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『早すぎた天才アーティスト』原田真二の凄すぎる伝説

今、聴いてもまったく違和感のない、色あせない名曲を作っている原田真二。デビュー1年目で武道館ライブ、ジョンレノンプロデュースの話もあったデビュー当時の激動の日々。若く、かっこいい「ホット・サマーオーバー!」な真二。そして独立後の自ら「いばらの道だった」と語るアーティストとしての活動をまとめ更新中!

更新日: 2017年05月03日

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purumさん

原田真二とは

1977年に10代でデビュー、当時としては全てが前例のない異色の存在で、
日本のロックシーンを文字通りわずか数年でガラリと変えてしまった異端の天才

・1958年12月5日生まれ
・日本のTV業界におけるアーティストの常識を文字通りくつがえした功績を持つ。
・ボーカル、作詞、作曲、編曲、プロデュース。楽器はギター、キーボード、ベース、パーカッション、ドラム、琴、なども演奏。ミックス、プログラミングもこなす、マルチプレイヤー、マルチミュージシャン。

実は日本のロック界の常識を切り開いた重要な存在である。

原田真二の凄さがわかるデビュー当時1、2年の出来事

1977年10月25日
‐デビュー時1ヶ月ごとにシングル連続3枚発売という異例のデビュー。

1978年2月25日
‐ デビューアルバム『Feel Happy』。オリコン史上初の初登場1位
10代でファーストアルバム1位を獲得した男性ソロシンガーは未だ原田真二のみ。

1978年4月10日
‐ 4thシングル「タイム・トラベル」がデビュー3作を上回る自己最高位に。

1978年7月24日
‐ デビュー1年目10代ソロ歌手としては「音楽史上初の武道館単独公演」を実施。

1978年11月2日
‐ 青山学院大学の学園祭ライヴ。キャパ1万席に2万2千人が押し寄せ機動隊まで出動。

1978年12月16日
‐ 武道館ライブを中心のドキメンタリー映画「OUR SONG and all of you」が劇場映画で公開。

1978年12月31日
‐ NHK紅白歌合戦に出場。

1979年4月21日
‐ 2ndアルバム『natural high』の制作で、海外レコーディング実施(ロサンゼルス)。

1979年12月26日
‐ 2年続けて武道館ライブを敢行。

1980年
- 21歳で事務所を独立。株式会社クライシスを興す。レコード会社もポリドールに移籍。

1980年夏頃
‐ ジョン・レノンプロデュースの話が持ち上がるも、ジョンに不幸があり幻となる。

1980年11月5日
‐ コンセプト・アルバム『HUMAN CRISIS』発売。

↑10代の原田真二

■それでは、項目ごとに丁寧に解説を

1ヶ月ごとにシングル3枚発売、オリコンベスト20に同時ランクインという異例のデビュー

1977年10月25日
‐ 「てぃーんず ぶるーす」でデビュー。その後1ヶ月ごとにシングルを3枚発売という異例のデビュー。

デビュー曲「てぃーんずぶるーす」のロック・バージョン。
原田真二がこのあと放つ2nd、3rdアルバムへ繋がるようなアレンジが光る。

武道館ライブ映像より。
抜群に研ぎ澄まされたライブアレンジに脱帽する。CD音源(というより当時レコードだが)の雰囲気そのままの「アイドルコンサート」ではなく、やはりロックアーティスト指向が本人として非常に強かったのだというのがわかる。

「ビーバーのようにかわいいベビーフェイス。彼の好きな女優はオードリー・ヘプバーンです」というMCの紹介が初々しさを増していいですね。

1978年2月25日
‐ デビューアルバム『Feel Happy』がオリコン史上初の初登場1位、4週に渡って首位の座。
デビュー作から全作曲、編曲も手がけ、演奏にも加わり、プロデューサー(吉田拓郎と共同)としてもクレジットされている。10代でファーストアルバム1位を獲得した男性ソロシンガーは未だ原田真二しかいない。

1stアルバムの発売(1978年2月25日)

Amazonレビューでも非常に評価が高い。
10代の原田真二がアイドル扱いされる自分に葛藤しながらもハイクオリティな作品を作りあげた本作。
2ndアルバム以降がセルフプロデュースへと急速にすすんでいく前のバランスがとれた傑作ともいえる。

Sportsライブ版(YOUTUBE)

このライブアレンジ、最高にかっこいい。アルバム収録の音源も悪くないけどとにかくライブアレンジが躍動感あっていい。
この時代のライブって椅子に座ってないといけなかったみたいで立つと警備員に座るように促されるんですねw

このライブアレンジが最高! 特にエンディングに向けての盛り上がりはCD音源では全く体験できない。
当時の音楽業界ではまだこのノリはCD(当時はレコードね)には入れられなかったのではないか・・・と勘ぐりたくなる。

当時のコンサートに並ぶファンの姿。
この頃の時代はライブという言葉がまだ一般的ではなく
原田真二自身もコンサートと言っていた時代

スピッツもカヴァーして話題の名曲「タイムトラベル」

このタイムトラベルという楽曲、作詞は松本隆。作曲は原田真二。このコンビでの作品が2nd、3rdアルバムまで続いていたらという、ないものねだりしてしまう位に詞の世界が良い。そして作曲、アレンジが最高。
この頃の原田真二は事務所の戦略もあいまって本当に毎日TVに出ていたようですね。

1978年4月10日
‐ 発売の4thシングル「タイム・トラベル」がデビュー3作を上回る自己最高位に。この後所属事務所を「アミューズ」から、井上陽水・ブレイク前のRCサクセションが所属していた「りぼん」に移籍。

ロック御三家として騒がれていた時代 ほぼ毎日TVに出演

Charと世良公則と競演、セッションした超貴重な映像。 世良が歌うシャドーボクサーもかっこいい!

1978年7月24日
‐ デビュー1年目(9ヶ月)、10代ソロ歌手、としては史上初の武道館単独公演を行った。ライブアレンジも手がけ、演奏を重視した純粋なロックコンサートに仕立てた。

1978年夏
‐ この頃、新人賞レースに参加しないことを公表。同じ新人の世良公則&ツイストも後に辞退を発表したが、事務所移籍という掟破りな行動も手伝ってか、生意気だとマスコミの批判が原田に集中した。

1978年11月2日
‐ 母校青山学院大学の学園祭ライヴをやったが、1万席しかないところに2万2千人が押し寄せ機動隊まで出動するパニックとなり、チケットは持っていたがコンサートを見られなかった人が続出した。

1978年11月21日
‐ 発売6枚目のシングル「OUR SONG」では初の作詞をはじめ、作曲、編曲、オーケストラアレンジ、プロデュースを手がける。

伝説のライブを中心にドキュメンタリー映画が劇場公開

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