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40年経っても色褪せない日本最高のバンド「はっぴいえんど」

今の世代は知りもしないだろう、偉大な4人が作り上げた「はっぴいえんど」という奇跡。日本の音楽シーンを作り上げてきたのは間違い無くこの4人の活躍であり、いまなおその影響ははかりしれず、なんとまだほとんどのメンバーが現役で活躍しています。

更新日: 2014年01月09日

in-bloomさん

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今年で正式に解散してから40年

はっぴいえんど(HAPPY END)は、1969年から1972年まで活動した日本のバンド。

バンドの作詞担当であった松本隆が、ダブルミーニングなどの技法を積極的に歌詞に取り入れ、日本語ロックと呼ばれた独特の世界を構築。松本は後年、ジャックスの楽曲「からっぽの世界」の歌詞に影響を受けたことを公言し、この曲がなければはっぴいえんどはなかったかもしれないという趣旨の発言をしている。大瀧と細野は音楽性を重視していたため、ロックに日本語の歌詞をつけるこの提案に反対したらしい。またサウンド面においてはアメリカのバッファロー・スプリングフィールドや、モビー・グレープに影響された先進的な音であった。メンバーは宮沢賢治に影響を受けており、その世界観が音楽性にも影響している。

メンバー

なくなってしまったのがほんとうに残念です。ご冥福をお祈りします。

日本の音楽シーンを作り上げた

当時はGSを含む歌謡曲やフォークが日本の音楽シーンの大半を占め、若者はそれに熱中し、ロックはまだアンダーグラウンドな一部のファンのためだけの存在...そんな中現在のJ-POPSシーンの基礎を作り、「自作・自演」でオリジナリティ溢れる作品を発表するバンドやアーティスト達が現れます。それがはっぴいえんど(細野晴臣、松本隆、大滝詠一、鈴木茂)や遠藤賢司といったURCレコードに所属するアーティストでした。彼らは次々に新しい感性で斬新な作品を発表、はっぴいえんどが解散してからも細野晴臣と鈴木茂らはキャラメル・ママ(後のティン・パン・アレー)を結成し、荒井(松任谷)由実や吉田美奈子といった個性を生み出して行きます。また大滝詠一はナイアガラ・レーベルを設立、山下達郎や大貫妙子といったミュージシャンを育て、結果的にはこのはっぴいえんどを中心としたURC系の流れが現在のJ-POPSのシーンを創りあげたと言っても過言ではありません。

ここで言われているJ-POPは今のJ-POPと言うよりは、90年台ぐらいまでのちょっと昔のJ-POPだと思われます。

ユーミンの1st「ひこうき雲」。
バックバンドのキャラメルママのメンバーに細野晴臣と鈴木茂。

はじめてロックに日本語を乗せた

はっぴいえんどは、アメリカのロック・バンド、バッファロー・スプリングフィールドを目標として結成された、ある意味確信犯的なコピー・バンドでした。しかし、活動開始当初から、彼らは日本における主流派だった英語を用いたロックではなく、日本語の歌詞による、より日本的なロックの道を選んでいました。
 誰よりも当時のアメリカン・ロックに詳しかった彼らは、自分たちにも日本人としてのオリジナルなロックを作ることができると確信していたのです。このことは今考えると、ごく当たり前のことかもしれませんが、当時は「ロックに日本語が乗るわけがない!」そう、まじめに思われていたのです。その証拠に、これと同じようなことが、その20年後にも再び起きています。「ラップに日本語の歌詞が乗るわけがない!」そう思われていたのは、ついこの間のことなのです。

日本語ロック論争、別名はっぴいえんど論争を巻き起こす

この日本語ロック論争は、60年代末頃からニューロックという言葉が流行しており、つまりニューロック=新しいロック、これからのロックは、日本語で歌うべきか、英語で歌うべきかが議論された。ニューロック誕生当初、日本語はロックのメロディーに乗らないというのが定説であり、日本のニューロックは英語で歌うミュージシャン(主に内田裕也、フラワー・トラベリン・バンド、ザ・モップスなど)が主流で、英語で歌い海外で成功すというのが彼らの共通の目標であった。そこにはっぴいえんどや、ボブ・ディランに影響を受けフォークからロックに転身した岡林信康ら、日本語でロックを歌うアーティストの登場により起こった議論である。

ただし議論とは名ばかりで、実際には英語で歌っていたミュージシャンが一方的に日本語で歌っているミュージシャンに難癖をつけた、という方がより実情に近い。論争のきっかけは『ニューミュージック・マガジン』で発表された日本のロック賞の上位にランクされたのが、主に日本語で歌っているアーティスト、特にURCレコード(主にフォーク系のアーティストの作品をリリースしていたレーベル)のアーティストが上位を占め、英語で歌っているアーティストが選ばれなかった事に始まったといえる。

未だに誰も超えられないアルバム「風街ろまん」の発表

彼らは世間での評判や売れ具合などには関係なく、より自分たちのスタイルを深めた作品「風街ろまん」(1971年)を発表します。マンガ雑誌「ガロ」からの影響を受けた言われる日本的で叙情的な松本の歌詞は、いよいよ映像的幻想的になり、多くの人の心に秘められた懐かしい街の姿を見事に描き出してみせました。(小津安二郎監督が描いていた古き良き東京の街をイメージさせます)
 音楽的にも、より深いカラーを出すために一曲一曲をそれぞれの作者自身がプロデュースし、いよいよクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングのようなソロ・プロジェクトの集合体的要素を強めてゆきました。しかし、だからこそバンドの解散はごく自然な流れだったのかもしれません。
 1972年に4人はロスに結集し、ラスト・アルバム「Happy End」を制作します。しかし、この時すでに4人は別々に活動を開始していました。

「誰も超えられない」というのは僕の主観です。異論は認めます。

大瀧詠一のソロ作品「幸せな結末」の大ヒット

ドラマ「ラブジェネレーション」の主題歌で大ヒット。
狙っていたのか、たまたまなのか、タイトルである「幸せな結末」を英語にすると「HAPPY END」になります。

本当に素敵なことをやってのけます。

これは引用を使っていますが、僕の言葉です。
初めてこの事実に気づいた時には鳥肌が立ちました。

未だに新鮮に聴けるその音

はっぴいえんどが解散して、すでに30年以上がたちました。しかし、世紀末には再び彼らの再評価熱が高まり、若手ミュージシャンたちが、彼らのカバーにチャレンジしたり、トリビュート・ライブが行われたりと、その物語に終わりはまだまだなさそうです。
 しかし、何より凄いのは、彼らのオリジナル・アルバムがリミックスなどという余計なお化粧をしなくとも、未だ十分新鮮に聴けるということです。それは、彼らの音楽の魅力が歌詞や曲の良さだけではなく音楽全体が発する総合的な魅力から成り立っていることの証なのかもしれません。
 鈴木茂のギターは格好いいし、松本隆のドラムはまるで歌っているように聞こえます。それと大滝、細野の味わい深い歌声。リズムだけでなく、歌詞だけでなく、アンサンブルだけでもない、かつてビートルズが築き上げたロックの一つの完成型。その域に到達したのが、彼らだったのかもしれません。彼らは日本のロック界において、かつて自分たちが目指していたバッファローを越える存在になったと言えそうです。

バッファローのようなことをやろうというのは、音楽の構造でもない、演奏技術でもないもっと違った何か、第3の謎がね、そこに隠されているんですよ

細野晴臣「定本 はっぴいえんど」より

参考文献

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このまとめへのコメント1

  • guiguichanさん|2013.03.27

    鈴木茂の顔写真が細野になってるし。

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in-bloomさん

しがないバンドマンです。
会社勤めしながら活動しています。