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omegacoreさん

アインシュタインやハイゼンベルクなどなど、稀代の天才たち全員が「自分たちの中で一番の天才はノイマンだ」と言っていた。
(ノイマン自身はアインシュタインが一番だと言っていた)

1903年12月28日、ハンガリーのブタペストに生まれたジョン・フォン・ノイマンは、小さな頃から「神童」と呼ばれるような優れた頭脳の持ち主でした。

その記憶力、計算能力は超人的で、その後彼がコンピューターを開発した後、そのデモ機と暗算で勝負をして見事にうち負かしてしまったという伝説も残っているほど

彼は同時に三つの大学(ブタペスト大学、スイス工科大学、ベルリン大学)に在学するという離れ業をやってのけ、数学だけでなく化学の学位も取ってしまい、その後ドイツのゲッチンゲン大学へと進みました。

彼はこの頃、後の政治、経済に大きな影響を与えることになる重要な書「ゲームの理論」(1944年)を経済学者のオスカー・モルゲンシュテルンと共同執筆しています。彼の活動範囲は、数学、物理、軍事、コンピューター、経済、政治、文化・・・へといよいよ拡がりをみせ始め、さらには天候の影響によって何度も変更を余儀なくされた原爆投下計画の反省から、コンピューターによる気象予測の分野にも彼は進出。そのための気象学研究グループ立ち上げの際も、まとめ役として活躍することになりました。

彼が挑んだ数々の可能性の中でも特に画期的だったのは、経済学の原理を数学によって説明しようという「ゲームの理論」です。

あまりのありえなさに伝説しか残っていない

ノイマンは人間そっくりだが、本当は宇宙人

イマンは、子供の頃、電話帳1冊を完全に記憶した。

6歳のとき、8桁の割り算を暗算で計算することができた。

関数論は、理工系の大学生が1、2年次に学ぶ数学
画像は本当はブルバキにするべきだが、画像が見つからず…

関数論は本格的な数学の第一歩。内容は抽象的で、頭の回転で対処できるシロモノではない。つまり、どんな神童でも小学生ではムリ

順序数の定義をしなおしたが、それはカントルの定義を超えるものだった

もちろん、ノイマンの一番の功績は、ノイマン型コンピュータである。

。ある日、プリンストン大学で教鞭をとる数学者が3ヶ月の苦心惨憺の末、ある問題を解いた。狂喜したその数学者は、ノイマンに聞いてもらおうと、彼の家へ飛んでいった。ノイマンが扉を開けるや否や、さっそくその問題の説明をはじめると、ノイマンはそれをさえぎり、数分ほど考えて ・・・
「君の言いたい結論は ・・・ かい?」

水爆の効率概算のためにフェルミは大型計算尺で、ファインマンは卓上計算機で、
  ノイマンは天井を向いて暗算したが、ノイマンが最も速く正確な値を出した。

実は天才じゃない?

ノイマンが天才であるということについては一定の反対意見もある。
ノイマンは、与えられた問題を解決するのは得意だったが、
自分で新しいものをクリエイトする能力は全くといっていいほどなかったからだ

京都に原爆を落とそうとした最右翼の一人

日本に対する原爆投下の目標地点を選定する際には「京都が日本国民にとって深い文化的意義をもっているからこそ殲滅すべき」だとして、京都への投下を進言した。

ソ連に敵意を燃やしていた。ソ連への核攻撃を強く主張し、後に『ライフ』誌が掲載した死亡記事によれば[25]、1950年に「明日彼らを爆撃しようではないかと言われたら、なぜ今日爆撃しないのかと言う。今日の5時にと言うなら、なぜ1時にしないのかと言う。

ノイマンの犯した間違い2つ

あまりにも難しすぎるその内容にこんな冗談がある。
「ノイマンが天才なのは知っている。彼の書いた本も素晴らしい。だが、ノイマンは単純なお金の計算もできないのか? この本を買うのは世界で一人しかいないだろう」

また、この本の内部でノイマンはディラックのデルタ関数を
「デルタ関数(ファンクション)は関数ではない。あんなものはデルタ・フィクションだ」
と一刀両断している。
しかし、後年、デルタ関数は超関数論により定式化された

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