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未発見大陸まで再現していた!?聖徳太子の地球儀の真相

日本にあるオーパーツで聖徳太子が作成したとされる地球儀には、なんとヨーロッパ、アジア、アフリカ大陸等の当時未発見の大陸が記されていて、さらには現代でも伝説の大陸とされているムー大陸まで記されているらしいです。聖徳太子は預言者や超能力者だったのでしょうか?謎が深まります・・・

更新日: 2012年04月24日

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聖徳太子の地球儀とは

聖徳太子の地球儀(しょうとくたいしのちきゅうぎ)は、兵庫県太子町の斑鳩寺に伝わるソフトボール大の地球儀のこと。

未発見の大陸も記されていた

聖徳太子といえば、今から1400年も前の人だ。その当時は、東アジアでは地球が丸いという概念さえ知られていなかった。その時代にどうやって地球儀が作れたというのだろうか。しかも、その地球儀には、ヨーロッパ、アジア、アフリカだけでなく、両米大陸(1492年発見)や南極大陸(1820年発見)など大航海時代以降にはじめて明らかになった地域の地理まで、正確に作られているのだ。

この地球儀がいかにして作られたか、その手がかりと思われるのが、ちょうど太平洋の真ん中にあたる箇所にある巴状の三つの陸地だ。それは今から約12000年前に太平洋に沈んだというムー大陸と思われる。つまり、この地球儀はまだムー大陸が存在した時代の地理に基づいていると考えられるのだ。聖徳太子はムー大陸時代の超古代文明が残した知識を何らかの形で受け継ぎ、この地球儀を作ったのだろう

作ったのは聖徳太子では無かった?

海藻糊を混ぜた漆喰で作られた地球儀の南極大陸には、「墨瓦臘泥加」(メガラニカ)と書かれている。これは紙に書いて埋め込まれており、完成後に書き足すことは不可能だ。メガラニカとは、地球球体説を説く古代ギリシアの知識人等が、南極を中心に南半球に大きく広がると推測した仮説上の大陸である。1520年にマゼランの艦隊が南米南端のフエゴ島を、件の大陸の一部と誤認したことに由来する。

 このように、地球儀作成の技法とメガラニカの表記から、江戸時代中期に作成され斑鳩寺に奉納されたのだろう。有力な説は、日本初の百科事典「和漢三才図会」に掲載されている「山海輿地全図」と一致することから、「和漢三才図会」の編集者、寺島良安が作成したというものである。

世界地図の伝来

日本における世界地図の歴史は、中国で刊行された『坤輿万国全図』(1602年)から始まる。
イエズス会の宣教師マテオ・リッチにより伝えられたが、この地図には既に南半球に広がる広大な大陸「メガラニカ」が描かれていた。

ムー大陸の正体は?

ムー大陸に見えるものの正体は何か。地中石を現実の地球儀と比べると日本列島や沖縄の南に連なるはずの島々が本来の位置になく、代わりに太平洋に多くの陸地ができていることがわかる。

つまり、フィリピン、インドネシアの島々はデフォルメされ、実際よりも東に移動させられているのだ。

漆喰を固めて球状にするという作業のためには表面の凹凸はなるべく万遍なく配置されていることが望ましい。地中石での「ムー大陸」の正体、製法上の問題から、それは太平洋の真ん中に移動させられたフィリピン、インドネシアの島々の一部だったのである。

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ミステリー系・不思議系に特化したまとめを作って行きたいなと思っています^^