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ダメな飛行機コレクション

いまとなってはダメな飛行機でも、当時は最先端の技術を用いたもので、製作者たちのさまざまな熱い情熱が込められているものばかりです。現在はコンピュータモデリングとシミュレーションが発達し、大きな失敗は少なくなりました。

更新日: 2013年04月26日

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Qtipさん

1950年代にアメリカが開発した原子力飛行機。
墜落すると非常に恐ろしい被害が想定されるため、大統領執務室とのホットラインが設置された。
乗員を放射能から守るため、厚い鉛のシールドと黄色に着色したガラスが使用され、操縦カプセルの重量だけで12tになった。
同じ時期にソ連も原子力爆撃機(Tu-119)を研究しているが、こちらは放射能防護シールドなどがなく、ほとんどの乗員がテストから数年で死亡した。

1928年、レオナード・ボニーが開発したカモメ型飛行機。
「有人飛行成功のためにはできるかぎり鳥をマネすることが必要」と4年間カモメの研究をし、風洞実験や地上試験を積み重ねてつくられたが、初飛行で墜落し、ボニーは帰らぬ人となった。

チップジェットでローターを駆動するヘリコプター。
多くの計算ミスにより、離陸することができずに計画終了。
その後、パーシヴァル社がヘリコプター開発に関わることはなかった。

パイロットが生還できないように設計された飛行機。兵器としてみれば高性能の誘導ミサイル。ぱっと散るさまから桜花と名づけられた。連合国側からは日本語の「馬鹿」にちなんだBAKA BOMB(馬鹿爆弾)というコードネームで呼ばれていた。755機製造されたが、連合軍の進攻に対してほとんど影響を与えることができなかった。

ドイツの神風飛行機。日本の人間爆弾「桜花」と違い、パイロットは脱出するよう考えられていた。ただし、実際完成した機体には脱出装置はなかった。

それまでの空中輸送を大きく変えた軍用輸送機。
しかし、動きが鈍いため標的としても最適となり、多くの犠牲を出した。
機体の大部分が布なので、撃墜するためにはエンジンかキャビンに弾を当てる必要があった。つぎを当てれば簡単に補修できるため、絆創膏爆撃機というあだ名も付けられた。
風の谷のナウシカにも似た機体が登場する。

1976年に始まったイギリス空軍のニムロッドを早期警戒機(AEW)にするプロジェクト。機首と尾部に大型レーダーを搭載し、周囲の警戒を行う仕組みであったが、開発費用の面よりアメリカ製ボーイングE-3早期警戒管制機の導入が決定され、AEW.3は失敗作となった。

1952年にアブロカナダ社が開発した空飛ぶ円盤。
ただし、高度1メートル以上では安定しなかった。
1961年に開発中止になるまで1000万ドルの経費を費やした。

アメリカ海軍が計画しコンベア社で製作した垂直離着陸戦闘機。
滑走せずに離着陸できるという考え方には利点があったが、パイロットは地面が見えないため、着陸が非常に困難であり、問題解決の見込みが全く立たなかった。
また、時代遅れの飛行速度も計画中止の一因となった。
パイロットは梯子を昇って搭乗し、離陸時にはずっと仰向けの状態を強いられた。
鉄腕アトム『ホットドッグ兵団の巻』にも登場し、サイボーグ44号が搭乗している。

カプロニ社によって製造された実験機。
胴体部分が太い環状になっており、その中にプロペラとエンジンが配置されている。胴体全体が一つのダクテッドファンになっていた。このチューブ型胴体が大きな推進力を出すとの構想だったが、大きな空気抵抗と低騒音をもたらしただけで、ほかの性能は通常の機体よりも劣っていた。
機内のどこにも人や物を積み込むスペースがないことも致命的な欠陥となった。

フランスの垂直離着陸(VTOL)機。
後部は巨大なエンジンのように見えるが、これは環状翼。
垂直に着陸するときは後ろを振り返って地面を見ながらの操縦という問題点があり、水平飛行と垂直飛行の切り替えにも危険があった。
9回目の試験飛行中にホバリングに失敗、墜落し、プロジェクトは終了した。

マグドネル社が開発していた戦闘機。爆撃機を護衛するために爆弾倉内に収納されて戦闘空域まで輸送されるパラサイト・ファイター(寄生戦闘機)として構想された。
戦闘時には母機から発進し敵機を迎撃して、戦闘終了後に母機に帰還する、というアイデアだったが、XF-85の性能と兵器でMiG戦闘機とわたりあうのはとうてい無理な話で、実用化はされなかった。

身体を動かすことによって、方向と速度を操作する。
機体は小さく低速で重く、戦闘に使用するには実用性が限定的だと判断され、試験計画は1963年に終了した。

イギリス空挺部隊のラウル・ハフナーが設計した、ジープをオートジャイロに転換したもの。
車両を搭載できる大型の輸送グライダーが実用化されたため、ロータバギーが軍で使われることはなかった。

9枚の翼と8機のエンジンの巨大な水上飛行機。
最初で最後の三翼式の三葉機。
100人の乗客を乗せて大西洋を越えるはずだったが、初飛行で18メートルほど浮上すると機首が下がり、湖に墜落した。テストパイロットは無傷だったが、謎の火災で機体は燃えてしまった。
優れた飛行機の設計で名をはせたジャンニ・カプロニ伯爵は、ノビプラーノのあとは評判ががた落ちになった。
宮崎駿の『風立ちぬ』にも登場。

アントノフ A-40はソビエト連邦の試作した空挺戦車。航空機の後方に戦車を牽引して滑空させ、戦場へ送り込んで空挺部隊やパルチザンを支援するよう意図していた。試作車輌が製造され、1942年に審査されたが、実際の運用は不可能であることが判明した。本車は「クルィーリヤ・タンカ」 (ロシア語: крылья танка「tank wings」の意味) の名称も有するほか、A-40TまたはKTとしばしば呼ばれる。

ヒューズでは1949年から機体の開発に取り掛かった。巨大かつ特異な機体故に、当初はトラブルが頻発したが、1952年には初飛行に成功している。しかし、軍用機としてはあまりにも巨大であること、燃料の消費が激しく、航続距離が短いこと等の欠点から実用機へと発展することはなく、1955年にはすべての試験を終了している。しかし、胴体下に貨物を吊り下げるというスカイクレーンの発想は後のヘリコプターに大きな影響を与えたのであった。

エアロカーは、アメリカの発明家モールトン・テイラー(小型水上機の自作も行っている)が考案したもの。1949年に初飛行し、1956年にバッチリ耐空証明をもらっている。

機体(車体?)は、アルミやガラス繊維から成る複合素材で、Y字型の尾翼を持つ推進式、定員は操縦士と乗員の2名と言う構成。最高速度172km/hで、航続距離は480kmであった。

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