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5月2日は伝説のアーティスト【hide】の命日です

X JAPANのギタリストでもあった、伝説のアーティスト「hide」。今でも彼を慕うファンは多く、命日には沢山の参拝者が列を作り訪れます。そんな「hide」についてまとめました。

更新日: 2012年05月02日

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この記事は私がまとめました

boootankさん

この「まとめ」は、簡素ではありますが、日本を代表するロックミュージシャンであり、溢れる才能を持つアーティストだった「hide」に敬意を込めて作りました。

出生名:松本秀人
出生 :1964年12月13日
血液型:AB型
学歴 :逗子開成高等学校卒
ハリウッドビューティ専門学校卒
出身地:神奈川県横須賀市
死没 :1998年5月2日(満33歳没)

ロックバンド、X JAPANのギタリストである。X JAPANでは大文字で「HIDE」、ソロ活動では小文字で「hide」と、表記を区別している。33歳没。他界後も、X JAPANの現役メンバーという扱いになっており、ほかのメディアで数多くのhideの葬儀の動画が存在するなど、絶大な人気を誇る。

ミュージシャンとしての活動

横須賀サーベルタイガー結成

1980年頃、自らが中心となりアマチュアバンドサーベルタイガー(横須賀サーベルタイガー)を結成。曲を作り、ギターを担当した。SABER TIGERとは別のバンド。
1986年、サーベルタイガーは人気・知名度も上がり、その名が知られるまでになっていたがメンバーの脱退などをきっかけに解散。

横須賀サーベルタイガー解散後、1987年初めに当時のXに加入。

多くの楽曲でリードギターを担当した。また、一部曲の作詞および作曲も担当。ライブ等でも独自の派手かつ奇抜なパフォーマンス、ビジュアルで自らを主張し、YOSHIKIとはまた一味違う存在感を放った。

1993年からソロ活動開始.

作詞、作曲、ボーカル、ギター、ベース(一部曲)、プロデューサーなどほとんどを自らが行い、マルチプレーヤーぶりを発揮する。

hide with Spread Beaver

X JAPAN解散後、hideとソロ活動のツアーサポートメンバー(バックバンド)によるバンドである。

zilch(ヂルチ)

日本国外のミュージシャンと組んだバンド(ユニット)。 アメリカ(世界)デビューを計画しており、マリリン・マンソンから「前座でいいからやらせてくれ」「そのかわりアメリカをまわるときは一緒にやろう」と対バンを申し込まれたりもしていた。

主な使用機材

Burny製のモッキンバードモデル (MG-X)
フロントにディマジオ、リアにEMGのピックアップを搭載。
様々なデザインの物が多数存在する。

hideのためにフェルナンデスが開発したVH-401にサスティナーを搭載したピックアップの「イエローハートペイント」

「PSYENCE A GO GO」ツアーや、「ROCKET DIVE」プロモーションビデオでもお馴染みの“電飾”内蔵JGです。

難病の少女とhide

少女を友達だと紹介

難病であるライソゾーム病を患ったファンである少女、貴志真由子の「hideに会いたい」という願いを、支援団体のメイク・ア・ウィッシュを通じて受けたhideは1995年12月31日、Xの東京ドームライブで少女と会い、ライブの打ち上げにも招待して少女を友達だと紹介し、少女から不自由な手で2か月かけて編んだマフラーをhideにプレゼントされた(このマフラーはhideの死後、形見として少女の手に戻った)。その後も手紙を送ったり、お見舞いに訪れたりという交流を持ち、少女を励ますことになった。

「hideさんの声だけでも良いから聞かせたい」

1996年3月28日に少女は治療のために骨髄移植手術を受けたが、手術後の1996年4月1日に拒絶反応のため心臓に水が溜まり危篤状態となり、彼女の母親から「hideさんの声だけでも良いから聞かせたい」と電話を受けた時にはその日の予定を全てキャンセルし、病院へ駆けつけて数時間の間励まし続けた。結果、その晩に危篤状態を抜け出し徐々に病状は良くなって数ヵ月後には退院する事もできた。

個人的に骨髄バンクに登録

その後にhideは「できることをするだけ」とあくまで個人的に骨髄バンクに登録をしたが、その際に所属事務所が独断で急遽記者会見をセッティングしてしまい、実弟でありhideのパーソナルマネージャーを務めていた松本裕士は、そのことを一切知らなかったと後に出版した追憶本「兄弟」の中で明かしている。

「売名行為じゃねえか!!」

記者会見自体は行われたが、会見終了後にhideは「これじゃあ売名行為じゃねえか!!もしそんな風にマスコミに書かれてその娘が傷ついたらどうすんだ!!」と言って彼を殴り飛ばした(hide自身ももちろんその事は知らなかった)。慈善活動をひけらかすような行動を嫌っての事であったが、結果的にはこの報道が骨髄バンクの認知度向上に大きく貢献する事となり、以後もボランティア活動を続けていた。

貴志真由子さんは、hideが他界した11年後の2009年9月30日に、和歌山市内の病院で、肺出血による呼吸困難により28歳で他界した。

hideの死

1998年5月2日

朝7時30分頃、hideは自宅マンション寝室のドアノブに掛けたタオルで首を吊った状態で発見された。その後、病院に搬送されたが午前8時52分に死亡が確認された。

警視庁は自殺と断定

ドアノブにタオルを巻きつけて首を吊った状態で発見されたという状況証拠である。そのためニュースやワイドショーでは自殺したものと扱われた。

事故死の可能性も・・・

hideの自室には遺書がなかった事、死去前に自殺するような印象を残していなかった事、直前にも自殺を感じさせる兆候はなかったと証言されている事、生前のインタビュー、死去の数日前にhideが都内に建てるスタジオの土地の仮契約をしていた事、などといった理由がこれに関連する。

後に発表された松本裕士(実弟)の見解

「ギタリストである彼は、職業柄肩こりが激しく眠れない事もあったほどで、タオルなどで肩を吊ってマッサージしていたという。これは、スポーツ選手などがよくやる牽引(タオルを首にかけて引っ張る方法)である。死去直前の5月2日未明まで酒を飲んでおり泥酔状態でそれをしてしまった為、そのまま眠ってしまい、結果事故死した」

X JAPANのYOSHIKIは・・・

「彼は自殺するような人間ではない」と発言している。

「自殺」?「事故死」?

死去後に時間が経過してからは、テレビなどでhideを取り上げる際には「自殺」、「事故死」という言葉を使わず、「急死」または「急逝」とされている。その理由は「自殺、事故どちらも断定するには曖昧であるから」とされる。

5月3日に東京都中央区築地の築地本願寺に安置される。

翌日5月4日、週が明け本格的にワイドショーなどで大々的に取り上げられる。築地本願寺にファンが集まり始め、その数は千人規模となる。
5月5日には、関係者のみ300人を集め密葬が執り行われた。その間もファンは絶え間無く押し寄せ、その数は数千人にも膨れ上がった。

遺骨は四十九日法要をもって、神奈川県三浦市の三浦霊園に納骨され、一部はロサンゼルスの海に当時のzilchのメンバーや松本裕士によって散骨されている。

築地本願寺に出来る参拝者の列

隅田川テラスまで列を作る参拝者

墓石には愛用のギターを模したレリーフの隣に事実上遺作となった「HURRY GO ROUND」の歌詞と両親から息子へのメッセージが刻まれているほか、記帳用のノートも設置されている。

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