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当然、魔王ルーデルといえども病院送りになったのだが、見舞い客が訪れると珍しく泣いている。流石に片足になったら辛いのだろうと友人たちが慰めの言葉をかけると「もう二度と高飛びも出来ないしスキーもできないが、まだ一本残っているから脚の方はどうでもいい。しかしこの祖国の危機にイワンどもの戦車をしばらく撃破出来ないのが悔しい」という事だった。そして実際に六週間後、鋼鉄製義足を装着して復帰復活した。その後、入院していることになっていたルーデルは書類を偽造して出撃し、やっぱり相変わらずソ連戦車部隊に急降下爆撃を仕掛け続けたという。

ついにドイツが無条件降伏した事を知ったルーデルは、連合軍に降伏する事を決意する。しかしその途中、ソ連機に遭遇。「昨日と今日で、そう急に変わってたまるものか」と言って撃墜した。いや、あの、無条件降伏……

投降したルーデルは連合軍から様々な尋問を受けるのだが、最もしつこく質問されたのは彼の乗機にはどんなカスタムが施されていたかについてだった。ルーデルは高射砲に落とされた事はあっても戦闘機に撃墜された事は皆無だから、回避性能を増す為にさぞかし凄まじい改造をしたに違いないと想像する連合軍将校に、ルーデルは自信満々に「戦車の装甲をぶち抜けるよう、37mm機関砲を外付けしてもらった」と答えた。

もともと低性能なのに対戦車砲搭載でさらに鈍重化…そんなんでは敵戦闘機に狙われて生き延びられるわけが無いと指摘する連合軍将校。
「そんなに不思議なのかね? 私にはこれという秘訣は無かったのだが……」

終戦後は南米に脱出。独裁者と友人になったりしながら実業家として過ごし、28歳年下(結婚当時21歳)の嫁さんを貰った

また義足でありながらテニスや登山にも精を出す。アンデス山脈の最高峰の一つ、ユヤイヤコ(6,900m)にも挑むが、その際に友人であるノイベルトが滑落し、死亡。一旦下山して死体を捜索、発見したルーデルは、唖然とするガイドたちをよそに友人の亡骸を担いで再度山を登り始めた。で、数時間後に帰還しての第一声が「これからノイベルトはずっと、この山の頂で眠るんだ」……友人思いではあったらしい。

アルゼンチン空軍の設立にも協力。その教え子たちはルーデルの薫陶によりフォークランド紛争の際に大活躍。イギリス海軍の艦艇をガンガン沈めまくった。

アルゼンチン空軍の対艦攻撃は、イギリス人をして「主翼でマストのアンテナを切りそうな(低高度を飛んでくる)」と言わしめている。超音速ジェット機で、しかも地形追従レーダーも無い状態で、まともなパイロットならこんな低空飛行が出来る訳が無い!

そしてフェアチャイルド社に頼まれてA-10神の開発に尽力。

結果としてA-10は「速度は遅いがローコストで何発撃たれても落ちず戦車を一発で吹っ飛ばせる」代物になり、歩兵からは大絶賛! 湾岸戦争ではルーデルの技術思想が現代戦でも通用する事を証明した。誕生から30年近く経つにも関わらず、未だ現役。しかも2028年までの長期契約まで勝ち取ってしまった!現在も「戦闘ヘリより安く、戦闘機より対地攻撃が強い」A-10に代わる機体は存在しない。

ルーデルは『急降下爆撃』を始めとする自伝を執筆。「ローマ教会が脱出に手を貸してくれて助かった」だの「ナチスの戦争は正しかった」だのと空気を読まない発言を繰り返し、色々な人の肝を冷やさせた。

1982年死去。ルーデルの葬式の際、西ドイツ空軍機2機が(筋金入りのナチスシンパで知られる彼の為に)追悼飛行を行い、ナチス式の敬礼をする元軍人やら、元ナチス党員やら、ネオナチやらが参列し、戦時中の国歌やら軍歌やらが盛大に流され、またまた大問題に発展する。
「あれは単なる訓練飛行である。下で誰かが葬式をしていた? 知らんよ」

ただし、埋葬されたのは別人のスパイであり、ルーデル自身は未だ生存している――などという説がマジで存在する

語録(Wikipediaより)

「それにしても勘のにぶい軍用犬だ」
(1944年3月20日、撃墜されソ連軍から逃亡中、ソ連軍の軍用犬に対して)

「今、このまま帰国する気持ちにはなれない」
(1944年3月24日、満身創痍の状態にて帰還した際に)

「すべてが静かに、まるで死んだように見える」
(1944年3月27日、戦車26輌撃破後の偵察飛行中にて)

「ガーデルマンは肋骨を三本折っていた。休養などはとっていられない。すぐに出撃だ!」
(1944年11月、撃墜され自分も重傷を負った状態で帰還した際に)

「総統、もし私が飛行大隊と行動を共にするのが許されないのでしたら、
 私は受賞と昇進とを辞退申し上げたいと存じます」
(1945年1月1日、黄金柏葉剣付ダイヤモンド騎士鉄十字章の授章式でヒトラーに対して)

「イワンめ、また新型を造りおったか」
(1944年10月末、発見したソ連軍の新型戦車に対して)

「よし行こう。すぐ退院だ」
(1944年10月、入院先でソ連軍の侵攻を聞いて)

「ちょっと試験飛行をしただけです」
(1945年、無断出撃について問い詰めてくる上官に対して)

「ただ一つ大事なことは、この現在の危急存亡の時に際して、
 私が少なくとも数週間飛べないということだ」
(1945年2月9日、右脚を失った際に)

「昨日と今日で、そう急に変わってたまるものか」
(1945年5月7日、航空機でソ連軍包囲網を脱出中に襲ってきたソ連軍戦闘機に対して)

「ここはドイツだ。英語が話せたって、ドイツ語以外は喋ろうと思わない。
 どんな敬礼をしようと君らの知ったことではあるまい。
 我々はドイツ軍人としての敬礼法を教わり、それをそのままやっているだけの話だ。
 シュトゥーカ隊は空の戦いで敗れはせぬ。我々は囚人ではない。
 ドイツ兵は全ての戦闘に負けたものではなく、ただ物量の重圧に屈したからに過ぎない。
 我々がここに来たのも、ソ連地域にとどまるのを欲しなかったからだ。
 ま、そんなことはどうでもいい。身体を洗わせてもらいたい。それから何か食べ物が欲しい」
(1945年5月7日、降伏時にアメリカ軍将官と対面した際、英語を話せるかと通訳に問われたときの返答)

「真実を真実として告げるのが、なぜ典型的なのだろう。
 それが、どうして非難の口ぶりで語られねばならないのか」
(降伏時にアメリカ兵から典型的なナチ将校だと罵られてた時の返答)

「わたしには、これという秘訣はなかったのだが……」
(1945年、敗戦後に「何故あのような遅い機体(Ju87)であれだけ出撃(2500回)し、
 生き残ることが出来たのか?」と尋問をする英米軍将校に対して)

「操縦が恐ろしく難しい機体」
(Ju87G型について。事実、Ju87に37mm砲2門を搭載したことで
 飛行時の安定性は著しく低下しており、些細な操縦ミスでもバランスを崩し
 墜落する危険性があった。)

ネット上の声

ちょっと、僕はルーデル閣下の知名度を舐めてたかもしんない… 人生突き詰めるとギャグになるという事を証明した人ですからねぇ…

厨二を現実世界に体現した存在はシモ・ヘイヘとルーデル

いやぁルーデル閣下の功績はいつ読んでもとんでもない記録よ。ソ連軍から見てもドイツ軍から見ても鬼神の如き働きぶりであったろうに

ルーデルみたいなのが主人公の創作物はあまり面白くないのに実話だと面白い!不思議!

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