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謎の死を遂げたマリリン・モンローの写真とケネディ家FBIとの関係

マリリン・モンローの写真コレクション

更新日: 2014年07月24日

nobuyuki5さん

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マリリン・モンロー

本名ノーマ・ジーン・モーテンセン
Norma Jeane Mortensen
ノーマ・ジーン・ベイカー
Norma Jeane Baker
生年月日1926年6月1日
没年月日1962年8月5日(満36歳没)
出生地カリフォルニア州ロサンゼルス
死没地カリフォルニア州ロサンゼルスブレントウッド
国籍アメリカ合衆国
職業女優
ジャンル映画
活動期間1947年 - 1962年
配偶者ジム・ドハティ
ジョー・ディマジオ
アーサー・ミラー

1962年8月に36歳で死亡

1962年8月5日、36歳という若さで自宅の寝室で全裸で死んでいるのが発見された。死の直後、マスコミでは「死因は睡眠薬の大量服用による急性バルビツール中毒で、自殺の模様」と大々的に報道され、世界に多大な衝撃・悲嘆が駆け巡った。

今なお謀殺説が叫ばれているマリリン・モンロー

部屋から彼女の赤い手帳が消えていたり、電話の通話記録が改ざんされた疑いなどが浮上し、今なお謀殺説が叫ばれている。ジョン・F・ケネディと不倫関係にあったことや、ふたりを紹介したのがマフィアと関係が深かったフランク・シナトラであったことも、謀殺説を後押しした。

ハリウッドを代表するスターであると同時にセックスシンボルとして世界中の人に知られています。

ジョン・F・ケネディとの浮気

ジョン・F・ケネディ(以下JFK)が大統領に就任した1961年1月20日は、偶然にもマリリン・モンローが3番目の夫アーサー・ミラーと離婚した日でもありました。一時はJFKの45歳の誕生日にも招待されるほど親密になり、ファーストレディを夢見たマリリン・モンローでしたが、分かっているだけでも30名近い女優等の女性と浮名を流したJFKにとって、マリリン・モンローはその他大勢中の1人という存在に過ぎませんでした。

大統領になってからも関係が続く

。ケネディが大統領に就任した後は、ニューヨークのカーライルホテル内にある大統領専用のペントハウスで会うようになった。

このペントハウスは完全に外部の者をシャットアウト出来る理想的な場所であり、大統領の側近でさえ、ここに頻繁(ひんぱん)に出入りするのが誰なのか知らないような場所だった。

モンローさんは不倫関係にあった大統領との結婚を切望

モンローさんは不倫関係にあった大統領との結婚を切望。電話でその意思を告げられた妻のジャクリーンさんは、これを承諾したという。新著は、米国人にとって特別な存在であり続ける夫妻が、「本当に愛し合っていたのだろうか」と問いかけている。

結局、大統領とモンローは結婚しないうちにモンローは死んだ。

当時の大統領の秘書は「大統領が彼女と結婚したのは、愛していたからではなく、大統領には妻が必要だったからだ。2人が愛し合っていなかったのは真に明白だ」と、証言。大統領は多数の女性と不倫関係を持ち、ジャクリーンさんは夫の裏切りではなく、スキャンダルが発覚し自分が世間の笑いものになることを最も恐れていたという。結局、モンローさんは大統領との結婚を果たせず、36歳だった62年8月に自宅で全裸で死んでいるのが発見された。

外遊中に何者かによって暗殺され、その暗殺劇は、米国で長年謎とされてきました。

手前に見える丘の上から発射されたという説もありますが、真相は不明です。

関係のあったロバート・ケネディも1968年に暗殺される

1963年に兄が暗殺された後、ニューヨーク州の上院議員選に出馬して11月に勝利したが、1968年に、民主党の大統領候補指名選のキャンペーン中に暗殺された。

兄の死を受けて大統領に立候補しますが、大統領になる前の選挙キャーンペーン中に暗殺されました。

死亡の前日にロバート・ケネディとも面会

前日の8月4日の夕方、マリリンの自宅には、友人である宣伝係のパトリシアが来ていた。また、ロバート・ケネディ司法長官(ケネディ大統領の弟)も訪ねてきていた。そして更に、17時ごろ精神分析医であるグリーンソン医師もマリリンの自宅を訪れている。

その後ロバート・ケネディ司法長官が帰り、18時ごろパトリシアが帰り、グリーンソン医師も18時30分ごろ帰り、来客は全て帰った。

死亡確認から5日後、検視結果が発表され、マリリンモンローは自殺と断定

死亡確認から5日後、検視結果が発表された。死因はバルビタール剤(睡眠薬の一種)の過剰摂取による急性中毒である。彼女の血液100グラムの中から4.5ミリグラム、肝臓から13ミリグラムのバルビタールが検出された。「自殺の可能性が高い」とも発表され、この結論が現在でも公式な見解となっている。

CIAの依頼でマフィアによって殺された?

CIAの依頼によってマフィアに殺されたというのが真相

1991年、マリリンの死から30年近くが経って、この事件の真相として、一冊の本が発行された。「ダブル・クロス」というタイトルのこの本は、アメリカマフィアのボスであるサム・ジアンカーナ(故人)の弟・チャックと、その息子サム(故人と同じ名)が書いたものである。

この本によれば、マリリンは自殺ではなく、CIAの依頼によってマフィアに殺されたというのが真相となっている。

ケネディ家と深い仲であったサム・ジアンカーナ

ケネディ家と古くから深いつながりを持っており、ジョン・F・ケネディの当選の陰の功労者であることが明らかになっているだけでなく、暗殺の黒幕の一人とも言われている。

1940年代からシカゴで活躍したマフィアの親玉で、ケネディ家と親しかったとされています。

しかし、

マリリン・モンローは、マフィアの手先だったというのが真実味

マフィアのボス達はシナトラやマリリン・モンローの手を借りて、ジョン、ロバート、エドワードらケネディ三兄弟を脅迫しやすい立場に追い込み、その『評判をおとしめ』ようとしていたと言うのだ。

ケネディ家暗殺事件は、闇の中へ

チャールズ・"チャッキー"・ニコレッティ(Charles "Chuckie" Nicoletti)やジョージ・デ・モーレンシルト(George de Mohrenschildt)といったケネディ大統領暗殺事件に関わったとされる人物がアメリカ下院特別委員会による証人喚問が決定した直後に殺害されるという事件があった。

マリリン・モンローさんは、15才の時に妊娠出産しましたが,その後13回中絶手術を受け、わかっているだけでも二度流産していたそうですから、16回は妊娠していたと思われます。

父親が誰であるかもわからず、彼女はすぐに里子に出され、「家庭」というものをほとんど知らずに育ちました。それどころか、里子に出された先の家で彼女はどうやら虐待もしくは性的虐待を受けていたのです。

ジョー・ディマジオとの結婚と日本への新婚旅行

映画関係者を通じて知り合った2人は、結婚して日本に新婚旅行に来ますが、その結婚生活は長く続きませんでした。もともと、野球選手と映画スターは、全く相容れないものでした。

マリリン・モンローの二人目の夫は、ジョー・ディマジオ。ジョーは、野球の選手。彼は嫉妬深い正確で、彼女に対して暴力を振るうこともたびたびあったようです。彼しつこいプロポーズに根負けし、マリリンもついに結婚を承諾。新婚旅行として日本を訪れました。しかし、その後離婚。

1954年1月14日に二人は結婚し、同年2月1日に新婚旅行で日本を訪れた。 日本では、アメリカを代表するスーパースターであるはずのディマジオよりもモンローの方に記者の質問が集中し、ディマジオはプライドを傷つけられてしまう。

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nobuyuki5さん

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