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twcritiqueさん

1960年代、高橋は学生運動に拘わって凶器集合予備罪で逮捕・起訴され、1960年代末と1970年2月-8月の間東京留置所に拘留されたが、この間に一種の「失語症」に陥り、思うように言葉が操れなくなった。釈放後高橋は工場の工員や日雇い労働をして生活していたが、その間も「強制されている」という感覚が残り、しゃべるとき、書くときのほか、考えるとき、読むときにもその感覚につきまとわれて、1978年の終わりごろまで読み書きも考えることもほとんどしないで過ごした。そして1979年になってからしゃべり、書くことを再開し、「リハビリ」のためにまず以下に挙げるような断片的な文章を書くことから始めた[3]。『さようなら、ギャングたち』はこの間10年ほどの著者の体験が元になっている[4]。

高橋源一郎 よく言われる言いかたがあって、僕も言われたことがあるんですけど「壊したものを書くんだったらまずキチンとしたものを書いてからにしろ」と。
ぼくは別に壊したつもりはないんで、これ以上ないくらいキチンと作っているんだからどうやったら壊れるのか教えてもらいたいぐらいです(笑)。反論しようと思ったら問題を立てること自体が相手のフレームだから、ぼくとしては黙って書く以外に手はないんだと思います。小説家とかがそういうことを言うのが多いですよね。三田(誠広)とか(笑)。

1964年、灘校に転入。このころ鮎川信夫、谷川雁、鈴木志郎康等の現代詩を読み、感銘を受ける。

11.大学を離れ、世間との関係をたって十年後、ぼくは小説を書き始めた。吉本さんをたったひとりの想像上の読者として。その作品で、ぼくは幸運にもデビューし、また思いがけなく、その吉本さんに批評として取り上げられることで、ぼくは、この世界で認知されることになった。

「アヴィニョンの娘達」を前にして、ブラックでさえ唖然としたという事実は、ピカソのこの試みが、いかに従来の絵画世界と根本的に違う者であるかということを、雄弁に物語るものであろう。その驚きあふれるブラックの腕をかかえるようにして、ピカソは「鼻ってものはああいうものなのだよ。ねえブラック。人間の鼻ってものはああいうものなんだよ」と、しきりに説明を繰り返したという。

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