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【日本プロ野球】伝説的なバッターまとめ「助っ人外国人含む」

このまとめでは、日本プロ野球で活躍した伝説的なバッターを集めてみました。

更新日: 2015年09月20日

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現役生活は1954年から1980年の27年間にわたり、南海ホークス、ロッテオリオンズ、西武ライオンズでプレー、日本プロ野球で通算3000試合出場を記録している唯一の選手。

【主なタイトル】
三冠王:1回 (1965年)※戦後初。
首位打者:1回 (1965年)
本塁打王:9回 (1957年、1961年 - 1968年)
打点王:7回 (1962年 - 1967年、1972年)
最多安打(当時連盟表彰なし):1回 (1965年)

現役時代は広島東洋カープで長きに渡って活躍し「ミスター赤ヘル」の愛称で親しまれた選手です。大学を卒業後にプロに入った選手ですが、7度にわたる打点・本塁打のタイトルはいずれも30歳以降であり、通算本塁打の7割を30代以降で放つなど、典型的な大器晩成型の選手であった。

【主なタイトル】
首位打者:1回(1975年)
本塁打王:4回(1978年、1980年、1981年、1983年)
打点王:3回(1979年 - 1981年)
最多出塁数:3回(1979年、1980年、1983年)

公式戦通算本塁打数868本は、メジャーリーグのハンク・アーロンの755本、ニグロリーグ他のジョシュ・ギブソンの962本と並び証される本塁打記録。
【主なタイトル】・三冠王:2回 (1973年 - 1974年)・首位打者:5回 (1968年 - 1970年、1973年 - 1974年)・本塁打王:15回 (1962年 - 1974年、1976年 - 1977年)・打点王:13回 (1962年、1964年 - 1967年、1971年 - 1978年) ・最多出塁数:12回 (1967年 - 1978年)・ 最多安打(当時連盟表彰なし):3回 (1969年、1970年、1973年)・最多得点:15回

現役時代から“打撃の神様”と言われ、低く鋭い当たりを飛ばす打撃スタイルで、ライナー性の打球が多いラインドライブヒッターだった。以外にも彼は、1938年に東京巨人軍に投手として入団している。

【主なタイトル】
首位打者:5回(1939年、1941年、1951年、1953年、1955年)
本塁打王:2回(1940年、1948年)
打点王:3回(1939年、1941年、1955年)
最多安打:6回(1939年、1941年、1947年、1953年、1955年、1956年)

右投げ左打ちの打者としては日本プロ野球歴代最多の本塁打を放っており、連続出場イニング数の世界記録保持者。
ドラフト会議で広島東洋カープから斉藤肇の外れ4位指名を受け入団。入団後の2年間は芽が出なかったが、血のにじむ努力をし、同時期に共にクリーンナップを打つ事になる前田智徳や江藤智選手と広島を牽引。後にFAで阪神タイガースに移籍した後も4番として長い間活躍。

【主なタイトル】
打点王:1回(2004年)

現役通算2543安打、通算208本塁打を記録した確実性とパンチ力を兼ね備えた打撃、歴代1位の通算1065盗塁と通算115三塁打を記録した俊足、主に中堅手として足を生かした広い守備範囲を誇る外野守備で、長池徳二・山田久志・加藤秀司らと共に阪急黄金時代の主力として活躍した。

【主なタイトル】
盗塁王:13回 (1970年 - 1982年)
最多安打(当時連盟表彰なし):4回 (1973年、1974年、1977年、1978年)

日本プロ野球選手時代は近鉄バファローズの主砲として活躍。三振を全く恐れないパワフルな打撃で多くの伝説的な本塁打を放ち、ファンの注目を集めた。

【主なタイトル】
本塁打王:3回 (1989年、1993年、1994年)
打点王:1回 (1993年)

秋山幸二・清原和博と「AKD砲」を結成し西武の黄金時代を支えた。1991年まで2年連続打点王、1992年まで3年連続本塁打王とチームになくてはならぬ存在となった。

【主なタイトル】
本塁打王:3回 (1990年 - 1992年) ※外国人打者では唯一の3年連続タイトル奪取
打点王:2回 (1990年、1991年)

1983年に来日し、阪神に入団。、1年目から打率.288, 35本塁打、82打点と長打力を見せつけた。1985年には掛布雅之、岡田彰布と強力クリーンナップの一角を担った。

【主なタイトル】
三冠王:2回 (1985年、1986年)
首位打者:2回 (1985年、1986年)
本塁打王:2回 (1985年、1986年)
打点王:2回(1985年、1986年)
最高出塁率:2回(1985年、1986年)
最多勝利打点:1回 (1985年)
最多安打(当時連盟表彰なし):2回 (1985年、1986年)

『3代目ミスタータイガース』
現役時代は阪神タイガースの主砲として活躍し、1979年に移籍した西武ライオンズではチームの2年連続リーグ優勝・日本一に貢献した。飛距離の長さ、大きく美しい放物線を描くホームランの軌道から「ホームラン・アーチスト」と呼ばれていた。

【主なタイトル】
本塁打王:1回 (1975年)

落合の採用していた打法は、同じ神主打法を使用する他の選手と比べても独特で内角打ちは芸術の域とまで賞賛された。

【主なタイトル】
三冠王:3回 (1982年、1985年、1986年)※史上最多。
首位打者:5回 (1981年 - 1983年、1985年、1986年)
本塁打王:5回 (1982年、1985年、1986年、1990年、1991年)
打点王:5回 (1982年、1985年、1986年、1989年、1990年)
最多勝利打点:5回 (1982年、1985年、1988年、1989年、1993年)
最高出塁率:7回 (1982年、1985年 - 1988年、1990年、1991年)

『初代ミスター・タイガース』
日本プロ野球を代表する伝説の強打者であり、大阪タイガース(現:阪神タイガース)の黎明期を支え、戦前から1950年代までのプロ野球創成期を代表するスター選手。

【主なタイトル】首位打者:1回 (1950年)
本塁打王:3回 (1936年秋、1949年、1953年)
打点王:5回 (1944年、1947年 - 1949年、1953年)
最多安打(当時連盟表彰なし):2回 (1949年、1950年)

『戦火に消えた幻の名選手☆景浦は投げればエース、打てば4番の名選手』
草創期のプロ野球は阪神景浦、巨人沢村の2枚看板が人気を支えたと言ってよく、優勝も'36こそ沢村の奮闘で巨人が優勝しとはいえ、続く'37、'38と阪神が連破を飾っています。

【主なタイトル】
首位打者:1回 (1937年秋)
打点王:2回 (1937年春、1938年春)
最優秀防御率:1回 (1936年秋)
最高勝率:1回 (1936年秋)

同世代の強打者王貞治が「世界の王」なら張本は「アジアの張本」と呼ばれた。通算安打3085本(歴代1位)、通算打率3割1部9厘(歴代3位)、通算本塁打504本(歴代6位)、通算打点1676点(歴代4位)、首位打者7回。体型からとても俊足とは見えない選手でしたが、通算盗塁319個(歴代20位)と走打に優れた大選手です。

【主なタイトル】
首位打者:7回 (1961年、1967年 - 1970年、1972年、1974年)
最高出塁率:9回 (1962年、1964年、1967年 - 1970年、1972年 - 1974年) 最多安打:3回 (1970年、1972年、1976年)

豪快な打撃で数々の伝説を残した選手。1953年8月29日、対大映戦(平和台野球場)で林義一投手から放った打球はライナーでバックスクリーンを優々と越え、場外の福岡城址まで届いた。推定飛距離は160m以上で、プロ野球最長飛距離の本塁打だったそうです。

【主なタイトル】
首位打者:2回 (1955年、1958年)
本塁打王:5回 (1953年 - 1956年、1958年)
打点王:3回 (1953年、1956年 - 1957年)
最多安打(当時連盟表彰なし):2回 (1953年、1957年)

西武ライオンズの黄金時代を支えた名プレーヤー♪運動神経が抜群で脚力50メートル5秒台、遠投120メートル。そしてホームランを打った後にホームベース上でバック宙をして踏む姿にファンは熱狂した。

【主なタイトル】
本塁打王:1回 (1987年)
盗塁王:1回 (1990年)
最多勝利打点:2回 (1985年、1987年)

1965年、広島カープに入団。1968年から一塁手として一軍レギュラーに定着。1975年にはジョー・ルーツ監督により、三塁手にコンバートされる。この年、5番打者として4番の山本浩二と共にクリーンナップの一翼を担い、球団初のセ・リーグ制覇に大きく貢献した。愛称は「鉄人」

【主なタイトル】
打点王:1回 (1984年)
盗塁王:1回 (1976年)
最多安打(当時連盟表彰なし):1回

1983年のシーズンオフ時にFAとなってアメリカ・メジャーリーグのモントリオール・エクスポズから読売ジャイアンツへ移籍。入団1年目からいきなり35本塁打をマークするなど、日本でもレギュラーの一人としてチームを牽引した。1989年には打率3割7分8厘で首位打者、また4割4分9厘で最高出塁率のタイトルを獲得。

【主なタイトル】
首位打者:1回 (1989年)
最高出塁率:1回 (1989年)
最多勝利打点:2回 (1984年、1986年)
最多安打(当時連盟表彰なし):1回 (1989年)

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