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【財閥】明治・大正・昭和初期に活躍した実業家の肖像写真と名言集【コンツェルン】

日本経済の礎を築いた創業者たちの肖像写真と名言集。

更新日: 2013年03月02日

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melodienelさん

岩崎弥太郎

(1835-1885)
三菱財閥の創始者。一時期は坂本龍馬の海援隊で経理を担当する。国政との結びつきにより財を成す。多種多様な業種を掌握した。

およそ事業をするには、まず人に与えることが必要である。それは、必ず大きな利益をもたらすからである。

「自信は成事の秘訣であるが、空想は敗事の源泉である。故に事業は必成を期し得るものを選び、一旦始めたならば百難に撓(たわ)まず勇往邁進して、必ずこれを大成しなければならぬ。」

一日中、川の底をのぞいていたとて、魚はけっして取れるものではない。
たまたま魚がたくさんやってきても、その用意がなければ、素手ではつかめない。
魚は招いて来るものでなく、来るときに向かうから勝手にやってくるものである。
だから魚を獲ろうと思えば、常平生からちゃんと網の用意をしておかねばならない。
人生全ての機会を捕捉するにも同じ事がいえる。

大倉喜八郎

(1837-1928)
鉄砲店「大倉屋銃砲店」を開業。戊辰戦争で官軍御用を務め巨利を得、大倉組商会を設立。鹿鳴館の建設、東京電灯会社(現東京電力)の創設などに携わった。大倉商業学校(現・東京経済大学)の創立者。

人は命がけでかかればできない事はない。商売も同じである。商人にとっては儲けこそ命である。他人が十時間働くなら、自分は十二時間働け、精神一倒何事不成の心持を以てすれば、成功必ず疑いなし。

「この大倉は事業をやるために生まれてきたのだ。失敗したとて元の大倉に戻るだけだ」

安田善次郎

(1838-1921)
両替商安田屋を開業。やがて安田銀行(後の富士銀行、みずほ銀行・みずほコーポレート銀行)に改組し、損保、生保会社等も設立。日本の四大財閥のひとつである安田財閥を築いた。1921年、暗殺される。

これはよいと思った事は決してそのままにせず、必ず実行してみる。また、自分の慣習上で悪いと思ったことは必ず止める。独立心と克己心の強弱が人の貧富の岐路となる。おそらくは人間の貧富貴賎の分かれ目はここであると思う。

私の七十余年間の実験によると、この世にはやはり運というものは確かにあると信じている。しかしその運は先方から自分の方へ来てくれるものか、または自分からその運を取りに行くものか、このふたつのことの判断の仕方によって、人生の成功と失敗がおのずから別れるのである。

渋沢栄一

(1840-1931)
一橋慶喜に仕え、明治維新後は大蔵省の一員として財政の整備に当たった後、多くの企業の設立・経営に携わる。日本近代経済の基礎を築いた。

論語と算盤とは一致しなければならない。わずかも道徳と経済と相離るべからざるもの。

一個人のみ大富豪になっても社会の多数がために貧困に陥るような事業であったならばどんなものであろうか。いかにその人が富みを積んでもその幸福は継続されないではないか。故に国家多数の富を致す方法でなければいかぬというのである。

全て形式に流れると精神が乏しくなる。何でも日々新たにという心がけが大事である。

お金をたくさん集めて、たくさん使うことで社会を活発にし、経済の発展を促すのがよい。お金持ちはよく集めると同時に、よく使わなければならない。

伊庭貞剛

(1847-1926)
第二代住友総理事。「別子銅山中興の祖」といわれる。

因果とは、まことに妙なものだ。因縁のある金は、いくら掃き出すようにしても入ってくる。因縁がなければ、腹にくくりつけていてもさっさと出ていってしまう。人間もこれと同じだ。

言葉は八分でとどめて、

後の二分は、むこうで考えさせるがよい。


わかる者には言わずともわかるが、

わからぬ者には、いくら言ってもわからぬ。

人の仕事のうちで一番大切なことは、後継者を得ることと、後継者に仕事を引き継がしむる時期を選ぶことである。これがあらゆる仕事中の大仕事である。後継者が若いといって、譲ることを躊躇するのは、己が死ぬということを知らぬ者だ。

益田孝(益田鈍翁)

(1848-1938)
三井物産の設立者。後に日本経済新聞となる「中外物価新報」を創刊。利休以来の大茶人ともいわれ、松永耳庵、野崎幻庵とともに「近代小田原三茶人」と称された。男爵。

「眼前の利に迷い、永遠の利を忘れるごときことなく、遠大な希望を抱かれることを望む」

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