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10分我慢すれば、新選組 池田屋事件がわかるまとめ

事件の舞台となった池田屋の見取り図を再現し、池田屋内で起こった出来事を時間の経過順に紹介します。

更新日: 2012年02月22日

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mosaic_nightさん

【まずは】写真で池田屋をイメージ

【寄り道】「そもそも新選組がよくわからんのです」な方のために

鎖国を続けていた江戸時代、ペリー率いる黒船が来航し、幕府に対し開国を要求します。

幕府は、彼らの武力を恐れ開国に応じることになります。
一方、そんな幕府の弱腰政策に批判が高まり、幕府を倒そうとするグループ(倒幕派)ができました。

幕府は、次第に勢力を増す倒幕派に対抗するため、新選組を結成させ、京都で取り締まりにあたらせました。

その取り締まりでもっとも有名なのがこの池田屋事件です。
旅館池田屋に倒幕の相談で集まっていた志士たちを襲い、多くの志士を斬ったり捕らえたりしました。

【本題】池田屋事件の時系列

永倉新八の著書、「新撰組顛末記」によると、近藤勇が先陣をきり「主人はおるか、ご用あらためであるぞ」と発した後、数人の隊士とともに池田屋に突入したとされています。

映画やテレビでは、近藤が白地に黒のだんだら模様の隊服をはおっている姿で描かれることが多々ありますが、これを裏付ける証拠はありません。

近藤勇とともに突入した隊士は誰か?
現在のところ、次の3つの説があります。

★永倉新八の4人説
「近藤勇、沖田総司、永倉新八、藤堂平助」

★近藤勇の5人説
「近藤勇、沖田総司、永倉新八、藤堂平助、近藤周平」

★子母澤寛の5人説
「近藤勇、沖田総司、永倉新八、藤堂平助、奥沢栄助」

不逞浪士の援軍や逃亡を防ぐため、三条通と裏庭の入り口が固められました。

しかしながら、裏口を出てすぐの所に長州藩邸があったことから、続々と不逞浪士がこの場所に逃げ込み修羅場になりました。

会合に遅れて来た客人だと思い込んでいた池田屋主人・惣兵衛は、鎖帷子に身を固めた隊士らを見て驚愕。

パニックになった主人は、とっさに裏階段を登り、二階で会合する客人に緊急事態を知らせようとしました。

主人の狼狽ぶりを見た近藤は、「この宿には何かある」と判断。
すぐさまその後を追って裏階段を登っていきました。

近藤勇は、永倉新八と藤堂平助を階下に待機させ、沖田総司とともに裏階段から2階に進入。
その場に居合わせた約20人の浪士たちを前に、
「御用改めである。手向かいいたすと容赦なく斬り捨てる」と大声を発しました。

浪士たちは、その大きな声に恐縮し一瞬にして緊迫した空気になりました。

新選組の突然の襲撃に驚いた浪士たちとの間に一瞬、緊張感が張りつめます。

そして一人の浪士が、その緊張感を破って沖田に斬りかかり戦端が開かれました。沖田はこの浪士を一刀で斬り捨てました。

戦闘が始まると、一部の浪士たちは、吹き抜けとなっている中庭へ2階から飛び降り、池田屋からの脱出を試みます。

2階で戦闘が開始されると直ちに灯りが消され、現場は闇に包まれたと想定されます。

また、池田屋の2階は構造上天井が低く、刀を振りかざして戦うことができませんでした。

さらに、敵はどんどん階下へと逃げて行くため、近藤は主戦場を1階に移すことを決断。沖田の腕に絶対の信頼をおいている近藤は、沖田一人に2階をまかせ階下に駆け下りていきました。

1階に移った近藤勇が主戦場としたのは、最も広い奥の部屋でした。

この時、近藤は、多くの敵に囲まれ何度も危うい場面があったとされています。

それでも近藤は、かん高い声で叫びながらものすごい気合いで敵を斬っていきました。

1階、土間の台所付近で戦った永倉は、藤堂とともに戸外へ逃げようとする敵を斬りました。
裏庭から表口へ逃げようとする敵を後ろから斬り、さらに便所に逃げ込もうとした敵は串刺しにします。

さらに、藤堂が額に傷を負ったときは、傷を負わせた敵を斬り捨てます。

藤堂平助は、1階の中庭付近で戦いました。
大奮闘を演じた藤堂の刀は、刃こぼれがひどかったといわれています。

そんな藤堂に不幸が襲います。
不覚にも敵刀を眉間に受けてしまいます。

永倉は藤堂に傷を負わせた敵を斬り捨てますが、藤堂の傷は深く、その出血は視界を妨げ戦闘に支障をきたすほど、まもなく戦線を離脱することになりました。

2階に残った沖田総司は5人の浪士を相手にしました。

まず一人が斬りかかってきましたが、あっさりとこの浪士を斬り倒します。

そして残りの4人にとりかかったとき、沖田は激しく咳き込み、喀血(かっけつ)、戦闘不能となりました。
しかし、既に戦意を失っていた浪士たちは、沖田の体に異変が生じると、チャンスとばかりにその場から逃げ去ってしまいました。

池田屋の裏庭を守備していた奥沢栄助、安藤早太郎、新田革左衛門の3人に災難が襲います。突然、2階が騒然となったかと思った瞬間、十数人の浪士が頭上から飛び降りてきたのでした。

「裏口をでれば、北へ300mのところに長州藩邸がある。裏庭さえ突破できれば助かる」

浪士達は必死に剣を振るいました。逆に急襲された形となった奥沢らは、浪士達の刀の前に次々と倒れてしまいました。

沖田総司が病に倒れ、藤堂平助が負傷で戦線離脱、永倉新八も左手に傷を負い、苦戦をしていたまさにその時、土方隊が到着します。新選組の隊士がドッと押し入り、孤軍奮闘していた近藤らに加勢します。

永倉の手記には、もう少し到着が遅れていれば近藤らは討ち死にしていたかもしれないと書いてあり、まさにぎりぎりのタイミングだったことがわかります。

その後、武田観柳斎、島田魁らの活躍でどんどん敵を斬り伏せていきました。

新選組によって制圧された池田屋内から重傷の藤堂、裏庭の奥沢・新田・安藤、そして2階に倒れる沖田が運び出されました。

討ち入り開始から約2時間後の午前零時までには屋内の捜査は完了。池田屋に残された遺体の中には宮部鼎蔵ら重要人物の姿もありました。

捜査が終わるころまでには、数百人にも及ぶ会津藩兵らが池田屋の周りを取り囲んでいましたが、池田屋内で起こった事件のすべては、わずか34人の新選組一手で行われたものでした。

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