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戦争に負けてアジアから去った日本への賛美の声

「日本は戦争中にアジアで酷いことをした」とだけ学校で習ってきました。しかし本当にそうだったのでしょうか?日本が戦争中に勇敢に白人たちと戦ったことで戦後の植民地としてのアジアの独立につながったという事実を知っている人は少ないのではないでしょうか??

更新日: 2015年02月21日

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tetsukota96さん

そもそも戦前のアジアって??

なんと独立国は日本とタイだけです。
(中国は内戦状態)
あとはすべて白人国家の植民地!!

※ちなみにフィリピンはマッカーサ家の影響力が強い。

今あるこれだけの国は以前植民地だったのでした。

アジア独立の英雄、識者たちが語る『日本』

たしかに日本が行ったことは侵略かもしれません。
しかし、アジアの英雄たちの発言から見える日本がアジアに対して何を行ったかという真の意味がわかるのではないかと思います。

インドは程なく独立する。
その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のおかげで30年早まった。この恩は忘れてはならない。
これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。
インド国民は、日本の国民の復興にあらゆる協力を惜しまないであろう。他の東亜諸民族も同様である。

【名言集】戦後、日本に贈られた言葉たち。

インド、極東国際軍事裁判判事・法学博士

要するに彼ら(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の一七年間(昭和3~20年、東京裁判の審理期間)の一切を罪悪と烙印する事が目的であったにちがいない。

私は1928年から1945年までの一七年間の歴史を二年七ヶ月かかって調べた。この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文の中に綴った。
その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということがわかるはずだ。
それなのに、あなた方は自分らの子弟に、「日本は犯罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」を教えている。満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。
日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない。
あやまられた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。あやまられた歴史は書き変えなければならない。

(昭和二十七年十一月五日、広島高等裁判所での講演)

マレーシア、元外相、アセアン創設によりハマーシェルド賞受賞

日本の某代議士の「過ぐる大戦において、わが国は貴国に対しご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」という挨拶に対して、「どうしてそういう挨拶をなさるのですか。あの大戦で日本はよくやったではないですか。マレー人と同じ小さな躰の日本人が、大きなイギリス人を追い払ったではありませんか。その結果、マレーシアは独立できたのです。大東亜戦争なくしては、マレーシア人もシンガポールも、その他の東南アジア諸国の独立も考えられないんですよ」

インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。
それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈もした。
驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。

昭和44年「日本経済新聞」

ビルマ元首相 独立宣言より

約五十年前ビルマは三回にわたる対英戦争の結果その独立を失えり、英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり。
英国はさらにその伝統的陰謀賄賂及び想像し得るあらゆる詐欺及び術策の武器をしようせり。
ビルマ人は徐々に搾取され時の進むに従い総ての国民的実質、莫大なる物資的資源、機会、文化、言語、さらに遂にはその生活様式までも失い愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流謫、拷問及びしばしば死そのものを甘受して突進して来れり、これらの英雄はビルマの生存のため苦難を受け遂には斃れたり。
ビルマ人はアジアを結合せしめアジアを救う指導者を待望しつつありしが遂にこれを大日本帝国に発見せり。
ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり・・・」

日本軍が米・英・蘭・仏をわれわれの面前で徹底的に打ちのめしてくれた。われわれは白人の弱体と醜態ぶりを見て、アジア人全部が自信を持ち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。日本が敗北した時、『これからの独立戦争は自力で遂行しなければならない。独力でやれば五十年はかかる』と思っていたが、独立は以外にも早く勝ち取ることができた。
 そもそも大東亜戦争はわれわれの戦争であり、われわれがやらねばならなかった。そして実はわれわれの力でやりたかった。それなのに日本にだけ担当させ、少ししかお手伝いできず、誠に申し訳なかった

昭和三十二年の来日時

「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」( 十二月八日、現地の新聞「サイアム・ラット紙」において )

勝者アメリカによる戦後の「本音」

アメリカが戦争に参戦したかった理由は、過去6年間の自己の失政を糊塗する為。
過去6年間のルーズベルトの失政(「ニュー・ディール」政策)、戦争指導者としての歴史に名を残したいという自己顕示欲を満たす為。
大統領自身が国際連合を組織して、ソ連のスターリンとともにその支配者になるためである

ハミルトン・フィッシュ氏(共和党上院議員)

アメリカは欧州戦線に参戦したいがためにどうしても日本と戦争がしたかった。
日本を研究し尽くしていたアメリカは日本をいかに挑発すればよいかを知っていたのだ。
原油輸出を止め、中国の権益をよこせと恫喝することで日本がまんまと罠に陥っていったのが「太平洋戦争」であった。

アメリカ、日本占領連合軍最高司令官・元帥

日本の潜在労働者は、量においても質においても、私がこれまで知っている中の最も立派なものの一つである。
しかし、彼らは労働力はあっても生産の基礎素材を持たない。日本には蚕のほかに取りたてていうべきものは何もないのだ。
日本人は、もし原材料供給が断たれたら(経済封鎖されたら)一千万から一千二百万が失業するのではないかと恐れていた。
それ故に、日本が第二次世界大戦に赴いた目的は、そのほとんどが、安全保障のためであった。

(1951年5月3日米上院の軍事外交合同委員会の聴聞会における発言)

ルーズベルト大統領は、その絶大な権力を使って遂に米国を日本との戦争に巻き込むことに成功した。
そのことは、米国を欧州における戦争に参戦させるという彼の最終的な目的を達成させた。

若し吾々が日本を挑発しなかったならば決して日本人から攻撃を受ける様なことはなかったであろう

大西洋でヒトラーを戦争行為に挑発出来ない事がはっきりしてきた1941年6月の、日本の経済的封殺で始まった戦術の切り替えを除いては、戦争への道はまったく直線的であった。
全局面を通じる戦争工作の建築家であり大指揮者だったのはフランクリン・デラノ・ルーズベルトだ

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