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元ヤン芸人まとめ!!

「元ヤン」をメディアで公言している芸人のプロフィールを集めてみました!!ちなみに、サムネイル画像は劇団ひとりです!

更新日: 2015年05月23日

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この記事は私がまとめました

fukurowさん

芸歴の長い順に表示しています↓

デビュー当時、吉本興業が付けた売り込みのキャッチは「女子大生と元スケバン」だった。

その他:『Oh!どや顔サミット』(ABC・テレビ朝日系)「元ヤン有名人大集合!あの頃はとんでもないバカで、本当に申し訳ございませんでしたスペシャル!」(4月20日放送)に出演

1984年デビュー
吉本興業所属

元ヤンキーの経歴を生かし吉本でのし上がろうという野心から漫才コンビ「生野ブラザーズ」(のち「生野ヤンキース」から「ヤンキース」へ)を結成。
若い頃の性格は凶暴で、千原兄弟のせいじは中学生時代、当時既に芸人だった長原を大阪アメリカ村で目撃し、名前を呼んだだけで顔面を殴られたという。

1985年デビュー
マセキ芸能社所属

高校時代はヤンキーで、当時のあだ名は「キレたナイフ」だったと自称している(この発言をすると「『キレるナイフ』じゃないのか」とツッコまれるのが恒例)。

高校時代はヤンキー向け車雑誌『ヤングオート』を愛読、クラスで回し読みしていた。『ヤングオート』のインタビューでは半ヤンキーだった高校生活を振り返っている。

1991年デビュー
太田プロダクション所属

土田晃之はヤンキーだった。一時期の宇梶剛士のように、その事実を前面に押し出してはこないが(総長として殴る蹴るしてた人による若い人に向けての説教って、その構造にそもそも難がないだろうか)、リーゼントで不良座りしていた写真を番組内で公開している。

沖縄時代のゴリは相当の不良でならしたことで有名。友人五人と深夜スーパーマーケットに侵入して、アクション映画さながらの警察との捕り物劇を繰り広げた経験があると、自ら公共の電波で発言している。

品川「佐田みたいな奴いて例えば喧嘩とかするとおれも手柄は残したいわけ。そんなに喧嘩好きじゃないけど。だから最初に出るのはおれってもう決まってんの。声もデカいし、まず腹式呼吸だから。」

各コンビ出る前にキャッチコピーを言ってもらったんですが、僕らは『ヤンキー取扱説明書、烏龍パーク』でした。
自分で言うのもなんやけど、かなりしっくりきてしまった…

中学生の頃は不良だった。不良の道に進んだ切っ掛けはいくつかあるが、優秀な兄と比べられ嫌だった、親に見て貰いたいという感情が間違った方向に行ってしまったと話している。

暴走族“幻影”の元総長で、当時の福岡では最大勢力を誇った。数々の武勇伝を残している。

暴走族『汝風(なち)』の元メンバー。元連絡隊長。
連絡隊長だった清人が「総長が企画した暴走行為を連絡しなければ暴走行為は起こらなかった」という理由で、逮捕されたことがある。

高校時代は現在の見た目とは正反対で、富澤は不良グループの1人で、伊達は優等生タイプであった。

特攻服に身を纏い、暴走族風のスタイルで芸を行う。実際、北海道の暴走族3団体のトップだったという過去を持っている[1]。

高校を中退しており、元暴走族である。初代「時雨」。ただし北海道という地域のため、暴走族の活動可能期間は限られていた。また暴走族の卒業式もあった。
男らしい性格で今でも喧嘩になることが度々あり、その喧嘩は「栗山fight」と呼ばれている(ミルククラウン竹内によって命名)。

元暴力団構成員であることを公言しており、「32歳になって初めてボールに向かってバット振った」などと自らネタとして用いるときもある。16歳の頃極道に入り、少年院を経て極道を辞める。また、上の兄弟3人も元不良で、熊本では「重岡四兄弟」と恐れられていた。長男に関しては、中学の時に「無敵」というあだ名をつけられている。

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