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巨人・原監督の愛人1億円恐喝問題のまとめ

週刊文春のスクープとなった今回の問題ですが、文春の記事を引用したネット記事をまた引用しているまとめ記事が多いので混乱している模様です。あらためて、週刊文春が報じていることをまとめます。

更新日: 2018年10月27日

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この記事は私がまとめました

2009年 “第2”の恐喝

二〇〇九年四月、読売巨人軍の球団事務所に「山本正志」(仮名)を名乗る男性から電話が入った。

今回の問題が明るみになる発端。

山本は電話を受けた球団職員に「原監督に渡っている、ある女性の日記を返して欲しい。日記はもともと自分が持っていたものだ。そこには巨人軍の選手とこの女性との関わりが書かれてある。返してくれないなら、騒ぎを大きくする」などと通告したという。

この電話から始まった山本の脅迫は8カ月に及んだ。

1988年 原の不貞

絵に描いたような幸せの一方で、原は妻とは別の女性との間に重大な問題を抱えていた。

1988年のこと。明子夫人との結婚は1986年。88年には長男が誕生している。

「結局、原が問題解決のための費用を用立てたと聞いています。ただ、彼女はその後も原を慕っており、二人の交際についてずっと悩んでいたそうです」

相手は兵庫県芦屋にある巨人軍の常宿「T」で働く若いアルバイトの女性。20代後半で可愛い感じ。

選手間で彼女を巡って只ならぬ雰囲気になったときもありました。(中略)原さんと岡﨑さんが揉めている感じで、一時期、原さんだけが一人ポツンと食事をとるようになった時がありました

岡﨑ww なお、「清武の乱」の際、ナベツネと原が通じていた一方で、清武は岡﨑のためにナベツネの江川コーチ案を拒絶して揉めごととなった。原と岡﨑は完全な不仲というわけではなく、一緒に全日本プロレスを観戦して永源のツバ攻撃を浴びたりしている。愛憎が入り混じった関係だと言えるだろう。

1995年 女性の失踪

九五年の阪神大震災と前後する形で、彼女は忽然と姿を消してしまう。

大阪でホステスをするようになり、ホストクラブにハマって借金を抱えていたそう。

その日記は家に残されたままだった。その後、彼女と同居していた同僚女性の元から人を介して暴力団関係者へと渡ってしまったのです。

女性が克明に書いていた日記が発見される。この日記を手に入れた暴力団関係者が、冒頭に出てきた山本正志。山口組の西日本の有力団体S会の直参組長だったが、2008年頃に破門されているそう。

2006年 1億円恐喝

自分は熱海で旅館を経営しており、現役プロ野球選手の父親だ。原さんにとって非常に大事な話がある。あなたの昔のスキャンダルだ。

女性の日記は山本の舎弟Hに渡り、HからKという元暴力団員に渡ってしまう。06年8月、Kは原の携帯に電話をかけてこう告げた。Kの息子は現役プロ野球選手で、巨人の大物OBとも昵懇の仲だという。

二十年近く前の日記に一億円の値をつけるとは尋常ではない。

原は06年、監督として複数年契約の1年目を迎えており、このスキャンダルが表に出たら致命傷になると考えていた。

Kの小指は欠損している

かつてKは東京の暴力団T会に所属、80年代後半には新宿歌舞伎町で無許可のバーを経営、客を昏睡させて有り金を奪う昏睡強盗を繰り返して逮捕されている。その後、組織の金に手を付けて破門。

原監督はわずか二日で一億円を掻き集めて、K側に金を渡しています。

球団や警察には相談せず。

2007年 加害者の事故死

それから約一年後―ー。北海道の小樽から札幌へと続く高速道路、通称「札樽道」で、壮絶な交通事故が起こった。

亡くなったのは、山本の舎弟であり、Kと一緒に原を恐喝していたH。

2009年 “第2”の恐喝と球団側の動き

山本が暴走を始めた

Hの没後、山本が巨人の球団事務所を恐喝しはじめる。これが冒頭の2009年4月。

球団側は山本の接触直後に原監督に聞き取り調査を行い、初めて原監督の過去の醜聞と06年の恐喝事件を把握したようだ。

記事中には登場しないが、当時の球団代表は清武氏。ここで初めて把握したとすると、Hの事故死と巨人軍は無関係となる。

山本を威力業務妨害の現行犯で逮捕した。

巨人の球団事務所の前の路上で、ガスボンベとガソリン缶を持参して「爆弾を持っている」「ここで腹を切ってやる」と叫んでいた山本を逮捕。その後、懲役1年6カ月、執行猶予3年の保護観察付有罪判決を受けた。

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