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【世界史】勢力図で覚える中国歴代王朝まとめ

皇帝の中国史というのを読んで興味があったので調べました。

更新日: 2018年02月13日

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nosmokingさん

夏→殷→周→春秋戦国→秦→前漢→新→後漢→三国時代→普→五胡十六国時代→南北朝時代→隋→唐→五代十国→遼→北宋→南宋→元→明→清→中華民国→中華人民共和国

■夏(か)

中国最古とされる伝説の王朝。
近年見直しがされてきているが、まだ伝説上。

濃い部分が夏の領域。

■殷(いん)

は夏王朝を滅ぼして王朝を立てたとされ、考古学的に実在が確認されている最古の王朝である。最終的に紀元前11世紀に周に滅ぼされた。商(しょう)とも言われる。

■周(しゅう)

西周王朝、この時代、領土は点と点とを結んだもので面領域ではない。よって周王朝の勢力領域を確定するのは困難であるので領域は出来ない。

■春秋戦国(しゅんじゅうせんごくじだい)

戦国の七雄が活躍した時代もあわせて言う
韓(紀元前403年 - 紀元前230年)
趙(紀元前403年 - 紀元前228年)
魏(紀元前403年 - 紀元前225年)
楚(? - 紀元前223年)
燕(紀元前1100年ごろ - 紀元前222年)
斉(紀元前386年 - 紀元前221年)
秦(? - 紀元前206年)

■秦(しん)

紀元前241年には、趙、楚、魏、韓、燕の五カ国連合軍を撃退した。紀元前223年に秦最大の敵であった楚を滅亡させ、燕を滅ぼし、紀元前221年に斉を滅ぼし中国を統一し、政は自ら皇帝(初めての皇帝なので、始皇帝という)を名乗った。この皇帝の称号は、中国の伝説上の聖王である三皇五帝からとったものである。

■前漢(ぜんかん)

秦滅亡後の楚漢戦争(項羽との争い)に勝利した劉邦によって建てられ、長安を都とした。

7代武帝の時に全盛を迎え、その勢力は北は外蒙古・南はベトナム・東は朝鮮・西は敦煌まで及んだ

■新(しん)

前漢の外戚であった王莽が前漢最後の皇太子の孺子嬰より禅譲を受けて立てた。成帝の時、王莽は新都侯(新都は荊州南陽郡に在る)に封じられたことにより国号を新とした。

周の時代を理想とした政策を行なったが、その理想主義・復古主義的な政策は当時の実情に合っておらず、国内は混乱。また、匈奴や高句麗に対して高圧的な態度を取ったためにこれらの離反を招くなど、その統治は失敗に終わり、国内には不満をもつものが多くなった。

■後漢(ごかん)

漢王朝の皇族劉秀(光武帝)が、王莽に滅ぼされた漢を再興して立てた。都は洛陽(当時は雒陽と称した。ただし後漢最末期には長安・許昌へと遷都)。五代の後漢(こうかん)と紛らわしいので、中国では東漢と言う(この場合、長安に都した前漢を西漢という)。

■三国時代(さんごくじだい)

広義では黄巾の乱の蜂起(184年)による漢朝の動揺から、西晋による中国再統一(280年)までを指す。

229年までに魏(初代皇帝:曹丕)、蜀(蜀漢)(初代皇帝:劉備)、呉(初代皇帝:孫権)が成立、中国国内に3人の皇帝が同時に立った。三国時代については、陳寿が著した『三国志』、明代に書かれた『三国志演義』および、さらに後世の三国時代を扱った書物によって、広く知られている。

■晋(しん)

国号は単に晋だが、建康に遷都した後の政権(東晋)に対して西晋と呼ばれる。

■五胡十六国時代(ごこじゅうろっこくじだい)

304年の漢(前趙)の興起から、439年の北魏による華北統一までを指す。五胡十六国(ごこじゅうろっこく)は、当時、中国華北に分立興亡した民族・国家の総称である。実際の国の数は16を超える。

■南北朝時代(なんぼくちょうじだい)

中国史において、後漢末期の黄巾の乱からはじまり、隋が中国を再び統一するまで、中国に王朝が割拠していた時期を表す(184年-589年)。なお、長江中下流域(江南)における六朝時代がほぼこの時期と対応している。

439年から589年の隋による南北統一までを南北朝時代と呼ぶ。

■隋(ずい)

魏晋南北朝時代の混乱を鎮め、西晋が滅んだ後分裂していた中国をおよそ300年ぶりに再統一した。

しかし第2代煬帝の失政により滅亡し、その後は唐が中国を支配するようになる。

■唐(とう)

690年に唐王朝は廃されて武周王朝が建てられたが、705年に武則天が失脚して唐が復活したことにより、この時代も唐の歴史に含めて叙述することが通例である。

■五代十国時代:五代(ごだいじっこくじだい:ごだい)

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