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山のように存在する韓国起源説を簡単にまとめてみた

韓国起源説の主張と事実を分かりやすいように簡単にまとめています。日本の文化についての勉強にもなると思います。

更新日: 2012年07月05日

yoyo32332さん

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韓国起源説とは?

韓国起源説(かんこくきげんせつ)とは、韓国の個人・団体などが、他国の文化などの起源・伝播を朝鮮半島に求める、根拠不十分で非合理な言説群の俗称。韓国起源論ともいう。

研究者や文化人が個人的に主張する説から、公的団体が正式に主張する説まで多岐にわたり、一時的にマスメディアで流布される場合から、継続的に国際的な広報活動が行われる場合まで様々である。特に、日本文化や中国文化が対象とされる場合が多い。

また人物に対する韓国起源説の一種として、韓民族優越主義の観点から日本の各界で活躍している人物を事実や根拠にもとづかず在日韓国・朝鮮人であると主張する在日認定がある。

韓国起源説の実例

ここで取り上げる事例は次の基準による。

・「著名人が主張した説」または「メディアが報道した説」以上を対象とする。
・韓国国内外における、説の認知度・浸透度は問題としない。

武芸(剣道、剣術、侍、武士道)

恐らく最も有名な例が、韓国人が主張する、剣道、剣術、侍、武士道の韓国起源説であり、特に剣道韓国起源説は韓国起源説が日本のネット上で注目されるきっかけとなった。剣道韓国起源説がネットを介して流布されたことにより、全日本剣道連盟に対応を求めるメールが殺到し、全日本剣道連盟は公式ホームページで、韓国起源説を否定する事態になっている

剣道は日韓併合時代に日本から韓国に伝わった日本文化であり、韓国ではテコンドーと並ぶ人気武道である。日本の剣道との差は蹲踞(そんきょ)がないことや袴の色や形程度であるが、韓国最大の剣道団体である『大韓剣道會(Korean Kumdo Association)』や『世界剣道協会(World Kumdo Association)』が公式ホームページ等で、剣道の起源が韓国にあると主張しており、『国際剣道連盟(International Kendo Federation)』に参加していながらも、その正式名称は『剣道』ではなく剣道の朝鮮語音の『コムド(kumdo)』であると主張し、剣道の真の宗主国として当然であると主張している。『大韓剣道会』の広報理事の崔民秀は「『剣道は日本のもの』という誤った認識を正す」と述べている。

・主張

韓国系移民が運営する世界各地の武術道場などで韓国古来の剣として使用している。
また、刀剣職人のホン・ソッキョンらが、「日本刀はまさにこの技術を我が国から盗み出して伝承している」「我が国の刀剣技術は三国時代と朝鮮時代、日帝時代を経ながら、刀剣職人がほとんど日本に連行されてしまった」「元々、我が国の伝統刀剣製作技術は世界的なものであり、刀剣技術者を無差別に捕えて連れ行ったことはよく知られた事実だ」、「日本には我が国が使った正統技術がそのまま伝授されていて、今でも良い刀がたくさん出てきています」などと主張。「韓国刀の原型を取り戻すために日本に学びにいく」とまで主張している。

・事実

韓国で伝統的に使われた剣は、鉄鉱石から鋳造で作った、両刃の直剣か「環刀」と呼ばれる片刃の直刀で、製造方法や形状が日本刀とは違う。韓国で大々的に日本刀のような形をした刀が使われるようになったのは、17世紀以降のことであり、当初は日本刀を輸入して模倣したものを「倭刀」と呼んでいた。それ以降朝鮮半島で作られた刀もやはり日本刀とは製造方法が違う。

居合道、抜刀術

・主張

韓国古代の武術コハプト(Guhapdo)として世界各地で道場を開いて広報活動をしている。正統武芸道場 正気館のイム・ヒョンス(林鉉洙)が「我々はいままで多くの物を日本に奪われました。今は我々の物を取り戻すべき時だと思います。居合道も高麗時代日本に渡っていった我々の剣術に過ぎません 我が国には新羅時代の花郎徒以前にも居合道という武術がありました。日本が国宝にしている七支刀も実際は百済の刀です。」と主張している。

・事実

居合(抜刀術)は室町時代に本格的に体系化されたものであり、居合道は明治時代末期になってから「武術」を「武道」化したものである。七支刀は儀礼用のものであり剣術とは関係がない。また、イム・ヒョンスは何か誤解しているようだが日本側は別に七支刀が百済由来のものであると言うことを否定しておらず、むしろ百済由来だからこそ国宝に指定されている。

・主張

剣道と同じように日韓併合時代に日本から韓国に伝わった日本文化であるが、Yudo(「ユド」と発音。柔道の朝鮮語音)の名で海外で普及活動が行われており、全米ユド協会(United States Yudo Association)はその公式ホームページにおいて、柔道の起源を朝鮮半島にあるとし、「柔道は豊臣秀吉の朝鮮出兵で日本に伝わりその後朝鮮半島では柔道は廃れ、20世紀になって日本から再輸入された」と主張している。

・事実

日本の体術の伝統は、文献によれば『宮中行事秘事』に伝えられる聖武天皇の神亀3年(726年)に行われたとされる相撲節会に遡ることができ、組討や、人を捕らえるための捕手などと呼ばれた武技がすでに行われていたことが確認できる。柔術と確認できる最古の源流としては天文元年(1532年)に竹内久盛が開眼し、子竹内久勝が広めた竹内流武術がある。江戸期には多くの流派が存在しており、明治期に嘉納治五郎が合理的な近代体術として整理体系化し、人間修養の精神を取り入れ「柔道」と呼称したものである。

・主張

大韓柔道有段者会のヨ・サンファン会長が「柔道の発祥地は日本だが、『道』の精神は韓国から渡ったもの」と主張している。

・事実

日本の「道」とは「芸道」のことであり、中国の「道」(タオ)の哲学とは別物である。日本の「道」の精神とは、実演者の日常生活における立ち居振る舞いと、専門的な技術的修練を同一とみなし、双方の向上により、実演者の人格と技芸を相乗効果的に高めることを目指したものであり、日本独自に発展体系化したものである。

・主張

韓国では、テコンドーの起源は三国時代以前から始まるテッキョンであると公式に認定されており、海外でも「韓国古来の武道」として普及に努めている。また、日韓併合時代にテッキョンが抹殺されたが、韓国がテコンドーとして復活させたとまで主張している。さらに韓国の一部には空手の起源をテッキョンに求める言説すらあり、韓国の釜山で開催された2002年アジア競技大会では、韓国人で構成される大会組織委員会が、公式サイトに韓・日・中・英の4ヶ国語で「空手の起源はインドで唐の時代に中国と韓国に伝わり、その後韓国が日本に伝えた」と記述し日本側が抗議するという事態が発生した。

・事実

空手は琉球から日本本土に伝わったもので、テコンドーは戦後に空手を参考にして新たに作られたものである。また、韓国が国技院副院長が明らかにしたところによると、「テコンドーの起源を三国時代以前とすることが一般的だが、 歴史的想像力を動員してもそれには無理がある。中国から日本へ入り、日本が改良して韓国へ入ってきた。テコンドーは空手の変形である。私も創始期にはテコンドーの起源をテッキョンとして本を執筆したことがあるが、海外に普及させる過程で昔からあった韓国の伝統武術だとすれば名分が立つからである。」と告白している。

・主張

中央日報が、日韓文化交流を紹介する中で、韓国シルム連盟関係幹部の「日本相撲協会は相撲の本流である韓国シルムへの待遇がなっていない」との心境を紹介し、相撲の起源をシルムとして紹介した。

・事実

日本における相撲の起源は古墳時代の埴輪まで遡る事ができ、シルムの方も高句麗時代に描かれた壁画や後漢書にシルムに関する絵・記述がある事が確認できるためどちらかが起源と言うような関連性はなく、別々に似たような競技が発生しただけなのではないかと思われる。少なくとも日本の相撲の起源が間違いなく韓国のシルムだとするような資料は、現時点では存在しない。

・主張

韓流ファンのフランスの若者が組織し、駐仏韓国文化院と韓国観光公社パリ支社と農水産物流通公社が後援して韓国文化を国際的に紹介する「Korean Connection 2011」が、「忍術は4世紀に朝鮮半島から日本に導入された韓国起源の武術」「多くのコリアンが忍者の里の甲賀や伊賀に移住した」と主張し、忍術をパリで公演している。また、韓国系移民がイタリアで運営する「スルサ道場」が、新羅軍の「花郎」の中にある特殊部隊「スルサ」が忍者の起源であると主張している。この中で「幾人かのスルサ戦士が日本に亡命し、日本の忍者の理論にアイデアを提供した」「スルサドーを含むすべての韓国マーシャルアーツに見られる瞑想テクニックは、日本の忍術の秘技のなかに残っている。」「日本のマーシャルアーツは太平洋戦争でいち早く有名になっただけ」と主張している。

・事実

これらの韓国起源説は、各種メディアに登場する、派手な武術を使ったり、忍法で変身したりする、空想上の「忍者」を思い描いて自説を主張しており、実在した忍者に対する基本的な認識が間違っている。実在した忍者は派手な特殊部隊や戦闘員というより極めて地味な諜報員や傭兵であった(実際の忍者が行ったのは「変身」ではなく「変装」)。忍術も起源説で主張されている「武術」や「マーシャルアーツ」の側面よりも諜報活動を円滑に行うための技術の集大成というべきものであり、「忍術=戦闘技術」と言う認識にも問題がある。そして「花郎軍事組織説」自体が否定されているので朝鮮半島に「スルサ」という戦闘組織が実在した信憑性も薄い。

・主張

『朝鮮新報』は「茶においては1千年前の新羅の時代の礼法がほとんどそのまま日本に取り入れられた」と主張している。また、茶道の祖の千利休の祖父が千阿弥と名乗ったことからその名をとって千姓と名乗っていたことから千利休を朝鮮人と主張していた。

・事実

茶を飲む習慣は遣唐使により中国から伝えられたものという説が有力であり、茶を飲む行為を哲学や教養や総合芸術にまで高めた茶道という文化は室町時代に体系化した日本起源のものであり、韓国の「茶禮(タレ)」とは全く関係がない。
日本における茶を飲む(喫茶)の習慣は渡来した当時はそれほど普及せず、一度は廃れてしまったが鎌倉時代になって禅宗が広まったのをきっかけとして復活した。茶の栽培もその時期に普及し、茶を飲むと言う習慣は一気に広まった。

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