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落馬から度重なる骨折で休養の後藤浩輝騎手 不屈の精神でカンバックも自殺…本当なのか?

頚椎に軽いヒビが入っていることが判明した後藤浩輝騎手(40)は、完治まで1か月程度を要すると診断されたようですが、復帰が秋以降になるなど思いのほか重傷。それにしても危険と隣り合わせの仕事ながら不運が多い後藤騎手ですが、ファンが多い騎手だけに頑張ってもらいたかったのですが

更新日: 2017年12月26日

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egawomsieteさん

■有馬記念を制したキタサンブラックの武豊。その勝利を報告した意外な人物とは

クリスマスイヴに行われた第62回有馬記念はキタサンブラックが優勝。武豊騎手が1番人気に応える見事な手綱捌きでヴィクトリーロードをいざない、同馬のラストランを飾ってみせた 。

「もはや競馬の枠を超えたエンターテイナーでしたね」

 その大盛況ぶりをそう評した武豊は「有馬記念で負けていたらと思うとゾッとする」と続け、皆の笑いをさそった。

 実際、競馬は負けるのが当たり前のスポーツ。過去には負けた直後に引退式をする馬も何頭も見てきた。

 そんな中、キタサンブラックがハッピーエンドを迎えられたのはもちろん偶然ではない。

「天才騎手」とよく言われる武豊だが、人一倍の考察力と誰にも負けない下準備、技術があるからこそ実績を残せているのである。

 この日も有馬記念に一意専心するため「他馬の関係者に理解していただき」(本人)他のレースには騎乗せず、グランプリ1鞍にのみ乗って栄冠を勝ち取った。

 セレモニーでの大合唱後には「僕はウタではなくウマ、歌手ではなく騎手」と苦笑しながら語ったが、実際に彼の頭の中は「いかにすればよい騎乗が出来るか」を考えることで一杯なのだ。キタサンブラックの引退に向けて、彼が言った言葉にもそんな思考を伺うことができた。

 「キタサンブラックにはたくさんの経験をさせてもらい、いろんな事を勉強させてもらいました」

 誰もが認める日本一の騎手でありながら、そう言えるところに武豊の競馬に対する真摯な姿勢が伺える。

レース後に私は面白い光景を目にした。ウィナーズピクチャーを撮影するため、レイをかけられたキタサンブラックに武豊が再び騎乗。写真撮影のための態勢が整うのを待つ間に、そのシーンは起きた。

 馬上からチラリと空を見上げた武豊は右手を天に向け小さくガッツポーズ。さらに2度、3度と夕陽に赤く染まる雲が浮かぶ天を見上げたのだ。

 その行為にどんな意味があったのか?

 セレモニーが終わった後、本人に問うと、最初は「そんなことしていたかなぁ?」とトボけたものの、その後、2人の名前を挙げて「報告しました」と語った。

 1人は「父」。往年の名騎手であり、昨年の夏に他界した武邦彦。彼に有馬記念を勝ったことを伝えたと言う。

 そして、もう1人。思わぬ人物の名を彼は挙げた。

「あと、後藤浩輝にも報告しました」

 これが20戦目で引退の1戦となったキタサンブラック。デビュー戦は2015年の1月31日だったが、その時、騎乗したのが後藤浩輝だった。後藤と共に初めてファンの前に姿を現した鹿毛の若駒は、強烈な勝ち方をしてみせた。後に数々の栄冠を手にするキタサンブラック物語の幕明けは後藤浩輝と共にあったのだ。

しかし、それから1カ月と経たない2月27日、後藤は唐突に逝ってしまった。

 武豊がキタサンブラックとコンビを組むのは1年以上後のことである。つまり、騎乗するからといって後藤から何かを聞いたということもなかったはずだ。それでも彼は今は亡き戦友に報告をした。その事実を聞き、武豊が抱えていたであろう一つの重圧を初めて知った思いがした。

 キタサンブラックを無事に繁殖にあがらせる。それはこの馬が名馬だから、というだけではない。キタサンブラックのその後の大活躍をみることなく星となった同志・後藤浩輝のためにも、それが使命だと、日本一のジョッキーは考えていたのだろう。

■「5月10日」に昨年自殺した後藤浩輝騎手のファンイベント開催? 司会や「ゲスト」に多くの憶測が......

昨年2月、突然自らこの世を去ったJRA所属・後藤浩輝騎手。いまだにその「死の謎」はマスコミで時折語られるところだが、真相は不明のままだ。

そんな後藤騎手が生前大切にしていた日があったようだ。それは「後藤」の名字にかけた「5月10日」。自身の結婚記念日にもしていたようで、この日を大切に思っていたファンも多いという。

 そんな5月10日に、後藤騎手に関するイベントが開催されるそうだ。タイトルは「後藤浩輝騎手ファンの集い 510(ゴトー)の日」。新宿歌舞伎町の会館で、90人先着制の食事会ということだ。すでに主催のヴィクトリースター株式会社が特設応募フォームを開設している。

 ゲストには生前交流があった小林淳一元騎手(現JRA競馬学校教官)が登場することとなっているそう。後藤騎手の思い出を振り返り、「いつまでも後藤騎手を忘れない会」というコンセプトらしい。

競馬界きってのエンターテイナーとしてバラエティなどにも出演し、ファンサービスにも積極的だった後藤騎手。ファンそれぞれに後藤騎手との思い出があるに違いない。そういう意味では、このような会ができるのも必然か。会費は「5100円」と、ディナー会の形としては割安である。後藤騎手ファンにとっては最高のイベントなのではないか。

 ネット上でも「行きたいな」「司会は誰なんだろう」など興味津々な人は多い様子。後藤騎手の命日が誕生日でもある藤田伸二元騎手がくるのではないか、2度の落馬事故の原因となった岩田康誠騎手がきたら波乱必至など、他にどんな人物が登場するのかにも注目が集まっている。さすがにないとは思うが......。いずれにせよ、後藤騎手のタレント性やキャラクターを感じるネットユーザーの反応が多くあった。

後藤騎手を超えるタレント性を持つ騎手といえば、武豊騎手しか思い浮かばないのが現状だ。藤田菜七子騎手も現在はフィーバー状態だが、騎手として結果を残せなければ今後表に出てくる機会が減るのは目に見えている。

"勝負師"だらけの競馬界で通算1400勝以上をあげた上で、サービス精神がありテレビ映えする騎手というのは非常に貴重だ。後藤騎手の存在の大きさを、時間が経つにつれてより強く感じる人も多いかもしれない。

 最近は以前の"西高東低"の印象も薄まり、関東でもクラシック馬や有力候補を多く送り出せるようになった。今の競馬界に、美浦所属だった後藤騎手がいれば......より楽しく競馬観戦ができていたと思うと残念でならない。本当に惜しい人を亡くしたのだと痛感する次第だ。

■後藤騎手の死から1年…競馬をファンを愛したかけがえのない存在と痛感

約1年前の2月27日に1人の騎手が、自らの手で命を絶った。後藤浩輝騎手。彼の死から1年が経過して、記者があらためて思ったことを書きつづりたい。

存在の大きさを実感したのが正直なところだ。これはレースに関してではない。個人的な感想として捉えてもらいたいのだが、JRA通算成績1447勝のスター騎手がいなくなっても競馬は毎週のように行われ、G1レースは盛り上がり、何事もなかったように時は過ぎ去った。JRAには多くの所属騎手がおり、レースを運営するという意味での不自由はない。ただ、後藤騎手という存在はレースだけではなく、競馬を取り巻く環境の中で大きな影響力を与えていたことに気がついた。

 お立ち台での派手なパフォーマンスなどから、おちゃらけたイメージばかりが先行し、競馬に対して真摯(しんし)に取り組んでいないと勘違いされるタイプ。記者もファン時代や実際に取材をする以前はそのように思っていた。ところが何度も取材をし、じっくりと話を聞けば聞くほどイメージは変わった。誰よりも競馬を愛し、そして競馬ファンを大事にしていた。

派手なパフォーマンスや奇をてらった発言ばかりが目立ってしまうが、ファンが参加するイベントには積極的に参加し、ボランティア活動も先頭に立って行った。全てが競馬全体を盛り上げるための行動。自らが前へ出て露出することによって、より多くの人に競馬というものを知ってもらおうとしていた。ファンへの愛情は人一倍に強く、競馬界にとっては掛け替えのない騎手だった。

 14年10月8日、美浦トレセンの乗馬苑。後藤騎手は同年4月に落馬負傷してから休養しており、この日は復帰に向けての第一歩として乗馬用の馬に騎乗していた。

その時の言葉が忘れられない。「家族に心配をかけて、自分も痛みに耐えながらジョッキーをやる価値はあるのか。休養中は自問自答する毎日だった。これまで引退の二文字は心の中によぎったことはあっても、口に出して言ったのは今回が初めて」と当時の素直な心境を語り、それでも復帰を目指したことについては、「ファンの応援があったからこそ。落馬して馬場で動けなくなった僕をここまで戻してくれたのはお客さん。当然、自分自身も騎手人生で最後があのレース(落馬したレース)では納得がいかないところはある。ただ、それだけでは動けなかった」と語っている。

自分を待ってくれるファンがいる限りは全力で戦い続ける。そんな強い意思表示が伝わるコメントであり、後藤騎手の目線の先には常にファンがいることを再認識した。

 この1年。競馬は何事もなかったように行われた。ただ、レースでの騎手の代わりはいても後藤騎手の代わりはいない。これが記者が素直に実感したことだ。

■ファン2000人が別れ

2月27日に死去した後藤浩輝騎手(享年39)のメモリアルセレモニーが5日、中山競馬場で最終レース終了後に行われた。

 ファンを大事にした後藤騎手らしく、朝から雨が断続的に降り続ける悪天候にもかかわらず、約2000人のファンが集まった。

 黙とうに続き、師匠の伊藤正徳調教師、騎手時代の同期・小林淳一氏(現・競馬学校教官)、家族ぐるみで親交のあった三浦騎手が思い出を語り、故人をしのんだ。

伊藤正調教師は「すごくかわいい子で勉強が好きだったし、歌もうまかった。ただ、よその馬ではよく勝ったけど、うちの馬では下手に乗った」と笑わせ、小林氏は近くで見てきた“ライバル”の姿を「競馬でもファンサービスでもまったく妥協しなかった」と評した。

 続いて全国から集まった3万415人分の記帳・メッセージカードが遺族へ手渡された。妻の麻利絵さんは「これだけ多くの方々に愛され、支えられていたと感じました。(以前)競馬場に戻ってファンの前で引退したいと言っていたので、彼の望みである“引退式”をこうしてさせてもらえることにも感謝しています。これからもみなさんの胸の中で後藤浩輝を輝かせてあげてください」と涙ながらに語った。

最後には騎手仲間が、中央に置かれた後藤騎手のパネル(ショウワモダンで2010年安田記念を制した時のもの)を囲んで写真撮影。まさに“引退式”さながらにパネルを胴上げして改めて後藤騎手を天国へ送り出した。

 号泣するファンも多かったが、最後には笑いが起こるシーンも。「人を喜ばせることが大好きでサービス精神旺盛だった」(母・聡子さん)という後藤騎手らしいセレモニーとなった。

■後藤浩輝騎手メモリアルセレモニー

本日、中山競馬最終レース終了後に後藤浩輝騎手メモリアルセレモニーが開催され、ファンからのメッセージ等はセレモニーに出走した遺族に渡された。

●ご記帳・メッセージ総数
・ご記帳(2月28日~3月29日分)
29757名
・メッセージカード(本日分)
658名

※なお、本日は1160名の献花があった。

■4月5日に故・後藤騎手の引退式を実施

JRAは28日、2月27日に死去した後藤浩輝騎手(享年40)の引退に伴うメモリアルセレモニーを4月5日に実施すると発表した。中山競馬場パドックで最終レース後(午後4時40分頃)に行われる。

 葬儀・告別式は密葬の形を取ったため、遺族や師匠の伊藤正徳調教師がファンにも送り出してもらう場を検討。「騎手としてひとつのけじめをつけさせたい。“引退”という部分を強調したかった」と同調教師は語った。当日は中山競馬場センタープラザに献花台を設置、メッセージカードの受け付けも行われる。

■あんな律義な青年はそうはいない

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