトリビア画像投稿で「知ってた」「初めて知った」で賑わっておりました…。意識して「円」という造形にしていたのかなぁ~、という素朴な書き込みに、「1891年着工なので、当時の円は旧書体だったので、偶然の産物らしい。」という書き込みが…。

確かに「円」は昭和21年(1946年)11月16日には国語審議会が常用漢字表を作成し、旧字体「圓」は新字体では「円」と表記されるようになった、という最近の出来事が。この後わかったのは旧字体ではなく、正字体であったわけですが…。

上のURLのPDFをみる限りでも「圓」の字体からの、くずし字が掲載されており、1885年の日銀用地取得から1896年に竣工されるまでに「円」という字体が世の中に登場していないのかな?という錯覚を持っておりました。

ところが、元印刷技術協会の方の書き込みで「しかし、円は俗字としては古くからあったはずなので、意識していた可能性はあると思う。」という情報が!

その方の調べで、以下のようなディープなサイトの研究が紹介されました。

【円】「円」の字体は中国では使用例が見えない。日本では空海の「三十帖策子」に使用例があり、その後ずっと使われ続けている。「円」は「圓」の「員」を縦線に略してできた字体だと思われる。弘道軒に「圓」の字体が見えない。「圓」は楷書では「員」の「口」を「厶」または「△」に書く。これは四角の連続を避けて変化をつける意識が働いているのかもしれない。「囗」を点2つに略すのは鎌倉時代以降か。

との研究記述が!

左ページで赤で囲んだ箇所は空海の「三十帖策子」での使用例。そして通用体活字(1908年・明治41年~1914年・大正3年)の漢字要覧では「円」の字形が、大正8年の漢字整理案の中でも「円」として記されています!

画像をクリックすると拡大表示されますのでチェック!

時系列で整理してみます。

1871年、明治政府は貨幣の基本単位に円を用いることを決定した。※1
1885年、日銀用地取得 ※2
1888年~設計者・辰野金吾欧米視察 ※2
1890年、辰野金吾、建築工事監督に就任 ※2
1896年、竣工 ※2
1946年、(昭和21年)11月16日に国語審議会が常用漢字表を作成し、
     正字体「圓」は新字体では「円」と表記されることとなり…。※3

さて、ここまでやってきて…。

大熊肇さんという文字の変遷に関する市井の研究家の労作によって、どうも「当時使われていた円の漢字は旧字体だった」という「旧字体」という言葉に惑わされていた事に気付きます。日本の文字の歴史、変遷では、あの空海の時代から「円」を手書き文字としては書いてきた歴史があり、「圓」は日本における「円」の正字体※3とウィキペディアでの記述があります。

では、正字体とは何でしょうか?

ウィキペディアによれば、活字を作成する際に、参考とした標準字形は中国の清朝に編纂された『康煕字典』に採用された字体を「正字」と呼んでいるようです。つまり、日本の日常的な現実では「円」と書くのが一般的でそれらは「俗字」と呼ばれていました。

俗字としての「円」…

ということであれば、日本銀行本館の設計者であった辰野金吾氏は1871年に明治政府が貨幣の基本単位に「円」を用いることを決定し17年後に欧米視察に出て、西欧建築様式を学び、日本国家としては初めての日本人建築家が設計を手がけた最初の建物を設計構想するにあたり、貨幣単位を「円」と定めた「円」の大本営を作るに「円」という造形を意識しなかったとはいえない。というように思う。(確証としての資料は検索で調べるレベルではありませんでした)

金座に円を描く…

1854年に生まれた辰野金吾が17歳の時の1871年に明治政府が貨幣の基本単位に円を用いることを決定し、その17年後に欧米視察に出て、1889年~90年に設計を行った。江戸時代には金貨幣の鋳造所(金座)が置かれていた。そのお金にまつわる縁深いその土地の土台を築く時に、大きく大地に「円」の形を描いたとしても荒唐無稽ではないように思われます。往々にして設計者というものは、見えない所に魂を注ぐものだと思われるからです。

というように、はからずも日本銀行のGoogle Earth的視点からのトリビアは、日本の文字の変遷の歴史、金座が円座としての日銀本店になったという歴史性を知る、面白くも楽しい旅となりました。これもソーシャルメディアによる、他の方の貴重な意見から導かれた仮説的結論ではありますが…。

結論、空から見て「円」の文字に見えるように意識的に設計した!

という結論にしたい、と思います。「円」という文字が矩形を基本にしていますから、建築設計的にはよく使われる構成だったとしても金座だった場所に建築設計をする。貨幣単位としては「円」を導入した。俗字で「円」と書く習わしがあった時代に「円」という字形を意識的にせよ、無意識的にせよ「円」の大本営という意識はあったのだと考える方が自然な気がいたします。
旧字体という表現と、新字体と表現に惑わされて、一瞬、偶然の造形か?と思いましたが「円」という文字の姿を織り込んだ建築造形であったと思われます。
だって、目に浮かびませんか、設計図を提示する時に「かつて金座のあった、この地に我が国の貨幣単位である「円」の形を持って建築建立し、もって国家の経済繁栄の礎としたい!」的なプレゼントークがあり、その造形はわかりやすいので、みな「なるほど!」となり完成してから、実感されるバロック様式の方は、逆に仕上がってみないと想像できません。(素人には)
であるとすると、基礎の区画割り段階で「円」と造形してみせたのは、説得、納得手順として極めて誰もが首肯するであろう造形上の構成を意識した、とデザインなどを依頼主に説明した経験のある方なら想像がつくかと…。天空から「円」という意識よりは、土台として大地に「円」の字の基礎を築いて、その上に建て上げる。という感覚の方が正しいような気がしました。

いずれにせよ、面白い建築造形設計をめぐる歴史的考察でありました。ww

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