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【泣ける】スポーツ感動エピソード集【いい話】

あらゆるスポーツの感動エピソードやホロッとくるイイ話を集めてみました☆

更新日: 2018年09月12日

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この記事は私がまとめました

RAID-777さん

【泣ける】スポーツ感動エピソード集【いい話】

◆スポーツ感動エピソード集

【日本初のオリンピック出場マラソン選手の金栗四三の話】

金栗四三は、国内で世界記録を20分以上も塗り替えるような記録を出しながらも、
本大会では日射病で倒れ、行方不明扱いにされてしまった。
日本の期待を一心に背負いながら、それでも走りきれなかったことで、深い自責の念に駆られた。
それでも日本のマラソンの発展のために50年間尽くしてきました。

1967年、ストックホルムオリンピック委員会から「オリンピック55年祭」が開催されるので
来てもらえないかという連絡が届いた。
式典後、当時のコースを懐かしげに辿る金栗。
そして55年前にたどり着けなかったスタジアムに足を踏み入れました。
何故かそこには観衆と役員、そしてゴールテープ。
思い出のスタジアムで念願のゴールテープを切った金栗。

『日本の金栗がただ今ゴール。
          タイムは55年…。
                 これで第5回ストックホルム大会の全日程は終了しました』

【元プロ野球選手 村田兆治の話】

村田兆治が原因不明の右肘の痛みで何年も苦しんでいた時に、村田の父親が危篤に陥ってしまった。
村田が急いで父親の元へ駆けつけると、それまで昏睡状態だった父親が目を覚まし、
「兆治、わしの右腕をやる。だから頑張れ」
と、苦しい息の中で村田に言ったという。

村田は父親のその気持ちが嬉しくて涙が止まらなかったそうです。
父親は他界したが、その気持ちが通じたのか、村田は名医ジョーブ博士の手術により
右肘の痛みを完治する事が出来、見事に復活を遂げた。

【カズとサッカー少年の話】

リーグが始まった年だから、もう何年前になるんだろう。
名古屋の栄の焼き肉屋へ家族で行ったときのこと。
座敷席にカズさんと北沢選手と、数人の女の子がいた。多分遠征中だったのだろう。
当時高校生の俺の小学校三年の弟はサッカーをやっていた。
せっかくだからと、尻込みする弟をカズさんの前へ連れて行って、
「お楽しみのところすいませんが、弟がサッカーやっているんで、
何か言葉をいただけると励みになるんですが。」と厚かましく言った。

カズさんは「お、サッカー少年か」と楽しそうに言いながら、
座敷席の奥からわざわざ立ってこちらへ来てしゃがみ込み、弟と目線を同じ高さにした。
「サッカー少年は勉強がよくできるか?」と、いきなりキングは弟に聞いた。
弟の成績はそれなりによい。弟はうん、と答えた。

するとキングは「頭のいいやつは、トップ下MFがあってる」と、カリオカ、ラモスの名前を挙げた。
さらに何かを言おうとするキングに連れの女の子が「ねえまだー」と露骨にいやそうな顔をした。
カズは、振り返って一言言った。
表情は向こう向きだったから、わからなかったが、多分厳しい顔をしていたのだろう。

「うるさい。俺たちは今サッカーの話をしているんだ」

【中日ドラゴンズ時代の星野監督と中村捕手の話】

かけだしの頃の中村は常に星野にドヤされ続けていた。
鉄拳制裁はもちろん、時には、 「おまえなど辞めてしまえ!!」 のキツい一言。
本当に辞めようかと思い悩んでいるところに母親から一本の電話が。

「おまえ最近頑張ってるそうじゃないか。こないだ監督さんから連絡があってね。
見所のあるいい選手だからお母さんは安心して見ていて下さいと言ってくれたよ。」

その後、中村は10年近くに渡って中日不動の正捕手としと活躍した。

【大きな大きなホームラン】

アメリカのとある地方に野球観戦の大好きな、
でも、目の見えない少年がいました。
少年は大リーグ屈指のスラッガーである選手にあこがれています。
少年はその選手へファンレターをつづりました。

「ぼくは、めがみえません。でも、毎日あなたのホームランを
たのしみにしています。
しゅじゅつをすれば見えるようになるのですが、こわくてたまりません。
あなたのようなつよいこころがほしい。ぼくのヒーローへ。」

少年のことがマスコミの目にとまり、二人の対面が実現することになりました。
カメラのフラッシュの中、ヒーローと少年はこう約束します。
今度の試合でホームランを放てば、少年は勇気をもって手術に臨む、と。

そして、その試合、ヒーローによる最後の打席。2ストライク3ボール。
テレビや新聞を見た多くのファンが、スタジアムで固唾をのんで見守り、
少年自身も、テレビの中継を祈る思いで聞いています。

ピッチャーが投げた最後のボールは、
大きな空振りとともに、キャッチャーミットに突き刺さりました。
全米から大きなためいきが漏れようとしたその時、
スタジアムの実況が、こう伝えました。

「ホームラン! 月にまで届きそうな、大きな大きなホームランです!」

【アルゼンチンのプロゴルファー、ロベルト・デ・ビンセンツォの話】

あるトーナメントで優勝し、賞金の小切手を受け取って帰る準備をしていた。
彼が一人で駐車場に向かっていると、一人の女性が彼に話しかけてきた。
彼女は彼の勝利を称えた後、自分の子供は重い病気にかかっているが
お金がないために、医者に見せることもできないのだと彼に伝えた。

それを聞いて哀れに思ったビンセンツォは
「これが子供のために役立てば良いのだけど」
といって、獲得したばかりの賞金の小切手を彼女に握らせた。

翌週彼がカントリークラブで食事をしていると、
テーブルにゴルフ協会の職員がやって来た。
「先週、駐車場にいたやつらが君がトーナメントで勝った後、
そこで若い女性に会っていたといっていたが・・・」
ビンセンツォはうなずいた。
「実は」と職員は続けた。
「彼女は詐欺師なんだ。病気の赤ん坊なんていないんだ。結婚すらしていないんだよ。
君はだまされたんだ」
「じゃあ、死に掛けている赤ん坊なんていないのか?」
「そのとおりだ」
すると、ビンセンツォは笑いながらこう言った。

「そうか。そいつは今週で一番の良い知らせだ」

【アルゼンチン出身のサッカー選手テベスの話】

テベスの首と胸にある傷は、子供の時、熱湯を被って火傷を負った跡。
無知な母親が火傷した患部を毛布でくるんで病院に行ったので、跡が酷くなってしまった。
貧乏だったので最低限の治療しかできなかったせいもある。
だが今はお金もあって、傷跡を消すこともできるが、
自分がスラム街出身であることを忘れたり恥じたりしない証しとして、手術しないと決めている。

カルロス・テベス

【マイケル・ジョーダンの言葉】

チーム内では常にシュートを託される役目だが、「失敗した時」のことを考えないかと聞かれて。
「10本連続でシュートを外しても僕はためらわない。 
次の1本が成功すれば、それは100本連続で成功する最初の1本目かもしれないだろう。」

【中日ドラゴンズの立浪和義選手】

母子家庭に育ち、子供の頃から苦労掛けっぱなしの親に孝行するのは
当たり前の話であるが、彼はポケットマネーで孤児達を球場へ招待し
毎年、クリスマスのは孤児院へ駆けつけて、
一人一人に自筆のメッセージカードを添えてプレゼント。
正月には餅つきとお年玉を振る舞い、野球を教えている。
子供の誕生日には必ず電話と手紙で御祝いのメッセージを送り続けているのだ。
これは彼が20歳である3年目のシーズンから欠かさず続けていることなのだ。

【楽天リックの泣けるエピソード】

2006年10月1日、シーズン最終戦(フルキャストスタジアム宮城)9回裏2アウトで代打として登場。
あと1人塁に出れば、今季での引退が決まっている飯田哲也に回るという場面だった。
リックは打席へ向かう前に「イイダサン、ガンバルカラ(飯田さん、頑張るから)」と声を掛けた。
その時飯田は彼の一言に涙を堪える事ができず、ネクストバッターズサークルでずっと泣いていた。
結果リックはセカンドゴロに終わるが、飯田は「もしこの時自分に打席が回ってきても、
おそらく涙で打てなかった」と、後の引退会見の場で発言している。

【中畑清のいい話】

東京ドームが完成した時にGの選手たちのコメントが載っていた。
雨で中止がないのでコンディションが保ちやすいとか、
気温が一定で疲れが少ないとか多くの選手が歓迎コメントを言っていた中、
ひとり中畑清は、「空が見えないところで野球をするのは寂しい。」
と語っていた。

【ソフトバンク斉藤和巳が背番号を66のまま変えない理由】

エースに成長した背番号「66」の後ろ姿を天国から見守っている人がいる。
00年2月に亡くなった斉藤の妻・由美さんの祖父、松尾勇さん(享年80歳)だ。
葬儀の際に、勇さんに着せてあげたのが背番号「66」のユニホーム。
斉藤は、今もそのことを忘れていない。
「これで背番号を変えたら、きっとじいちゃんも分からないでしょうから」
その年のオフ、プロ5年目の初勝利でブレークした斉藤は、背番号の変更を球団から打診された。
それでも、勇さんへの思いもあってかたくなに断ったという。
「お盆には報告に行こうかなと思ってるんです」と由美夫人。
球宴に出場した投手の中で「66」は最も大きい番号。
今、斉藤の背番号は文字通りのエースの代名詞となった。

【最後はパパ、ホームラン打ってくるよ】

ある阪神の選手が引退を決意
引退試合には一打席だけ立たせてもらえることになった
愛する娘に「パパ頑張ってくるよ」と言うと
まだ幼いその娘は「パパはどうしていつもホームラン打たないの? 最後にパパのホームランが見たいよ」
と言った
その選手は所謂二番打者タイプでバントや流し打ちなど繋ぐバッティングを期待されていた選手だった
だからその娘は、ほとんど父親のホームランを見たことがなかった
それに気付いたその選手は「分かった。じゃあ最後はパパ、ホームラン打ってくるよ」
と娘に言い、試合に臨んだ

そして試合中、ランナー一塁の場面でその選手に打席が回ってきた
いつもより大きくバットを構える
相手投手も、ど真ん中にボールを投げる

そしてその選手は…………バットを構え、送りバントをした。

ランナーは二塁に進み、犠打の記録がつく
その選手は笑顔でヘルメットを掲げ、甲子園球場の声援に応えた
最後の最後まで自分のスタイルを貫いたその姿に、ファンも割れんばかりの拍手を返した

そして試合終了後、娘のもとによると、
その娘は約束を守らなかった父親に文句を言うこともなく
涙を溜めながら、笑顔でたった一言。

「パパ、お疲れ様、大好き」

【サッカー元イタリア代表トンマージの話】

MFトンマージ選手は、豊富な運動量を武器にボランチとして活躍した元イタリア代表。
彼は96年にベローナからローマへ移籍。
それ以降は毎シーズン、コンスタントに試合出場を続け、 安定したプレーをしている。
それまで彼の年俸は2億~3億円。
働きからしたら当然の収入なのだが、当時、財政難に陥っているローマのために、
自ら「安い給料でもいい」とセンシ会長に訴えたのです。

それ以降の月収は15万~20万円。
セリエAで最も“格安”な働き者ではないだろうか。
その善意を見かねたセンシ会長はトンマージにボーナスを支払ったのだが、
それすらも「いらない」と寄付したそうです。

彼はもともとチャリティーに熱心で、時間があると病院を訪問したり、
子供のチャリティーに参加したりと慈善活動を多くこなしています。

【泣ける】スポーツ感動エピソード集【いい話】2

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