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千日デパート火災とは

千日デパート火災(せんにちデパートかさい)とは、
1972年(昭和47年)5月13日、大阪市南区(現在の中央区)千日前の千日デパートで起きた火災。
下記にあるとおり、実際には百貨店ではないことから
「千日デパートビル火災」という呼称も多く使われる。
また、地名から「千日前デパート火災」とも。
死者118名・重軽傷者78名という日本のビル火災史上最悪の大惨事となった。

事故の概要

22時27分頃、3階婦人服売り場より出火。
延焼は5階までだったが、建材の燃焼による有毒ガスが階上に充満し、
避難設備の不備と従業員の不手際が重なって、多数の死傷者を出す惨事となった。

出火原因は電気工事関係者のたばこの不始末で、
出火場所は3階フロアーの南東角の部分であったという。
逃げ道であるはずの階段室が煙突の役目を果たし、
営業中であった7階のアルサロ(アルバイトサロン)「プレイタウン」にまたたく間に煙が充満。

たまたま土曜日で、休みの前日に当たり店内には客が多かった
(当時はまだ週休二日制は一般的ではなかった)。
更にエレベーターが火災による停電で停止。
逃げ場のなくなった客の中には窓ガラスを割り、
15m下の地上目掛けて飛び降りた者もいたが、
飛び降りた24名の内22名が全身挫傷や頭蓋骨折などで死亡。

被害を拡大させる一因となった。飛び降りなかった客の多くも
一酸化炭素中毒で窒息死し96名が7階フロアで折り重なるように倒れていたという。
一部は、窓枠にしがみつき半身を乗り出した状態で絶命していた。
また非常誘導路上に間仕切りが施され、事実上消失していた事等、
雑居ビルの欠陥を露呈させる事件となった。

当時の映像

youtubeのコメント欄から

私は当時1歳だったのでこの火災自体は全く記憶にないが、
小学生だった頃、両親に連れられよくこのそばを通ると、
周りは繁盛し賑やかなのに対し この場所だけが
背の高い工事用フェンスで囲まれ目隠しされ
子どもながらに怖ろしいほどの不気味さと
異様な雰囲気を感じたの­を今でも強く記憶している。


この場所で何があったのかは20代後半になってから、­
たまたま家族といっしょに見ていた『昭和の大事件』か
何かという­(題名はうろ覚え)テレビ番組を見ながら、
父親が当時の火災の起­こったその日にこの火災のそばで、
まさにその現場を見ていたこと­を知ったのだが、
それ以前に、この場所では不思議な体験をしてい­る。

夜中・・・この千日前通を仲間と歩いているとき、
地面をたた­きつける「ドスン!!」という音を何度か聞いたことがあった。
そ­れは、私だけでなく私の仲間も聞いていたし、
周りにいた通りすが­りの人たちもその音を聞き振り返り、
口々に「今なんか落ちたでな­ぁ?」「何か落ちてきたんちゃう?」と言って
一瞬その場に居た人­間が立ち止まってキョロキョロしていた。
しかし、私も含めて仲間­は皆ほとんど同世代(昭和45~48年生まれ)で
この火災があっ­たことはほとんど知らないわけで、
当時は遊ぶことが先でそんなこ­とに興味すらなかった。

まぁ・・・後々、そのテレビ番組を見て父­親の話でわかったが、
そのときに始めて何の音かがわかり背筋がゾ­ッとした。
追記しておくが、この経験は一度だけでなく、
私が覚え­ているだけでも5回は経験している。

千日デパート火災から40年

2ちゃんねる オカルト板 の“千日デパートってどんな建物?”スレから

千日デパートは、1958年(昭和33年)12月1日開業。
屋上に1960年(昭和35年)から設置された
観覧車は大阪名物となっていた。

22. 元社員 [ ] 02/06/12 01:41
プランタン灘波の時、勤務していたが、地下の従業員休息所でタバコを
吸うときは、いつも肩が重くなるような気がした。
実際、従業員の殆んどは何らかのお守りを持っていた・・・

23. 3年プランタンにいました [ ] 02/06/12 02:16
幽霊は鏡が苦手だそうで、エスカレーターの近くや柱は鏡になってました。
あと、煙で苦しくなって、南側の窓から飛び降りた人がアーケードにたまって
そこが血の海になっていたとか。
遺体安置所が8階だったそう。

25. [ ] 02/06/12 03:32
俺の聞いた話では、何か見えても「鏡ですよ」ですますため全面鏡にしていた、とか言うことだそーだ。
ちなみに、その手の話しは建物の中だけではないそーな。いまだに・・・。

36. あなたのうしろに名無しさんが・・・ [ sage ] 02/06/13 15:31
古地図に載ってますね。千日墓地。
これは人権関係の本で見たんだけど。

私もプランタンでバイトしてたよ。
従業員用の階段の2階踊り場で出る、とか
朝一で誰もいないフロアに一番乗りした人が
暑いよー暑いよーって苦しんでる大勢の人を見たとか
営業終わってフロアの電気が消え、
ちょっと残業してた人がさあ、帰ろうって従業員用の
エレベーターに行こうとしたら
近いのになかなかたどりつけなかった、で2人くらいの
人影が見えたからあの人に付いて行こうって
追ったんだけどなかなか追いつけなくて
でも、途中でいなくなった。とか色々聞きました。

江戸初期には近郊農村であった
西成郡難波村と西高津村の一部であり、
1615年、市内の墓地の整理により
「千日墓地」と呼ばれる大規模な墓地がつくられ、
刑場・焼き場も併設された。
これが後にさまざまな噂話や因縁話の
原因にされることとなる。

明治以降、刑場は廃止され墓地が
阿倍野に移転して繁華街が広がって行くことになるが、
当初は墓地跡・刑場跡(晒し台・磔台・獄門台)ということでなかなか買い手がなかった。

32. [ sage ] 02/06/12 21:04
そういや、以前勤めてた会社の同僚が言ってたのですが、
昔あの辺りは刑場で、
そこで処刑された人の数と、火災の被害にあった人の人数が
一緒だったとか。。。
ガセ??


33. 30代後半関西人 [ ] 02/06/12 23:05
千日デパートのテーマソング

♪ たのしいお買いもの
♪ たのしいショッピング
♪ 千日、万日、千日デパート

関西の30代後半の人の多くがこのお気楽な曲を
しっている。ゆえにあの惨劇はショックだった。
>>32の刑場の話は本当だ。大阪では結構有名な
都市伝説だ。首切り場だったとか。
最上階だったかキャバレーがあった。当時ミニスカート
がはやっていたので、ハシゴ車の救出の際、ホステスが
人目を気にしてはかどらなかった。それが惨劇をさらに
拡大させたと記憶している。現在廃業しているプランタン
なんばの場所がそこだ。


38. 千日こわい [ ] 02/06/13 20:07
>>34
この歌はテレビで宣伝していたよ。

知人の目撃談だが。。。。

この場所は、大阪でもにぎやかで深夜も明るい
町なのだが、夜2時半ごろ、旧プランタンなんば
(旧千日デパート)の暗い屋上から30人ぐらいの人が
横並びで、下の雑踏を見下ろしていたのを見たといっていた。
下の明かりに照らされて、かなり実体感のある人々だったが
老若男女様々な人がいたとの事。
(百貨店なので当然しまっている。)

千日前 楽天地

楽天地(らくてんち)は1914年(大正3年)から
1930年(昭和5年)まで大阪・ミナミの
千日前にあった劇場・演芸場・レジャーの殿堂。
大正時代の大阪を代表するハイカラな名所だった。


※後に千日デパートが立てられた場所

大阪歌舞伎座

大阪歌舞伎座(おおさかかぶきざ)は、
1932年(昭和7年)から1958年(昭和33年)まで
大阪市中央区(当時南区)難波千日前にあった
歌舞伎劇場である。

※後に千日デパートが立てられた場所

36. あなたのうしろに名無しさんが・・・ [ sage ] 02/06/13 15:31
古地図に載ってますね。千日墓地。
これは人権関係の本で見たんだけど。

私もプランタンでバイトしてたよ。
従業員用の階段の2階踊り場で出る、とか
朝一で誰もいないフロアに一番乗りした人が
暑いよー暑いよーって苦しんでる大勢の人を見たとか
営業終わってフロアの電気が消え、
ちょっと残業してた人がさあ、帰ろうって従業員用の
エレベーターに行こうとしたら
近いのになかなかたどりつけなかった、で2人くらいの
人影が見えたからあの人に付いて行こうって
追ったんだけどなかなか追いつけなくて
でも、途中でいなくなった。とか色々聞きました。

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