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謎多きシュメール人!メソポタミア文明の起源

世界四大文明の一つで世界最古の文明とされ、太陰暦・楔形文字・60進数法等を考え出したとして有名なメソポタミア文明ですが、彼らがどこから来たのかは謎に包まれています。自らを「混ざり合わされた者」と呼んでいたらしく、神に作られた存在であったとも言われています

更新日: 2012年04月15日

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メソポタミア文明の起源

紀元前5千年頃、後にメソポタミアと呼ばれるユーフラテス河の沿岸地帯に、ある農耕民族が住み着いた。彼らの住み着いた土地は、耕作や放牧に適しており、近くの湿地帯では、魚と鳥が常に豊富に得られるという生活するには理想的な環境だった。

 その農耕民族は、ウバイド人と呼ばれ、その後、千年以上もそこに住み着き、泥でレンガをつくって街や神殿をつくり、その後のメソポタミア文明の基礎をつくることになった民族である。彼らの有能で進取性に富んだ気性は、まもなく、この地を中近東で最も繁栄した地帯に押し上げていった。ただ、彼らは、文字を持たなかったので、詳しい記録を残すことはなかった。

ところが、紀元前3800年頃、どこからかシュメール人と呼ばれる民族がやって来ると、信じられない大変化が起こった。文明の一大ブレークとも言うべき現象が起きたのである。メソポタミアの地は、わずかの間に、前例のない大繁栄を記録した。そして、空前とも言える政治権力が打ち立てられたのである。それは、美術、建築、宗教は言うに及ばず、社会機構、日常の細かな慣習から楔形文字の発明に至るまで、それらは、すべて、彼らシュメール人の成せる画期的偉業であった。世界最初と言われる船や車輪つき戦車なども、この頃、シュメール人によってつくられたのである。

この後も、彼らは、エリドゥ、ウル、ウルク、ラガシュと言った高度な都市国家を次々とつくり上げていった。
 それらは、都市としては世界最古のもので、今日、我々は、この文明をメソポタミア文明と呼んでいる。

くさび形文字のほか、太陰暦、七曜制、60進法も生み、暦とともに占星術も発達、金属の鍛錬も知っていたといわれている。
エジプト文明、インダス文明の誕生にも影響を与え、両文明との交易もしていたと考えられている。

シュメール人の謎

彼らは自らを「混ざり合わされた者」と呼び、自分たちは「アヌンナキ」という神々の集団によって作られたと信じていたそうです。また、「アヌンナキは金を採掘するために他の星から地球へとやってきた」と信じていたともいわれており、シュメール人の古代神話を「アヌンナキは金を採掘する労働者を求めていたので、遺伝子操作によってシュメール人を作り出した」と解釈する「古代宇宙飛行士説」支持者もいるとのこと。

どこから来たのか?

ゼカリア・シッチンによれば、この太陽系には10番目の「ニビル」と呼ばれる惑星が存在するという。彼は、シュメールの粘土板を詳細に解析し、この結論にいたった。惑星ニビルは公転周期約3600年で、知的生命体「アヌンナキ」が高度な文明を構築している。アヌンナキは、地球に接近したときに地球に飛来し、われわれ人類を遺伝子操作で猿人から創生した。

 現在、多くの科学者は、宇宙全体で知的生命体が存在する確率は非常に高いことを認めている。ただし、その知的生命体同士が遭遇する確率はほとんど0だという。ゼカリア・シッチンの仮説によれば、地球人類とアヌンナキは遭遇したのでなく、アヌンナキが自分たちに似せて作り出した生命体が地球人類だということになる。聖書の創世記にある「神は自分たちに似せて人を創った」という記述が実際に行われていたのだ。

文字

文字は象形文字を発展させた楔形文字を創始し、後世の西アジア諸国のさまざまな言語を表すのに利用され、記録媒体は粘土板が用いられた。楔形文字によって書かれたものとしてはハンムラビ法典がよく知られている。話していた言語は外交用語として用いられていたようで、エジプト文明の外交文書に、その言葉で書き記されたものが残っている。

六十進法

古代メソポタミアに発達したスメル文明は60進法に基づく整然たる度量衡制度を持っていました。その精緻な体系はエジプトにわたり、またバビロニアやアッシリアを経由して古代ギリシャ文明にも継承されました

六十進記数法とは、60 を底とする記数法である。真の六十進記数法は60種類の数字を必要とするが、それは多過ぎるため、実際には各桁を十進法で表す方法が普通である。
シュメールおよびその後を継いだバビロニアでは六十進法が用いられた。これは、60 が 2, 3, 4, 5 の最小公倍数であるために約数が多く、除算に便利だからだとされる。

発達した天文学・太陰暦

天文学が発達したのは、作物を栽培するにあたって季節や時間を知る必要があった事、またチグリス・ユーフラテス川の氾濫の時期を知る為に必要なことでした。 また、メソポタミア地方の夏は暑く寝苦しいので、人々は涼を取るために、夜は家の屋上で寝ていたので、星空をよく観察できた事にあると思います。
 
先ずは、1日ですが太陽が昇り、沈み、また昇るのが基本の単位であります。 夜空で最も大きな星は月であり、満月になったり三日月になったりと、変化が大きくあるので、シュメールの人々は、月の変化で時間を知る暦(こよみ)をつくりました。 これが太陰暦です。 

新月・上弦の月・満月・下弦の月が一つのサイクルとなり、その変化の間が約7日、これが4回あるので、一ケ月は28日です。 そして、それぞれの日に守護星をつけたのが、日(太陽)、月(月)、火(火星)、水(水星)、木(木星)、金(金星)であり、この7日を一つの単位とするのが一週間で、上記のような曜日という物が考え出されました。

政治・経済

貿易の交易範囲は広大で、エジプト文明やインダス文明と交易があったことも推測される。シュメールやバビロニアでは食物をはじめとする必需品を貯蔵して宮殿や都市の門において分配し、バザールで手工業品の販売を行なった。タムカルムと呼ばれる身分型の交易者が存在し、仲買人、代理人、競売人、保管人、銀行家、仲裁人、旅商人、奴隷取締官、徴税吏などを担当した。バビロニアにおいては対外市場は存在しなかったため、キュロス2世は、ギリシア人の市場制度を理解せず、非難した。また、ハンムラビ法典には、損害賠償、負債取り消し、報酬、等価概念についての記述がある。

都市国家では、王を中心とした神権政治が行われ、人民や奴隷を支配する階級社会ができた。王のもとには莫大な富が集まり、大規模な治水や灌漑、あるいは壮大な神殿や宮殿が作られた。ギルガメシュ叙事詩に登場するギルガメシュ(Gilgamesh)は、紀元前2600年頃のシュメール人の王である。

ギルガメッシュ叙事詩

ギルガメシュ王の冒険の物語。女神イシュタルの誘惑を振り切ったり、不死の薬草を求めて旅をする話。旧約聖書にあるノアの箱舟と似た洪水の記述もある

遺伝子の仕組みを理解していた?

ギルガメッシュ叙事詩の中に、遺伝子の仕組みを理解していたと思われる記述がある。ギルガメッシュ本人が「私は半神半人で、血の2/3が神だ」という表現がある。神と人間のハーフなら、1/2が神になる..というのは現代人の一般的な見解であろう。古代人は、遺伝子的な知識が無く、上のような間違った表現になったと考えられていた。
 ところが、どうも違うのだ。 遺伝子研究が進んだ最近になって、ギルガメッシュ叙事詩に書かれている方が正しいと思われる解釈が出てきた。ミトコンドリアDNAという母親からそのまま受け継がれるDNAが発見されたのだ。普通のDNAは、母親と父親のDNAを半分ずつ持つが、このミトコンドリアDNAは、父親のDNAが交じり合うことはなく母親のDNAがそっくりそのまま受け継がれるのだ。つまり、子供は、母親のDNAを2で父親のDNAを1の割合で持っているのだ。ギルガメッシュは、女神と人間のハーフなので、「血の2/3が神だ」というのは正しい表現ということになる。

食料不足・木材不足による滅亡説

メソポタミア文明は、あらゆるものに木を使いました。パンを焼くにも、レンガを焼くにも火が使われ、その源として木を消費しました。また、古代文明の象徴とも言える巨大な神殿や宮殿を建てるためには大量の木材を必要とし、交易船や戦闘用の船も木材で作られました。エジプトでは最近、ピラミッド付近から巨大な船が発掘されたといいますが、それが指し示す通り、古代文明の資源はあきらかに木材に頼っていたわけです。

さて、この時代の気候は非常に乾燥していたため、降水量が減少し、土壌中の塩類が次々と濃度をましていきました。シュメール人はそれを知ってか知らずか、木材調達のために下流から中流、上流へと次々に森林を伐採していきます。その結果、森林伐採によって歯止めがなくなった土壌が下流に流出し始めました。前述の通り、乾燥によって塩分が高くなった土壌が流出し、塩害が進み、灌漑用水路がふさがれるなど、農作物の収穫に大きく影響を及ぼし始めたのです。文明の発展は、人口増加と比例をしますから、ここで食糧不足が起こり始めます。それに加えて生活の源とも言える木材資源も不足していますから、どうにもならない状態になってしまい…
こうして、メソポタミア文明は滅んでしまったと言われています
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=104742

セム族による侵略で滅亡説

シュメールは4000年前にセム族によって乗っ取られる。4380年前にシュメール都市国家にセム族が侵入。セム族がアッカド建国。4200年前にはシュメールが再び奪い返すが、4000年前にはセム族がバビロニア建国。メソポタミアのシュメール人は絶滅し、それ以降メソポタミア地方はセム族に支配されることになる。

生き残ったシュメール人が、彼らの植民地であるインダスへ流れていった(シュメールとインダスが頻繁に交流していたことから考えても、インダス文明があった現在のパキスタンは人口の90%がイスラム教徒になっていることから考えても、メソポタミア~インダスは行き来が頻繁な地域であった)このシュメール人とインド原住民の原モンゴロイドの混血がドラヴィダ人だと考えられる。
その後、ドラヴィダ人はインダス文明を放棄して拡散していった。学説ではインダス文明消滅の理由は乾燥化説や洪水説で、アーリア人に攻められたのではないという説が主流だが、もう一方に残る次の事実は捨象されたままになっている。

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