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謎だらけの顔面!モアイ像の謎に迫る

イースター島のモアイ像といえば有名ですが、実はモアイ像は何のために作られたのか、又どうやって作られ、運ばれたのたのかは未だに謎のようです。モアイ像が歩いて移動したと言う伝説や、島民が使っていたとされる特殊な文字等、不思議な事がいっぱいです

更新日: 2012年04月13日

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イースター島のモアイ像

チリのイースター島に、その数1000体もの人面を模した石造彫刻が多数存在する。それらはモアイ像であり、20世紀最大のミステリーとされている。平均、大きさ3.5m、重量20トンで、最大のものは20m、重量90トンに達する。

どうやって作ったのか?

一般的な学説としては、かってここに住んでいた先住民が岩山から切り出した石(凝灰岩)をその場で彫ったあと縄で引っ張り海岸まで運んで、石台の上に立てたとされている。 その際、運搬に使われた木やロープは、4~5世紀頃、島に生い茂っていた椰子やシュロの木とそれから採れた繊維が使われたという。

確かに 現地で行われた運搬実験でも、10トンクラスの石像はどうにか運べており、石などを支えに使って立ち上がらせることも出来ている。更に最近の実験では、立てられた状態で運搬する方法も見つかっており、運搬する人数も少なくてすむことが実証されている。しかし、それはあくまで10トン程度の像の運搬であり、運ぶ距離も平地の砂地90メートルほどに限ってのことである。

ところが、最大のモアイ像は90トンもあり、像を切り出す岩山は6~8キロほども内陸部で、さらに海岸まで運ぶ途中には100メートルほどの崖を下る必要がある。 また、モアイ像を牽いたり起こしたりするときに使うロープの強度と長さの問題は残されたままである。

何のために作ったのか?

神として信仰する対象説、墓地説など諸説紛々、様々な説があり、
結論から言うと、これだと言う結論には至っていない。
というのもモアイ像そのもの以外、モアイ像に関する資料がほとんど残っていないからなのだ。

唯一の手がかりは、島民が使ったと言う「ロンゴロンゴ文字」と言う絵文字の存在である。
文字の刻まれた板や石が、過去には多数存在したと言うが、
後に入り込んだ宣教師たちにより「悪魔の文字」とされ、次々に焼かれたり、破壊されてしまったと言う。
現存するのは24枚程度で解読もほとんど進んでいないと言う。
しかも、先に書いたように島民はヨーロッパ人の侵略を受け、奴隷として死んだり、
天然痘で絶滅寸前になったと言うことなので、文字を読める人は全くいなくなったといいます。

モアイ像の眼と新たな謎

モアイには目がはめ込まれていた事がわかっており、復元されたモアイには目がはめ込まれた物も多数存在する。目の材質はサンゴ質の石灰岩であることが判明している。
しかし、イースター島近海にサンゴ礁が無いことから、イースター島原住民の交易ルートがいかなる物であったか、という新たな謎が生み出された。他の海域との交易が無ければ、サンゴ質の石灰岩をイースター島にて入手する事ができないからである。

モアイ像の性別は男だった

モアイには帽子をかぶったような形の物も発見されている。これは当初地位をあらわす帽子か、女性の髪形を復元した物とされていたが、その後は男性の結髪を再現した物である事が明らかにされた。
これにより、「モアイは男性像である」という説が確立された。

モアイ像の帽子

モアイ像に「帽子」がかぶせられたのは約1200~1300年ごろとみられる。「帽子」は赤い軽石に似た火山岩「スコリア」から作られたもので、1個の重さは数トンもある。マンチェスター大学とロンドン大学ユニバーシティー・カレッジの調査チームは、当時の人びとが、どのように石の帽子を運搬したのか、その手段を検証した。

 調査チームは、スコリアの石粉が踏み固められて出来た「道」を発見。これが謎を解くカギだとし、火山のクレーター内部と外輪にあった石切場で製作された帽子は、この道を手や丸太のコロで転がしながら、海岸沿いのモアイ像へ運搬されたと結論づけた。もう1つ存在した石切場は、帽子の生産によりすべて切り出されて消滅したと考えられるという。

 これまでに、調査チームは、石の祭壇跡や運搬路から70個以上の帽子を発見している。路肩の帽子は、運搬中に放置されたと見られる。このほかにも、運搬中に壊れたり、祭壇と一体化した帽子もあると考えられている。

しかし、巨大なモアイ像の頭頂に、どうやって帽子を載せたかは、まだ謎のままだ。

モアイ像は歩いて移動した?

イースター島に伝わる伝説としてモアイが歩いて移動したというものがあります。 ただの伝説としか思われていなかったことのことが、近年、科学の 発展で、ロープを使って移動させることによってモアイが歩くようにして 移動できるという実験が行われ、成功しました。 実際、モアイの完成途中の形状と、完成したモアイの形状は異なっており、 完成途中のモアイの形状で、ロープを使うことによってモアイを歩かせることが出来るのです。

イースター島衰退の真相

当時のイースター島は世界でも有数の巨大椰子が生い茂る、亜熱帯性雨林の島であったと考えられています。しかし、増加した人口を満たすために、カヌーの製造や農耕の開墾、モアイ像の製造のために、森林は伐採され、そのため表土が流れ出し、カヌー製造用の木材にも事欠くようになり、大規模な飢饉が発生しました。そのため、部族間の争いがおこり、その過程でモアイ像が次々と引き倒されました。この小さな島の中で(小さな島の中だからこそ)、人口爆発とそれに伴う食糧危機、環境の破壊、それによる文明の衰退が起きたことになります。その後、西洋人によって島民の文化は破壊され、奴隷として連れて行かれたり、西洋人が持ち込んだ伝染病などにより、島民の数はさらに減ることになりました(最終的には111人にまで減少しました。)。

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ミステリー系・不思議系に特化したまとめを作って行きたいなと思っています^^