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日露戦争(1904年(明治37年)2月8日 - 1905年(明治38年)9月5日)は、大日本帝国とロシア帝国との間で朝鮮半島と満洲南部を主戦場として発生した戦争である。両国はアメリカ合衆国の仲介の下で終戦交渉に臨み、1905年9月5日に締結されたポーツマス条約により講和した。

【政治家、外交官】

日清戦争後、伊藤は対露宥和政策をとり、陸奥宗光・井上馨らとともに日露協商論・満韓交換論を唱え、ロシア帝国との不戦を主張した。

陸軍軍人、政治家。西園寺公望と交代で首相をつとめ(桂園時代)、日英同盟締結、日露戦争、日韓併合などを主導した。

政治家。日露戦争の外債募集に手腕を発揮し、横浜正金銀行頭取などを経て44年(1911)日本銀行総裁に就任。

外交官。日露戦争後のポーツマス会議に全権として出席し、日露講和条約を締結した。

【陸軍軍人】

左から順に黒木為楨 野津道貫 山県有朋 大山巌 奥保鞏 乃木希典 児玉源太郎 川村景明

日露戦争時は参謀総長として作戦指揮にあたる。

西郷隆盛の従弟。日露戦争では満州軍総司令官。

日露戦争では満州軍総参謀長として活躍し、大山厳満州軍総司令官を補佐。39年(1906)陸軍参謀総長となる。

日露戦争では第1軍司令官として鴨緑江から奉天の会戦まで連戦した。

日露戦争には第2軍司令官として出征。

日露戦争では第3軍司令官として旅順攻略を指揮するも、困難を極めた。

日露戦争時には第10師団長、明治38年(1905)大将となり鴨緑江軍司令官として奉天会戦に参加した。

1904年(明治37年)2月、大本営参謀に就任し、同年6月から日露戦争では満州軍総司令部参謀として、それまでの経験を活かして諜報部において手腕を振るう。

日清・日露戦争では騎兵部隊指揮官として活躍した。

日露戦争中はストックホルムでロシア国内攪乱を狙った諜報活動を展開した。

【海軍軍人】

日露戦争前の36年(1903)に連合艦隊司令長官に就任。日露戦争ではみずから主要作戦を指揮し、バルチック艦隊を日本海海戦で全滅させた。大正2年(1913)元帥。

日露戦争では連合艦隊参謀長として東郷平八郎を補佐。

日露戦争では連合艦隊作戦参謀として活躍。

日露戦争には第1艦隊第3戦隊司令官として出征。

日露戦争には第2艦隊司令長官として蔚山(ウルサン)沖でウラジオストク艦隊を撃破した。

海軍軍人、政治家。その活躍から鬼と呼ばれた第四駆逐隊司令鈴木貫太郎

日露戦争には戦艦「朝日」の水雷長として出征。37年(1904)3月27日、第2回旅順港閉塞戦で「福井丸」の指揮官となり、行方不明の部下を捜索中にボート上で被弾、戦死した。死後中佐となり、軍神として国民的英雄となった。

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