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「神々の都市」テオティワカン衰退の謎!

テオティワカンーーー建物一つを見ても、そこに住んでいた人々がかなりの高度な建築技術を持っていたことが分かります。また、最盛期には20万人以上の人が暮らしていて、翡翠や黒曜石も出土しており豊かな生活を送っていた様ですが、7世紀頃に衰退していきました。わずか100年ほどの出来事だったそうです。

更新日: 2012年04月14日

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テオティワカンとは

テオティワカンは紀元前2世紀ごろ造られた都市で、350年~650年の最盛期は20万人を超える人々が住んでいたといわれています。副葬品やタルー・タブレロといわれる建築様式から、マヤとは交易を通じて交流があったとされています。7世紀末には衰退し廃墟となったこの都をアステカ族が見つけ、「神々の座所」という意味の「テオティワカン」と名づけました。

テオティワカンの概要

テオティワカンの遺跡は、その中央をほぼ南北四キロにわたって走る「死者の大通り」沿いに、「太陽のピラミッド」「月のピラミッド」「城塞」といった巨大なピラミッドや神殿群が無数に立ち並ぶ実に壮大なものである。
城塞は4キロ以上にわたる直線の「死者の大通り」のちょうど中間地点にあり、城塞の中の東の端にケツァルコアトルのピラミッドがある。太陽のピラミッドは「死者の大通り」を1キロほど北に上がった通りの東側に位置し、月のピラミッドは大通りの北の端に建っている。

ところが、「死者の大通り」は何故か真北から15度30分ほど東側に傾いている。これだけの巨大にして整然とした都市遺跡を造ったテオティワカン人が意味もなく都市の中心線を南北の軸からずらしたとは思えない。

この奇妙な方位については様々な説が出されているが、天文学的な意味合いをあげている専門家の意見が説得力があるように思われる。その中の代表的なものにジェラルド・ホーキンズ教授の「シリウス・プレアデス軸」説やスタンズベリー・ハガーの「天の川」説がある。

太陽のピラミッド

高さ65m、底辺の一辺の長さが225m、
頂上まで248段の階段を登るとの巨大なピラミッドの
平坦な頂上には、かつて神殿が立っていたと推定されている。

年に2回、太陽が天頂点に達した時、
ちょうどピラミッドの真上にくるように、
また、夕刻には真正面に沈んでいくように設計されているが、
これは、テオティワカン人の文明の高さとともに、
太陽崇拝の宗教観を示すようで興味深い事実である。

ピラミッドの内部には、さらに古いピラミッドが存在する。

月のピラミッド

月のピラミッドは、そのテオティワカンのメインルートである「死者の道」の北端にある、紀元350年頃に建造されたというピラミッドである。

高さ42m、底辺150×130mという大きさで、太陽のピラミッドに次いでテオティワカン第2の規模を誇る。 

実際の高さは太陽のピラミッドより低いが、少し隆起した土地に建っているため、頂上の高さはそれほど違いがない。
 
ピラミッドの前は、階段のある基段群に囲まれた広場になっており、その規模から察すると、宗教的に重要な行事のほとんどは、太陽のピラミッドではなくこの月のピラミッドで行われていたと推定される。

頂上へは階段が続いており、かつては神殿があったと思われるこの頂きからは、全長約4キロにおよぶ死者の道がまっすぐに延びる雄大な遺跡群全景が見て取れる。

ケツァルコアトル神殿

ティオティワカン遺跡の南端に位置する、ケツァルコアトルの神殿。

ケツァルコアトルは鳥+蛇、羽毛の生えた蛇をモチーフとした豊穣の神。
アステカなどで頻繁に登場する、最も人気のある神様の一つ。

神殿、というよりピラミッドの壁面には、ケツァルコアトルと
雨の神トラロック(こちらも非常に人気があったようだ)とが一面に据えられている。

当時は彩色が施されていたらしく、その他羽毛の生えた貝のモチーフなどと一緒に
壁面全体を埋め尽くしている様は圧巻。

そのピラミッドは6層に及ぶそうで、手前には別のピラミッドがある。

死者の大通り

メキシコで最も装厳な遺跡テオティワカンをほぼ南北に貫く、幅40m、全長4kmのメインストリート。

太陽のピラミッドが年2回、太陽が真上にくるように造られているため、それに合わせてこの道も北から東の方向へ15度30分だけ傾いている。

道は北端と南端では2、7mの落差がありゆるやかな坂道となっている。

「死者の道」とはアステカ族の命名によるものでアステカ族がこの地を訪れた際、通りの両側に並ぶ建物の跡を王の墳墓と見間違えたこと、更には道から多くの遺体が発見されたことに由来する。

最近、南北に走る死者の道に対して,ほぼ直角のに交わる東西の道があったことも判明された。

この南北、東西の道が、北は北斗星のアルファ星、東はシリウス、西はスバルの方向になっているという説もある。

死者の大通りは地震計測器?

「死者の大通り」も、大通りなのかどうか、諸説があります。一番興味深く、最近の大地震が頻発し、日本でも大地震の心配が蔓延する状況にあう説が、大通り自身が「地震計測器」という説です。ここは通りではなく、巨大なプールであり、貯めた水の動きで地震の規模、どこで発生するかなどを計測していた、というものです

太陽に捧げる生贄の儀式

テオティワカンのピラミッドは特定の人物の墓などではなく、神殿の台座として築かれたようだ。ピラミッドの上に築かれた神殿では宗教的な儀式がおこなわれていた。儀式では人間を首を切り落とし、流れ出る血を体に塗りながら、生贄を太陽に捧げてらしい。

月のピラミッドからは切り落とされた頭蓋骨が発掘されていた。また腕を後ろ手に縛られた、首のない胴体も見つかっているらしい。

生贄の儀式の背景には、太陽に対する畏怖の念のようなものがあったようだ。
当時の人々は、日蝕の時にパニックに陥り、太陽がもとの姿には戻らないのではないかと畏れた。また、西に沈んだ太陽が、もう昇ってこないのではないかという不安を抱えていた。

心臓や血は太陽に活力を与えると信じられていたため、生贄の儀式によって太陽の恵みを維持しようと考えていたようだ。そこには、自分にとって最も大切なものを、身を切って奉げるという意味が含まれている

テオティワカンの貿易

テオティワカンは、メソアメリカの広範囲の地方と交易を行っていたようだ。テオティワカンの居住地からは様々な地方で使われていた土器が地区ごとに固まって出土しているし、テオティワカンに特徴的な土器がグアテマラなどからも発見されている。

 また、グアテマラでしか採れないヒスイを用いた装飾品がテオティワカンから発見されているなど交易の中心となっていたようだ。

テオティワカンを発達させたひとつの原因が黒曜石だといわれている。宝石として、あるいは武器や調理用具として貴重だった黒曜石をよく産出するこの地をおさえることで、テオティワカンは莫大な富を集めることに成功したらしい。ところが7世紀、突如としてテオティワカンは姿を消す。

衰退の理由

これほどの隆盛を誇ったテオティワカンだが、7世紀ごろになると急速に衰退し、わずか100年ほどの間に完全にゴーストタウンと化してしまう。その理由については、他民族による侵略説、神官と貴族の対立説、飢饉説などが提出されているが、いずれも確定されるには至っていない。ちなみに遺跡には、組織的に計画された放火によるものと思われる大火災の跡がいくつか発見されているが、その年代や理由までを正確に推測するのは、残念ながら不可能といっていい。いずれにせよ、こうして中米最大の都市は終焉を迎え、緑深いジャングルのなかで長い眠りについたのである。

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ミステリー系・不思議系に特化したまとめを作って行きたいなと思っています^^