1. まとめトップ

【日本史】クレイジーすぎる歴史上の偉人たち【マジキチ】

日本そのものが、剃髪(月代)と切腹が文化として定着していただけで、最高にクレイジーだと思うんですが、まぁ現代の視点から考えても狂ってるね!と思える逸話を持つ猛者が多いのも、さすが神国日本でございます。(*コメントには冗談も含まれてます)

更新日: 2012年07月31日

279 お気に入り 747983 view
お気に入り追加

【童帝】小林一茶

残された日記によれば、結婚後連日連夜の交合に及んでおり、妻の妊娠中も交わったほか、脳卒中で58歳のときに半身不随になり63歳のときに言語障害を起こしても、なお交合への意欲はやむことがなかった。

史上最高クラスの俳諧師として有名な一茶ですが、その俳句のイメージとはかけ離れてクレイジー度合いは殿堂入りです。

一茶は、52歳で遅い結婚をします。
それまで「童貞」だったそうです。魔法使いどころか魔道師。

50年以上という長い長い童貞をこじらせた一茶は、結婚後は交尾にハマりまくり、1日に10セット近くを毎日行ったとか。

挙句の果てに、妻を衰弱死させてしまいます。

ISSAパネェ...

【誅殺坊主】甲斐宗運

阿蘇家への忠節を頑ななまでに貫いた宗運は、主家を裏切ろうとする者、主家の政策に背こうとする者を容赦なく粛清した。それは息子とて例外ではなく、(中略)二男親正、三男宣成、四男直武をことごとく誅殺し、(中略)嫡男親英までも手にかけようとする。いかに戦国の世とはいえ、我が子を一度に4人も殺害しようというのはきわめて苛烈な処断といえよう。

ご存知、鎮西の常勝坊主こと甲斐宗運。
肥後・阿蘇氏の家臣であった宗運は、あまりにも屈折した忠義の持ち主。

主家に対して少しでも異を唱えるもの、他家と接触するものは、見つけ次第速粛清。聞く耳なんて持ちあわせておりません。
なんせ、自分の息子のうち、3人を暗殺している。

嫡男にいたってもやっぱり誅殺を試みるも、さすがにドン引きした家臣団に止められたくらい。
なお、その嫡男の嫁の実父も暗殺している。

あまりにも粛清マニアだったためか、最期は自分の孫娘に毒殺されましたとさ。

【酔狂総理】黒田清隆

条約改正案に反対した井上馨への鬱積から、酒に酔ったまま井上邸内に忍び込むという事件を起こして政府内から非難を浴びて謹慎している。

開拓長官時代、商船に乗船したとき、酒に酔って船に設置されていた大砲で面白半分に岩礁を射撃しようとして誤射し、住民を殺めてしまったことがある。このときは示談金を払って解決した。

幕末の薩摩藩士で、第2代 内閣総理大臣。

総理就任前は北海道開拓長官として開拓を指導していたため、その後の開拓使官有物払下げ事件で糾弾される。

酒癖が悪すぎ、なかなかの醜聞を残している。

仲が悪かった井上馨の邸宅に、泥酔状態のまま忍び込んで嫌がらせをしたのは、総理辞任のたった2ヶ月後のこと。

こういった人柄のせいか、同郷の薩摩の派閥にも入れてもらえなかったようだ。

【性交天子】花山天皇

天皇は即位式の最中、さる女官を高御座(たかみくら/天皇の正式な所在を示す特別な玉座)の中へ引き入れて男女の行為に及んだ

花山天皇(かざんてんのう)は、平安時代中期の第65代天皇。
父の冷泉天皇もそれなりに奇行の多いお方でしたが、この花山天皇は歴代帝の中でも最強クラス。

即位式で性交に励むなど、前代未聞、古今未曾有。

しかも性交に至ったのが、「高御座」。いわゆる玉座ですよ。
天子のおわしますおところですよ。
紫宸殿に据えられている高御座は、明治帝・大正帝・昭和帝も即位式を行った調度で、今上帝にいたっては即位の際に京都から東京に輸送してまでしたもの。

今で言えば、オリンピックの表彰中に表彰台でセックスするようなもんです。いややっぱ、比較にならんな。

【真性ドM】山中 (鹿介) 幸盛

毛利に初めて捕縛された際は、腹痛を装って厠へ入り汚物に塗れながらも脱出してのける執念を見せている。

ある時、城を囲まれて絶体絶命となった時、主君・尼子勝久へ「尼子家は私が再興しますから、安心して切腹して下さい」と言い出す。

主家である尼子家再興のために、「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話のどおり真性のドMである。

実際に七難八苦な人生で、毛利の捕虜となった際には厠に入り糞尿にまみれて隠れること数時間、脱出したり、庇護を求めた織田信長には完全な捨て駒にされたりしている。さぞ嬉しかったであろう。

究極は、最期の主君である尼子勝久ととも毛利に捉えられた際、勝久に対して「(他の主君を探すから)安心して切腹してね」とまで言っている。
これまた屈折した忠義者。

なお、「鹿之介(しかのすけ)」ではなく、「鹿介(しかすけ)」が正しい。

【スイーツ文豪】森鴎外

大の甘党だった。あんパンや焼き芋が好物であった。娘(茉莉・杏奴)の著書によると饅頭も茶漬けにして食べていたという。

キラキラネーマーの始祖。長男 於菟(おと)、長女 茉莉(まり)、次女 杏奴(あんぬ)、次男 不律(ふりつ)、三男 類(るい)、孫には、まっくす、とむ、れお、はんす、じょうじ、じゃく、などなど。

言わずとしれた明治・大正の文豪、森 鷗外。

並外れた甘党だったようで、まんじゅう茶漬けが好物だったとか。

軍医だった経歴から潔癖症になり、くだものでさえも加熱消毒しなければ食べられなかったからだろうか。

ネーミングセンスはおまけ。

【無能中将】牟田口廉也

史上稀に見る愚将として有名。あまりにも盆暗で、終戦後に戦犯として捕まったが、無能さを理由に不起訴処分となったほど。

太平洋戦争時の陸軍中将。
あまりの無能さに、仲間内から「鬼畜牟田口」「無茶口」などと恐れられた。

インドにおけるインパール作戦では「イギリス兵は弱い」と主張して補給をせず、兵たちは栄養失調に。自動的に日本軍をほぼ壊滅させた。
英軍のスパイかよ。

しかも、その作戦失敗後、栄養失調でふらふらの残兵たちを立たせて意味不明な訓示を1時間以上も垂れ、兵をみんな倒れさせるという、さらに自軍に追い討ちをかけた。

あとも多すぎて書ききれない。

【ミスター負けず嫌い】大隈重信

伊藤博文がハルビンで暗殺されると、「なんと華々しい死に方をしたものか」と悲しみつつも本気でうらやんだとのことである。

佐賀藩出身の藩士で、第8・17代内閣総理大臣。
早稲田大学の創設者。

なぜか伊藤博文をライバル視しており、ことあるごとに対抗心を燃やしていた。

ともあれ、当時の国家元首が暗殺されたことに対してのコメントが「うらやましい」とは、やっぱ維新の生き残りですなぁ。

ちなみに、早稲田を作ったきっかけは、犬猿の仲だった慶応義塾の福沢諭吉に「あんたも作ればいいじゃん」と言われたから。

【触るもの皆傷つける】富田長繁

富田長繁と関わると不幸になるみたい

以下例

朝倉義景:裏切られた
林新次郎:一緒に出撃したら死んだ
桂田長俊:一緒に裏切ったのにいつの間にか怨まれてた。殺された
魚住景固:飯食べに行ったら殺された
朝倉景綱:こいつの扇動した一揆に攻め立てられ行方不明になった
土橋信鏡:気付いたら周りの奴らが皆死んでた。自分も一揆に殺された
溝江長逸:追い詰められ一族まるまる自害
専修寺派:手を結んだ直後に死なれた上にそのせいで本願寺に襲撃された
府中町衆:こいつに味方したら周り全部敵になった。本願寺に味方したら織田軍に潰された
樋口直房:こいつの扇動した一揆のせいで失脚
鞍谷御所:府中に近かったせいか一揆に焼かれた

富田長繁(とだ ながしげ)は、戦国時代、越前朝倉氏の家臣。
なのだが、朝倉が織田と対抗している頃には迷いなく寝返り、一緒に寝返ったものどもさえも殺していく。要は、関わった奴は続々と殺していくプロ。

最期は、自分が扇動した一揆勢と戦い、味方に背中から撃たれて死亡。

これ、たった2年の間のことだから、逆に死が惜しまれる逸材であった。

1 2





このまとめへのコメント1

  • KikuSakuraさん|2013.01.23

    鹿介が「尼子家は私が再興しますから、安心して切腹して下さい」と言った史料はありません。
    一時Wikipediaで、誤った記事が長く訂正されないまま掲載されていました。
    出典が示されていませんし、間違った内容をネタにするのは良くないですよ。

1

(株)まぼろし がお送りする歴史雑談録。戦国、幕末、江戸時代。日本史の英傑たちを「近所のおもろいオッサン」的に見るのがこの【歴史雑談録】。歴史を穿った方向からしかもう見ません。

このまとめに参加する