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本当は存在しなかった?伝説のムー大陸

過去に存在したと言われる伝説のムー大陸、アトランティス大陸と同じほぼ同じ時代に存在し、どちらもかなり高い知識をもっていたとされていますが、どちらも12000年前に滅んでしまったと言われています。本当にムー大陸は存在していたのでしょうか、又本当に存在していたとすればなぜ滅んでしまったのでしょうか

更新日: 2012年04月19日

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ムー大陸とは

今から約1万2000年前。
太平洋中央一帯に東西8000km 南北5000kmにも及ぶ広大な大陸が存在した。
大陸は、「ラ・ムー」という国王が統治する国家があり、首都はヒラニプラ。人口は6400万人にも及んだという。大陸は超古代文明が栄えその技術を活かし、次々と他国を制圧し支配地を拡大する軍事国家でもあった。しかし、、、栄華を極めた大陸は、大地震と津波により一夜にして海の底へ沈んでしまったという・・・。
その大陸こそ、伝説とされている『ムー大陸』である。

伝説の発見

1862年頃、フランスの聖職者シャルル=エティエンヌ・ブラッスール・ド・ブルブール(1814年–1874年)は、マドリードの王立歴史学会の図書室でユカタン司教ディエゴ・デ・ランダ・カルデロン(1524年–1579年)が書き残した『ユカタン事物記』を発見し、マヤ文字とスペイン語のアルファベットを対照させた表(ランダ・アルファベット)を見出した。

ブラッスールはランダ・アルファベットを使ってトロアノ絵文書をキチェ語で解読し、トロアノ絵文書には「ムー」(Mu) と呼ばれる王国が大災害によって陥没した伝説が描かれており、アトランティス伝説と類似性があると1863年に発表した

ジェームズ・チャーチワード

英国陸軍大佐を詐称(英国陸軍に在籍の記録がない)していたアメリカ合衆国の作家、ジェームズ・チャーチワードによる説。彼は『失われたムー大陸』等の一連の著作で、太陽神の化身である帝王ラ・ムーを君主とした帝国が全土を支配し、白人が支配者である超古代文明が繁栄していたが、神の怒りを買い、一夜にして海底に沈没したと主張した。

チャーチワードによれば、1868年、16歳のときインドに従軍し、現地のヒンドゥー教の寺院の高僧が、寺院の門外不出の粘土板「ナーカル碑文」を見せてくれたという。それには、ムー大陸の記録が絵文字で彫られていた。また、ウィリアム・ニーヴンる米国の技師がメキシコで発見したという古代の石板からも、「ナーカル碑文」と同じ絵文字が記されていたという。それらを含めて、種々の古代文献を挙げて、ムー大陸が実在した証拠としている。さらに、チャーチワードは旧約聖書の『創世記』の物語はムー大陸滅亡の記録であると主張している。

滅んだ理由

広大な大陸が一夜にして滅んだ理由に様々な説が浮上している。

・神々の怒りを買い、大洪水により滅んだ。

・ムー大陸の火山が噴火した際に、地下に充満していた火山ガスに引火して爆発し、元々ガスがあった空洞が崩れて滅んだ。

・小惑星が地球に衝突して大地震と津波により滅んだ。

どれも科学的に証明できず、そもそもムー大陸など存在しなかったという説が一番有力視されている。また、モアイ像で有名なイースター島は、ムー大陸の最南端の島で生き残った人々がモアイ像を造ったという説もある。そしてチャーチワード曰く、旧約聖書の創世記に書かれているノアの箱舟に纏わる大洪水で滅んだ大陸こそムー大陸であると言っている。・・・しかし根拠は無い。

沖縄の海底遺跡はムー大陸の一部?

沖縄の与那国島周辺の海底には、ムーの名残と思わしき謎の古代遺跡が沈んでいるという。
発見は1986年。地元ダイバーの新嵩喜八郎氏が、新たなダイビングポイントを捜していた時のことだった。
島の南側の新川鼻という岬の沖合い海底で、人工物としか思えない「神殿跡」遺跡と出くわしたのだ。
それは、東西200メートルほどの岩山の半分を、長さ100メートル、奥行き40メートルほど加工したもので、テラス状になっていた。しかもその後の調査で周辺からは、祭祀場跡のような巨石を安置した穴や、カメの甲羅をモチーフにしたような亀石、人工的に彫られたように並んだ3つの穴、台座岩の上に六角形の巨石が置かれた太陽石、さらには人面そっくりの「立神岩」なども確認されている。

日本人の祖先はムー大陸人?

ムー大陸を世界で初めて発表したのはイギリス人の元軍人大佐であるチャーチワードだとされている。彼の説によると、インドの寺院から、古代ムー大陸に関する石板を見せられたという。古代ムー大陸は太平洋上に存在し、そこでは女王ラ・ムーによる支配が行われていたが、大洪水により一夜にして海底に没したとされる。その痕跡はイースター島のモアイ像だと言う。
 しかし、イースター島のモアイ像は明らかに年代的な隔たりがある。モアイ像はわずか1000年ほど前に制作された物にすぎないのだ。チャーチワードの想像はそのレベルだったのである。

 しかし、この日本から出土される縄文式土器は世界最古級の歴史を誇るものであり、最古の物では1万6千年前もの歴史がある。伝説上のムー大陸の滅亡前から縄文式土器は存在していたのである。しかも、当時の縄文人は海を渡っていたのである。日本からはるか離れた南米のボリビアからは、何と縄文式土器が出土するのである。その制作方法も縄文土器と変わらないと言う。
 チャーチワードの言っていたムー大陸は存在しなかったが、当時の縄文人による太平洋渡航が事実となりつつある現在、古代ムー大陸人とは古代日本の縄文人だったのではあるまいか
http://npn.co.jp/article/detail/45820890/

ジェームス・チャーチワードはただの嘘つきだった?

そもそも、チャーチワードがムー大陸説の根拠としたのは二つの「碑文板」の存在なのだが、そのうちの一つは、アステカやその他のメキシコの民族が祭儀用に数多く作った平板の事で、そこに刻まれた「装飾用図形」をムーの歴史が描かれた「古代文字」であると、 チャーチワード一人が主張しているに過ぎない。
おまけに、この「装飾用図形」を一種の「古代文字」とする根拠というのが、てっとり早く説明すればチャーチワード自身の「フィーリング」だけ・・・。(汗)
だけど、これはまだいい。 少なくとも、この平板自体は、ウィリアム・ニーベンというアメリカ人技師がメキシコで発見した物らしいから、一応実在はしているわけだ。 ところが、もう一つの「碑文板」の方はというと、インドの寺院の高僧が、門外不出の秘密の粘土板を特別にチャーチワードに見せてくれたというもので、要するに、 チャーチワード以外の誰もその粘土板を見た者はいないのだ!
大体、彼の説くところの『ムー』に関する記述は繊細を極める。難解なはずの「古代文字」を、わずかな滞在期間中に、よくそこまで解読できたものである。 しかも、ある本ではそれをインドで見たと言い、またある本ではチベットで見たと言っている・・・。
つまり、普通に考えれば作り話としか思えないわけだが、話はこれで終わったわけではない。
自称、元イギリス陸軍大佐の彼は、イギリス陸軍に所属していたはずの若い頃、なぜかアメリカで『釣り』のガイド・ブックを出版していた事がわかっており、イギリス陸軍の記録の中にも、ジェイムス・チャーチワードという人物は存在していなかった事が判明している。
つまり、有名な『ムー大陸』の話というのは、一人のホラ吹き爺さんが創作したバカ話に過ぎないのだ!
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/1541/mu1.html

粘土板の信憑性

チャーチワード氏が高僧から見せてもらったという粘土板について。
彼が自説の最大の根拠としている、インド駐留時に高僧から見せてもらったという粘土板のほうは、実は話だけで、その存在はまったく確認されていない。

そもそも「インド駐留時に」という根本のところが上述のように極めて信憑性が低い。そのうえ粘土板を見たという寺院の場所も一切明かさず、さらに“門外不出で秘密”のはずの粘土板を、知り合ったばかりの17歳の少年(「1868年に見た」と主張しているので、1851年に生まれたことが判明している彼は当時17歳だったことになる)に寺院の高僧がアッサリ見せてしまったというのだから、そのような都合の良すぎる話を信じろという方が無理である。

さらにすでに誤りだったことが判明しているブラッスール氏らの“解読”と、チャーチワード氏の“解読”がよく似ていることから考えても、残念ながら彼の話はでっち上げだったと考えざるを得ない。
http://www.nazotoki.com/mu.html

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