1. まとめトップ

この記事は私がまとめました

nanperさん

ヒクソン・グレイシーに「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」の取材をした時、まわりの人間は気づいていなかったが、僕とヒクソンはにらみ合い一触即発となった。「これはノンフィクションなのか」と怒りの眼で聞いてくるヒクソン。「イエス」と答えると、彼の眼が「覚悟はあるのか」と光った。

ヒクソンはだから、インタビューの間ずっと不機嫌だった。この取材の自分にとっての意味を考え続けながら答えていた。帰り際「シャトゥーン ヒグマの森」を渡すと「これもノンフィクションか」と聞いた。「いや、フィクションです」と言うと肯いて笑った。僕がヒクソンを見る視線はあれから変わった。

ヒクソンはもちろん格闘家だけれど、間違いなく思想家でもある。思索しながら手探りで生きている。ファイターたちは他のスポーツ競技の選手より「言葉」を持っている人種だと思う。ヒクソンはそのなかでもさらに繊細な生き方をしている人だった。

腕力をたよりに生きてきた者は自分より腕力のすぐれた者が現れたときそれを蔑み、自身の矜持を保とうとする。知性をたよりに生きてきた者は自分より知性のすぐれた者が現れたときそれを蔑み、自身の矜持を保とうとする。そんなことでは、いつまでたっても子供だ。それに気づいた者だけが前に進める。

そもそも人より優れることはいいことなのか。人に勝るのはいいことなのか。それが僕が「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で言いたかったことだ。優れていることなんて誇ることでもなんでもない。ヒクソン・グレイシーも小菅正夫旭山動物園前園長も同じことを言っている。

ヒクソン・グレイシーも小菅正夫さんも、勝ってみせるしかその考えを世に示すことができなかった。発言力を得ることができないことを知っていた。だからこそ勝ちにいったのだ。結果を出すことにこだわったのだ。

ヒクソン・グレイシーが試合前に緊張している息子に「もし勝ったらご褒美を1つあげるよ。でも負けたらご褒美を2つあげよう」と言ったエピソードが僕は好きだ。ヒクソン自身も子供の頃、父のエリオから同じ言葉を言われていた。

増田俊也氏の代表作 「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」

1