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flownfutonさん

1.鉄道好きエピソード

12 名無しの笛の踊り==2009/09/11(金) 00:24:49 ID:Z+aZ8W+S
■鉄ヲタエピソード

・毎日の様に最寄りの駅に通いつめ、電車を見学していた。おかげで、地元の駅の時刻表を全て暗記していた。
・鉄道が遅延した時は、何故か駅員に代わってお客に陳謝していた。
・日課だった駅見学が仕事によりできない時は、
 自分の弟子であり娘の恋人であるスークという作曲家に様子を見に行かせていた。
 ある日新しい機関車がデビューするという話をドヴォが聞きつけて、スークに製造番号を確認させに行かせた。
 しかし、鉄ヲタではなかったスークは間違った番号を調べて報告した為、ドヴォは激怒。
 娘に「こんな基本もわからない男とお前は結婚するつもりか!」と本気で怒った。
・職業柄非常に音感が優れていたので、何となく聞いていた鉄道の通過音から異音を聞き分けて車両の異常を発見し、
 故障による事故を防いだ事もある。
・鉄道好きはどんどんエスカレートし、ついには
 「機関車が発明できるのなら、自分の作曲した作品は全て捨てても良い」
 という問題発言をして物議を醸し出した。

「おまえは、ろくに汽車のことを知らないあんな男と結婚するのか!」

ニューヨークに滞在していたドヴォルザークは毎日港へでかけ、地球上の遠く離れた土地から来る汽船やあるいはそこへ向けて出港する汽船を飽きることなく見ていたそうです。ドヴォルザークは蒸気機関車が大好きだったことは有名で、プラハのフランツ・ヨーゼフ駅では何時間も鉄道を眺め、どんな複雑なシリ-ズ番号も憶えていたばかりか、駅員や乗務員の名前まで暗記していたそうです。

また、プラハの音楽院で教えていた頃、ドヴォルザークは授業があって新しい汽車を見に行けないときに、よく生徒を代わりに見に行かせ、汽車の番号を調べさせたそうです。ある時、その役を仰せつかった弟子のヨゼフ・スークは、実はドヴォルザークの娘と婚約中だったのですが、彼は汽車のことをよく知らないので間違って炭水車の番号をメモして帰ってきました。ドヴォルザークは自分の娘に「おまえは、ろくに汽車のことを知らないあんな男と結婚するのか!」と怒ったそうです(後に二人は無事に結婚できました。)。

 こんな鉄道マニアのドヴォルザークにとって残念なことに、ニューヨークの駅員はチェコからきた田舎者には親切でなかったようで、彼はしかなたく港に足を向けますが、程なく汽船の虜になってしまいます。しかも見るだけでなく、船に中に入って隅々まで探索し、船長と話し、あっという間にすべての船の名ばかりか、船長から船員までの名前と顔を覚えてしまったとか。これは、チェコにいた頃に蒸気機関車に対して彼がやってきたことと全く同じでした。なお、新世界交響曲の随所に汽車や汽船を連想させる効果音を聴くことができます。

「本物の機関車が手に入るのだったら、これまで自分が作った曲のすべてと取り替えてもいいのに…」

ドヴォルザークは1日40小節作曲することを自分に課していましたが、それ以外の時は蒸気機関車の模型を作っているか、町の操車場に出かけ何時間も機関車を眺めていたそうです。ある時などは「本物の機関車が手に入るのだったら、これまで自分が作った曲のすべてと取り替えてもいいのに…」と、ため息交じりに友人に語ったと言いますから、そのオタクぶりは相当のものだったようです。

 またこんな話も残っています。彼は娘の恋人だったヨゼフ・スーク(ドヴォルザークの弟子で、後のプラハ音楽院院長。バイオリニストのスークは彼の孫。)に、新しい機関車の製造番号を調べてくるように頼みましたが、機関車に詳しくないスークは間違った番号を報告してしまいました。ドヴォルザークは真剣に怒り、娘に「お前はこんなウスノロと本当に結婚するつもりか?」と、本気で結婚を反対したそうです。

 そう言えば、有名な「ユーモレスク」の楽想も汽車に揺られている時に思いついたと言いますから、つくづくドヴォルザークは鉄道と縁があったのですね。

2007年現在、「アントニン・ドヴォルザーク」号という特急列車が存在する(オーストリアのウィーンと、チェコのプラハを結ぶ)。

鉄道ファンとしても知られている。1877年以降住んだプラハのアパートはプラハの本駅からほど近く、作曲に行き詰まると散歩に出かけ汽車を眺めて帰ってきたと伝えられる。また、招聘に応じアメリカに滞在したのもアメリカ大陸の鉄道に乗ることができると言う理由が一つにあったと言われている[要出典]。

ニューヨークにいたころには、毎日グランド・セントラル駅へ出掛けてシカゴ特急の機関車の車両番号を記録しており、用事があって駅まで行けない日には弟子に見に行かせていたという。これには、ドヴォルザークの幼少期、1845年にウィーンからプラハ、ドレスデンを結ぶ鉄道が開通し、この列車が故郷ネラホゼヴェスを経由していて近隣の話題となったことが影響していると指摘する研究者もいる[1]。

彼の鉄道好きについては、次のような逸話まである。ドヴォルザークは毎日同じ鉄道を利用しており、その列車が奏でる走行音を楽しんでいた。しかしある日、いつもと微妙に違う走行音が聞こえたため、ドヴォルザークが車掌にその旨を伝えたところ、車両から故障個所が見つかった。彼が鉄道ファンであることと、鋭い聴力を持つことが列車事故を防いだ。

また彼は友人に「本物の機関車が手に入るなら自分が今まで作ったすべての曲と取り換えてもいいのに……」とつぶやいたことがあったという[要出典]。

2 彼の人生と鉄道の関わり

19世紀後半には炭田の多いボヘミアではその豊富な石炭を使いドイツ系資本家からの資本によって起こされた産業革命による工業が著しく発展し、中央ヨーロッパ有数の工業地帯となった。

当時、産業革命で鉄道が普及しはじめたとおもわれる。

2.1 幼少期

噂には聞いていたけど、ドヴォジャークの生家は本当に駅の目の前でした。

ドヴォルザークが幼少期を過ごした家のすぐ近くには駅があった

2.2 アメリカにて

1892年ブレーメンから船に乗り、9月27日にニューヨークに到着した。

ニューヨークナショナル音楽院からの招聘を受けて渡米したのは1892年。

全国隅々まで行き渡る鉄道ネットワークが完成するのがこの時期である。

(3)ネットワークの拡大 1870~1890年

 全国隅々まで行き渡る鉄道ネットワークが完成するのがこの時期である。先に開通したシカゴ~サンフランシスコ間に続き、シカゴ~ポートランド、シカゴ~ロサンゼルス、ニューオリンズ~ロサンゼルスなどの大陸横断ルートが次々に開業、運賃も低下し、農産物や工業製品の輸送も活発になる。鉄道会社間の規格の統一も進んだ。自動連結器や空気ブレーキが普及し、鉄道会社を主導として標準時間帯の設定なども行われる。

鉄道ファンにとって面白くなるのもこの時代である。

鉄道ファンにとって面白くなるのもこの時代である。寝台車のバリエーションが増え、貫通路付き客車の登場で独立した食堂車、サロン車などのサービスも本格化、幹線ルートでは寝台専用列車も登場する。都市と近郊を結ぶ通勤列車サービスが始められ、大都市では大量輸送機関としての高架鉄道や、馬車鉄道に代わる路面ケーブルカーなどが登場・普及する。

3.「新世界」と機関車

第3楽章の3拍子のリズムが「シュッポッポ、シュッポッポ」

第3楽章の3拍子のリズムが「シュッポッポ、シュッポッポ」と、少し喘ぎ気味の蒸気機関車の様に聴こえて仕舞います。そして第4楽章の冒頭部分は、休憩して元気を取り戻した蒸気機関車が加速し全速力で疾駆する時のロコモーションの様な感じがします。

「新世界」の4楽章は、鉄道の描写に満ちている

実際に、「新世界」の4楽章は、鉄道の描写に満ちている・・・。
  ・蒸気機関車の動輪が動き出す、ドラフトの音、シリンダーの蒸気、風を切る音。
  ・セカンドバイオリン奏者のXさんは、弾きながら、「石炭をくべた」「汽車が線路を走る」
     と感じるそうだ。
  ・有名な話で、新世界で「シンバル」を全曲の中で1回だけ鳴らす場面がある。
    4楽章の第一主題の終わりの所だが、これは、ブレーキをかけて連結する描写だそうな。

風を切る音、ドラフトの音、シリンダーの音、吐きだす蒸気

第4楽章:

・動き出す重い動輪に始まって、全体が蒸気機関車や汽車の描写に満ちており、風を切る音、ドラフトの音、シリンダーの音、吐きだす蒸気などは非常に絵画的に描写されている。

・シンバルは全曲でたった1回、この楽章の第1主題結尾で鳴る。僕にはブレーキをかけて、連結器をぶつける汽車の描写に聞こえます。

「汽車が発車する音をオケで再現したもの」

第3楽章は、故郷の民族舞踊の音楽をモチーフにしているらしい。でも、私には、この曲は機関車の走行音(特にレールのつなぎ目を通過する際の音)をモチーフにしているように聞こえます。第4楽章の冒頭部を、ドヴォルザークが無類の機関車好きだったらしいことから、「汽車が発車する音をオケで再現したもの」を解釈する指揮者は多いですが、私には第3楽章全体が汽車の走行音を再現して、音楽として展開しているように聞こえます。

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