5、現代の「祈りの経営」 
不況下にあっても、独特の宗教的な雰囲気の中で、順調に経営を伸ばしている企業がある。西田天香が創設した一灯園で体得した理念「無一物中無尽蔵」を経営に具現化した鈴木清一氏が創業した株式会社ケントクであり株式会社「ダスキンである。
1)一燈園創始者 西田天香氏
西田天香(にしだてんこう)が1905年(明治38)に京都で創始した信仰団体。西田は1872年(明治5)滋賀県長浜の紙問屋に生まれ、北海道で開墾事業の監督となったが、農民と資本主の紛争のなかで苦悩し、職を捨てて、求道の放浪生活に入った。
1903年(明治36)トルストイの『わが宗教』を読んで眼を開かれ、無一物の禁欲、奉仕、内省の生活を始めた。05年長浜の愛染堂で断食中、乳児の泣き声を聞いて、人生の理想は赤児のように無心となることであると悟り、京都鹿ヶ谷に一燈園を開いて、托鉢、奉仕、懺悔の信仰生活を説いた。
のち山科に移り、日露戦争後から第一次世界大戦中には、一燈園が説く「おひかり」による内面的救済を求めて信者が急増した。21年(大正10)西田の教話集『懺悔の生活』がベストセラーとなった。
〇倉田百三「出家とその弟子」 〇尾崎放哉(種田山頭火)
一燈園では、数百人の信者が、絶対平等、無所有、無一物の共同生活を営み、奉仕の托鉢行を行った。大正末期から昭和初年に、光泉林、すわらじ劇団などの関連団体を設立し、朝鮮、中国、ハワイ、アメリカに進出した。西田は、光明祈願による新生活を提唱し、第二次世界大戦中、政治、外交、社会問題などについて活発に発言した。戦後、西田は国民総懺悔を唱えて参議院議員となった。
1968年(昭和43)西田の没後、一燈園では、西田の教えを現代に生かすべく、人間回復のための懺悔と托鉢奉仕の信仰生活を呼びかけている。現在、光泉林(公称は「財団法人懺悔奉仕光泉林」)が存在する京都市山科区四ノ宮に本部を置く。
□「ウイキペディア」<西田天香>
□西田天香『懺悔の生活』(春秋社)
□西田天香『思ひ出』(同光社)
□三浦隆夫『一燈園 西田天香の生涯』(春秋社) 
□宮田昌明『この心 この身 この心 西田天香』(ミネルヴァ書房)
2)ダスキン創業者  鈴木清一 氏
鈴木清一(すずきせいいち)は、1911年(明治44)、愛知県碧南市に生まれる。東京・中央商業学校を卒業後、川原商店に入社。肋膜を患い養母の愛情に救われてからその影響で金光教に入信。1938年(昭和12)、一燈園に身を投じ托鉢求道の生活に入る。
1944年(昭和19)、ケントク創立。以後「道と経済の合一」を願う「祈りの経営」について生涯を通じて追求する。
1963年(昭和38)、ダスキン創業。フランチャイズシステムによって画期的な流通組織を確立、そうじ用具の レンタル事業を全国展開する。
1971年(昭和46)、ミスタードーナツ事業の導入をはじめとする多角化によって、わが国初の複合フランチャイズ 企業の道を開き、ダスキン企業集団を率いた。
1980年(昭和55)、68 歳で死去
3)サニクリーン(ダスキン前身)初代社長 山田 宏 氏
山田宏(やまだひろし)は1923年(大正12)、東京に生まれ、旧制大阪理工科大学卒業後、大阪府立産業能率研究所勤務。1956年(昭和31)㈱近代経営社設立し「日本HR協会」が発足、専務理事を務める。協会メンバーは松下電器、日本生命、鐘紡、サントリー、トヨタ、近鉄、クボタなど1業種1社構成でHR(企業内人間関係)の研究、実践を行った。「近代経営者クラブ」からダスキン創業者の鈴木清一らが輩出した。
1963年(昭和38)サニクリーン(ダスキン前身)社長に就任、その後ダスキンの相談役、最高顧問を務める。
2006年(平成18)、83歳で死去。同年9月10日大阪・リーガロイヤルホテルで「山田宏を偲ぶ会」が開かれ、ダスキン関係者と共に、生前同氏と親交のあった関係者が出席し別れを惜しんだ。
論者は1970年(昭和35)から40年に及ぶ知己を得て、日本HR協会の理事として、人間関係論の講演や小論を発表させていただいた。西田天香翁揮毫の色紙「無一物中無尽蔵」はビジネスマン時代の癒しの真言でもあった。 合掌

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