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この記事は私がまとめました

魚牛さん

YOSHIKI

HIDEの死をきっかけにひきこもりに。苦しくても精一杯生きつけようと決意し脱出

学生時代の大半は部屋に篭って好きな音楽を聴いたり本を読んだりする「引きこもり」だった。 あまりに引きこもっていたので親から声をかけられることさえイヤになり、そのうちに親から声をかけられることも無くなった。食事は部屋に届けてもらっていたがそれも面倒になり、部屋の窓からこっそりと出てコンビニで食べ物を買って食べるようになった。 学校ではいじめに遭って人間嫌いに拍車がかかり、高校を中退した。学校をサボって見た「男はつらいよ」の主人公の車寅次郎の伸び伸びとした生活に感動。故郷の鹿児島にひとり旅をしたことで精神的成長を実感した。以後、毎年のひとり旅を決意するようになる。 尾道への一人旅の際に食中毒で倒れていたところを旅館の女将さんに助けてもらい、そこでのふれあいが人嫌いを直すきっかけになる。芸人を目指すきっかけは、学生時代に自分のネタで唯一笑ってくれた女性。「なだぎが芸人になったら、私みたいに冷めてる人を笑かすんやろな」という言葉を受け「絶対に芸人になるから、手術して治った目で俺を見て欲しい」と約束した

清水翔太

中学時代には、学校になじめず引きこもりをしていたこともあった。中学校卒業後には高等学校には進学せず、地元大阪の音楽学校「キャレス大阪校」でゴスペルを学んだ。この頃、ソウルミュージックに魅せられたことをきっかけに作詞、作曲などのソングライティング、アレンジを行うようになる

麒麟の川島 明

ボクの場合、実は高校時代に今で言う
“引きこもり”になりかけたことがありまして。
入学した高校が進学校で、その雰囲気に馴染めなかったんです。
自分の世界では誰もが王様になれる。“引きこもり”ってみんなそうなんですよ。
でも、このままでいたら本当にダメになる、勝負に出ようと思って、
NSCに入学したんです。ボクにとっては、NSCへの入学が“引きこもり”から
立ち直るキッカケになったんです

千原ジュニア

中学の空気になじめず、登校拒否、引きこもりとなる。高校にはなんとか進学したが、相変わらず引きこもりを続けていた。ごくたまに仕方なく高校に行っていたが、周りから気持ち悪がられていた(理由は、たまに学校に来ても一切誰とも話さなかったり、当時から尖っていて周囲の人を殴ったりしていたから)と本人は言っている。

JOY(モデル)

アーセナルFCユースにも練習生として参加した経験があるなど、将来を有望視されていたが、高校一年生のときに腰を痛めサッカーの道を断念した。ショックで一時引きこもりがちになってしまうが、当時姉がモデルの仕事を初め憧れを抱き始める。

宮本亜門

学校では孤立。友達ができないことに加え、高校受験のストレスにより、肥満となる。玉川学園高等部1年生のとき不登校に陥り、約1年間引きこもり生活を送る。窓の無い自室でミュージカルやクラシックなどの様々なレコードを聴く生活の中で、演出家を志すようになる。1年生の終わりに慶應義塾大学病院の精神科で受けた小此木啓吾による治療が功を奏し、再び学校に戻る。ミュージカル『ゴッドスペル』を映画で観て感動し、演劇部に上演を依頼。そこで主役をやることになり演劇デビューを果たす。

地獄のミサワ(漫画家)

中学校卒業後は「高校に行かずにお笑い芸人になる」と両親に打ち明け、大検(高卒程度認定試験)の科目免除のために通信制高校へ通学する一方、お笑い関係のスクールに通う日々を送った。しかしお笑い芸人への道は途中で諦め、大検取得後も大学や専門学校に進学することも就職することも無くニートとして生活。デビュー後のインタビューでも「(経済的に)今もニートです」と語っている。

山田ルイ53世

中2の夏から20歳までひきこもり生活を過ごし、高卒認定試験をきっかけに新たな一歩を踏み出した

レンタルサーバー「ロリポップ!」や、ブログサービス「JUGEM」などの提供で知られる“ペパボ”ことpaperboy&co.の社長 家入一真氏

「高校に行かなくなり、1~2年、引きこもりの時代が続きました。見かねて、母親がある作品展に僕を連れて行ってくれたんです。17歳で夭折した天才詩人、山田かまちの個展でした。衝撃的でした。彼は「自分には24時間では足りない」と言っているのに、僕は何をしているんだろう。彼の激しい生き方に比べると、なんてぬるい生き方なんだろう。もっと激しく生きなきゃ……」美大の予備校に通うことにを決意し、お金を貯めるため新聞奨学生に。「社名の“ペーパーボーイ(新聞少年)”はここからきています。」その後学校を休んで作りためていた作品を持ち込んで、デザイン会社に就職し、プログラミングなどを勉強し起業

今井メロ(スノーボート・ハーフパイプ)

勝手に作られたラップを歌わされたことや五輪の結果から、激しいバッシングにさらされ引きこもり・リストカットを経験
ドン底から立ち直るキッカケになったのは「いつまでもウジウジしていても何も始まらない」と母親に言われた事。その後、結婚、病気、出産などを経験。

桑名正博(歌手・俳優・実業家)

中学校2年のとき引きこもりになり、義務教育であるにも拘らず留年を経験。のち退学処分を受け、公立の中学校に移ってから卒業。高校から再び甲南に進んだが、入学式だけ出席して中退した。その後歌手や俳優として活動。現在は、業界では名のある中堅企業「桑名興業」の社長。

五十嵐 隆(ミュージシャン)

大学浪人中にひきこもりに、その後、音楽専門学校を経て歌手の道に。

光岡昌美(歌手)

中学時代に相談した先生に裏切られたことから人間不信に陥り、引きこもりになってしまった光岡昌美だそうです。支えとなったのが作詞で、なんと30冊にもおよび詩を書きとめていたそうです。友人から誘われたカラオケでうまく歌えずにボーカルスクールに通ったことが転機になったのだとか。抜群のルックスと伸びのある歌声が評判となり、芸能事務所のオーディションを勧められ、合格。「初めて人に認められて、元気が出ました。人前に出るのは嫌いだけど、歌っている時は別。ネガティブな部分も含め、すべてをさらけだしたい」

真琴(女子プロレスラー)

中学時代は登校拒否。高校は一年で中退。元・対人恐怖症で引きこもりである。

大畠美咲(女子プロレスラー)

中学時代にひきこもり。同じ元引きこもりの真琴とチームを組んだこともある。

ヴィクトリア (イギリス女王 1819年5月24日 - 1901年1月22日)

旦那のアルバート公子がなくなり、ひきこもりに。ベンジャミン・ディズレーリのおかげで立ち直る。

上山 和樹(著作家・自身の引きこもり経験をもとに講演や執筆活動)

中学在学中から不登校経験が重なり、山梨県の私立高校で寮生活を送る(全寮制ではない)も、通えなくなってしまう。 関西の公立大学に進学するも大学時代は哲学的な悩みに忙殺される。結果として不登校となってしまい、後に卒業するまで葛藤の日々を送る。

ジョージ・ロイド(クラッシック音楽)

シェル・ショック(戦争神経症)の後遺症のため引きこもり同然の生活で、リハビリも兼ねたカーネーションときのこの栽培で生計を立てる。そのかたわら、いつ日の目を見るかも解らない作曲は細々と続けた。
その後、作品が評価される。

加美 早苗(宝塚・バレエ)

長姉は、引きこもりがちになった彼女を外の空気に触れさせようと、宝塚音楽学校の受験を勧めた。

村尾 英文(俳優)

高校時代はたこ焼き屋のアルバイトで店長賞を3回受賞したが、3年の時に火傷が原因で退店。その当時、家に引きこもりになった間に見た映画に感動し、俳優になる夢を持つ。高校卒業後、独自で演技の勉強をしながら、のちにデビュー

月乃光司(パフォーマンス集団『こわれ者の祭典』代表)

高校入学後に対人恐怖症、醜形恐怖症を患い4年間引きこもり生活を送る。20代半ばからアルコール依存症を患うが精神科病院への入院や自助グループへの参加により健康を回復し社会人として生活を送る。自身の体験をもとに作家デビューを果たし新潟市民文学奨励賞・新潟出版文化賞文芸賞を受賞する。2002年5月31日には自身が代表を務める『こわれ者の祭典』が新潟市総合福祉会館で初公演を行うなど様々な活動をしている。

少年少女 (お笑いコンビ)の坂口 真弓

高校中退後、7年間引きこもり続けたがこのままではヤバいと感じNSCに入った

寺坂 直毅(放送作家)

中学時、同性の同級生によるセクハラが元で不登校になり、定時制高校に進学するも殆ど引きこもり状態になる。一時は自殺まで考えるが、高校在学中の1997年、宮崎でも放送されていた文化放送のラジオ番組『Come on FUNKY Lips!』を聴き始め、特に水曜日担当の今田耕司・東野幸治の大ファンになる。同じ定時制出身の今田や「死ねばいいのに」等の際どいトークを連発する東野に触発され、ネタを投稿する事に生きがいを見出す。
1999年、「人生のリセット」をするために放送作家を志して上京。担当は爆チュー問題ややりすぎコージーなど。

旭爪あかね(作家)

大学院卒業後、会社づとめもしたが、人間関係などから約9年間いわゆる引きこもり状態になり、そこから小説を書き始める。1997年、「冷たい夏」で第2回民主文学新人賞を受賞し、『稲の旋律』で多喜二・百合子賞を受賞。
旭爪「引きこもっていた時に、 よく自宅近くの田んぼの周りを散歩していました。 風に揺れている稲を見ていると、 その風が自分の心をわたっていくようで、 私でもまだ生きてていいんだ、 まだ何かできることがあるかも知れないと思えたんです。」

今枝仁(弁護士)

引きこもり・不登校により高校を中退後、大検を経て大学に入学し、その後弁護士に。ホストなども経験、光市母子殺害事件の弁護なども担当した。

東方力丸(路上パフォーマー)

学生時代はいじめを受けていた。高校卒業後はアルバイトとして就職するも1年ほどで退職し、その後引きこもりになるが、それも1年ほどで抜け出している。いじめの影響で性格が内向的になった。
その後は、路上パフォーマンスを思いつき、2001年頃から「漫読家」として活動し始める。

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