1944年10月10日、沖縄戦の前哨戦 として10.10空襲があった。 この空襲で旧那覇市街の90%が焼失する。旧那覇市内の養蚕試験場にあった司令部も焼け 、首里城の地下に司令部壕が掘られる事になる。その壕を掘ったのが学徒達であった。

米軍の上陸地点からこの首里城の司令部までの首里以北を中部戦線と呼び、司令部が首里陥落を目前に 南部に撤退したため、多くの住民が戦闘に巻き込まれてしまった、首里以南の戦いを南部戦線と呼んでいる。 ひめゆりの悲劇もこの南部地域で起きた。 ひめゆり学徒は何度も映画化され有名なためこの南部地域こそが沖縄戦の主戦場であったと思われている ことが多い。しかし南部戦線は米軍にとっては敗残兵狩りに等しい戦いであり、 米軍の上陸地点から首里城までの中部地域こそが日米が死力を尽くして戦った沖縄戦の主戦場である。

米軍は上陸地点である北谷から首里城までの10キロを進むのに50日間かかっている。沖縄守備軍は この間10万人の内7万4千人(主戦力のほぼ7割)の兵力を失っている。日本兵の死者は1日あたり千人以上にもなる、太平洋戦争もっとも激しい戦いといわれるゆえんである。

出典沖縄戦概説 | 平和学習の手引き | 那覇市

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