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右翼の赤尾敏の記録。銀座の数奇屋橋の辻説法は伝説!

俺は赤尾敏を支持しているわけじゃない。しかし、昭和の生き証人は赤尾敏。

更新日: 2013年07月07日

akasenlunaさん

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赤尾敏の動画。87歳で岸信介を批判?おお、いたか、憂国の士!

赤尾敏の政権放送。愛国党は小さいけれどダイヤである!

「君は幾つだ? 29か、若いなあ。孔子は『三十にして立つ』と言ったんだ。君も自分のやりたいように大いにやりたまえ。回りに気兼ねすることなんかないんだ。どうせ、世の中クズばっかりなんだから。僕の30歳の頃? 迷っとったよ。女でね。若いときは誰でもみんなそうだよ」

40にして不惑!赤尾敏の名言であるな。

太平洋戦争開戦前から、反共産主義、反ソ連の立場から対アメリカ、対イギリス開戦に反対し、反戦演説会を開くなどした親英米派右翼である。北方領土問題については「南樺太・全千島列島が日本固有の領土である」と主張した。徹底した反共主義であるが、日本共産党の宮本顕治のことを「敵ながら天晴れ」と評価していた。

自身を「泡沫候補」扱いするマスコミに、一貫して異を唱え続けた。

作家の小田実は『朝まで生テレビ!』に出演したとき、赤尾について「私があちこちで演説すると、必ず孤独な演説者が一人いたよ。赤尾敏だ。おれも(横で)やっているわけ。どっちも聞いておらんよ、誰も。それはひとつ変なつきあいだった」と語っていた。

のっけから面くらった。
 「お前らマスコミはみんな、共産党のスパイだ!!」
 満90歳の老右翼は、かっと目をむきステッキを振り上げた。手渡そうとした私の名刺は、あわれにも昼休みどきの数寄屋橋の路上に放り捨てられた。
 
 そして、2月23日。言われた通りに銀座の数寄屋橋に出向いた私は、日課の街頭演説のために現われた赤尾敏に挨拶をしたところ、いきなり「共産党のスパイ」にされてしまったのである。

赤尾先生の言葉に次のようなものがある。

「愛国運動に挺身するためには、ちょっとした気紛れだけでは到底やりつづけられない。広い知識と修養が必要だ。例えば、いくら哀れに思う気持ちがあったって、知識がなければ医者は患者を助けることはでないだろう。医学を究めて初めて医者として患者を助けることができるのだ。国を助けるのも同じ事だ…」

 自分も全く足らず及ばずながら、国を憂い、愛国運動に身を投ずる思いは持っている。がしかし、半世紀以上に渡って終生、運動に身をおいて、絶やす事無く、憂国の叫びを続けられた赤尾先生だからこそ、この言葉は例えようもなく重い。

神田。

赤尾敏は右翼の大物だった人。

うちの母が東京にいたころ、よく街頭演説していたらしい。

生誕100年といえばショスタコーヴィチもそうだよね。

ここを有名にしたのが、右翼の神様的存在であった「日本愛国党の赤尾敏」である。週末は必ずここで街頭演説をぶった。黒地の赤い日の丸をつけた街宣者の上の、小柄な「総裁」を目にした人も多いに違いない。

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akasenlunaさん

『赤線与太話』という与太話ブログを運営。NAVERまとめは50万PVを超えたよ!

 エホバの証人が自宅に来て迷惑だね。

http://blog.akasen.net/

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