1. まとめトップ

親孝行してますか~二十四孝から学ぶ親孝行~

親孝行をしたいと思っている人は是非参考にしてください。

更新日: 2012年11月24日

watchesさん

  • このまとめをはてなブックマークに追加
5 お気に入り 5377 view
お気に入り追加

『二十四孝』(にじゅうしこう)は、中国において後世の範として、孝行が特に優れた人物24人を取り上げた書物である。

剡子

剡子(ぜんし)には年老いた両親がおり、眼を患っていた。鹿の乳が眼の薬になると聞いた両親は、剡子に欲しいと願った。剡子は鹿の皮を身にまとい、鹿の群れに紛れて入った。そこへ猟師が本物の鹿と間違えて剡子を射ようとしたが、剡子が「私は本物の鹿ではありません。剡子と言いまして、親の願いを叶えたいと思い、こうやって鹿の格好をしているのです」と言うと、猟師は驚いてその訳を聞いた。孝行の志が篤いので射られずに帰り、親孝行をすることが出来た。

鹿のコスプレをする剡子。

呉猛

呉猛(ごもう)は8歳であったが、家は貧しく、蚊帳を買う金もなかった。呉猛は考え、自分の着物を親に着せ、自分は裸になって蚊に刺された。それを毎日続けると、蚊も呉猛だけを刺し、親を刺すことはなくなったと言う。

寝ている父親の枕元でうずくまる呉猛。

王祥

王祥(おうしょう)は母を亡くした。父は後妻をもらい、王祥は継母からひどい扱いを受けたが恨みに思わず、継母にも大変孝行をした。実母が健在の折、冬の極寒の際に魚が食べたいと言い、王祥は河に行った。しかし、河は氷に覆われ魚はどこにも見えなかった。悲しみのあまり、衣服を脱ぎ氷の上に伏していると、氷が少し融けて魚が2匹出て来た。早速獲って帰って母に与えた。この孝行のためか、王祥が伏した所には毎年、人が伏せた形の氷が出るという。

氷の上に伏せる王祥。

孟宗

孟宗(もうそう)は、幼い時に父を亡くし年老いた母を養っていた。病気になった母は、あれやこれやと食べ物を欲しがった。ある冬に筍が食べたいと言った。孟宗は竹林に行ったが、冬に筍があるはずもない。孟宗は涙ながらに天に祈りながら雪を掘っていた。すると、あっと言う間に雪が融け、土の中から筍が沢山出て来た。孟宗は大変喜び、筍を採って帰り、熱い汁物を作って母に与えると、たちまち病も癒えて天寿を全うした。これも深い孝行の思いが天に通じたのであろう。

孟宗竹の語源と言われているそうです。

郭巨

郭巨(かくきょ)の家は貧しかったが、母と妻を養っていた。妻に子供が産まれ、3歳になった。郭巨の母は孫を可愛がり、自分の少ない食事を分け与えていた。郭巨が妻に言うには「我が家は貧しく母の食事さえも足りないのに、孫に分けていてはとても無理だ。夫婦であれば子供はまた授かるだろうが、母親は二度と授からない。ここはこの子を埋めて母を養おう」と。妻は悲嘆に暮れたが、夫の命には従う他なく、3歳の子を連れて埋めに行く。郭巨が涙を流しながら地面を少し掘ると、黄金の釜が出て、その釜に文字が書いてあった。「孝行な郭巨に天からこれを与える。他人は盗ってはいけない」と。郭巨と妻は黄金の釜を頂き喜び、子供と一緒に家に帰って、さらに母に孝行を尽くした。

舜(しゅん)は大変孝行な人であった。父の名前は瞽叟と言い頑固者で、母はひねくれ者、弟は奢った能無しであったが、舜はひたすら孝行を続けた。舜が田を耕しに行くと、象が現れて田を耕し、鳥が来て田の草を取り、耕すのを助けた。その時の皇帝を堯と言った。堯は舜の孝行な心に感心し、娘を娶らせ皇帝の座を舜に譲った。これも孝行の心が起こしたことである。

老莱子

老莱子(ろうらいし)は、両親に仕えた人である。老莱子が70歳になっても、身体に派手な着物を着て、子供の格好になって遊び、子供のように愚かな振る舞いをし、また親のために食事を運ぶ時もわざと転んで子供が泣くように泣いた。これは、老莱子が70歳の年寄りになって若く美しくないところを見せると、息子もこんな歳になったのかと親が悲しむのを避け、また親自身が年寄りになったと悲しまないように、こんな振る舞いをしたのである。

右端が老莱子です。
まあ街を歩いていると、セーラー服を着たおじいさんがいたりしますよね。

リンク

「郭巨」が鹿児島県にある与論島の、与論十五夜踊りの演目になっているそうです。
こちらにセリフを文章化したものが載っています。
http://www.yoron.jp/imgkiji/pub/detail.aspx?c_id=45&id=28&pg=1

1





watchesさん

田舎の生まれ田舎育ちもっさいやつは大体トモダチ



  • 話題の動画をまとめよう