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日本はドイツのように戦後補償をしていないと主張する人がいますが、本当はどうなんでしょう

近年、韓国において、日本とドイツの戦後処理についての比較がされることが多くなりましたが、実際どうなのか、事実の数字を比較してみましょう。

更新日: 2014年03月31日

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近年、韓国において、日本とドイツの戦後処理についての比較がされることが多くなりましたが、実際どうなのか、事実の数字を比較してみましょう

ドイツは心から戦争を謝罪して、十二分な賠償をしてきたのに、日本はしていない、という主張をする人がいますが、本当でしょうか?

ドイツは、ナチが悪く、一般国民は仕方なく従ったと弁明して、戦後補償を殆ど免れています

①(一九五三年にソ連が東独に対する賠償請求権を放棄した)

②旧占領四ヶ国はドイツに対するすべての権利と責任を最終的に消滅させている。

③ドイツの場合、連合国との正式の講和条約はとうとう締結されないまま今日を迎えている。
東西に分裂したドイツが統一するまで講和条約の締結を待つというのが表面上の理由だが、実は冷戦の影響が大きい。東西両陣営とも、東と西の両ドイツに対する経済的圧迫を手控えざるを得なかった。

④(連邦補償法)この法律は、ナチス迫害により生命、身体、健康、自由、所有物、財産、職業上経済上の不利益を被ったものに対する補償を内容とする。

制定以来同法に基づく給付申請約450万件中220万件が認定され、これまでにおよそ710.5億万マルク(3兆5951.3億円)を給付、現在は約14万人に年間15億マルク(759億円 1人平均月額900マルク(1マルク50.6円換算で45540円))を支払っている。

つまり、国としての賠償金は支払っていなく、個人補償がほとんどだということです

1 EUR = 1.95583 マルク
1 EUR = 98.92319円
1マルク = 50.5786円  2012.8.30現在

昭和30年のスチュワーデスの初任給は7000円でした。

現在、スチュワーデス初任給は、契約社員で22万5000円とありますので、インフレ率は32.14倍

昭和20(1945)年、敗戦国となった日本は7年間の占領期間を経た後の昭和26年に、サンフランシスコ条約を結んで連合55国ヶ国中48ヶ国と講和をしました。この条約とそれに続く個別の国との協定(二国間協定)で、戦争で日本が与えた損害に対して賠償を行なうことを約束し、ここから戦後処理が始まったのです。

例えばフィリピンには賠償約1980億円、借款約900億円、インドネシアには賠償約803億円、借款約1440億円を支払っています。この他、別表にあるように、賠償、補償の総額は約3565億5千万円、借款約2687億8千万円で併せて6253億円(現在換算20兆971.42億円)にのぼります。

(単位は億円) 賠 償 準賠償 各種請求権
ビルマ(ミャンマー) 720.000 612.000  
スイス     12.0000
平和条約16条     45.0000
タ イ   96.000 54.0000
デンマーク     7.2300
オランダ     36.0000
フィリピン 1980.000    
スペイン     19.8000
フランス     16.7280
スウェーデン     5.0500
インドネシア 803.088 636.876  
ラオス   10.000  
カンボジア   15.000  
南ベトナム 140.400    
イタリア     8.3305
英 国     5.0000
カナダ     0.0630
インド     0.0900
韓 国   1080.000  
ギリシャ     0.5823
オーストリア     0.0601
マレーシア   29.400  
シンガポール   29.400  
ミクロネシア   18.000  
北ベトナム   85.000  
ベトナム   50.000  
アルゼンチン     0.8316
モンゴル   50.000  
補償総額 6565億9295万円    
在外資産の喪失 3794億9900万円    
中間賠償 1億6516万円    
合 計 1兆362億5711万円
(国立国会図書館外交防衛課作成の資料)
(借款は除外)

これ以外にも事実上の賠償として、当時日本が海外に保有していた財産はすべて没収されました。
それは日本政府が海外にもっていた預金のほか鉄道、工場、建築物、はては国民個人の預金、住宅までを含み、当時の計算で約1兆1千億円(現在換算35兆3540億円)に達しています。

現在の経済大国、日本ではなく、戦後のまだ貧しい時代に、時には国家予算の3割近くの賠償金を約束し、きちんと実行してきていたのです。

日本がサンフランシスコ平和条約に基づいて、戦後外国に支払った金と物は膨大なものであり、当時の金額で約1兆1千億円(現在換算35兆3540億円)にのぼります。中身は、①賠償および無償経済協力(準賠償)、②賠償とは法的性格を異にするが戦後処理的性格を有する贈与・借款、③軍需工場など日本国内の資本設備を、かつて日本が支配した国に移転、譲渡する「中間賠償」、④戦前、日本政府や企業、個人が海外に持っていた在外資産の諸外国への引き渡し、の四つから成ります。

個々の国々との二国間協定とは

サンフランシスコ平和条約の十四条は「日本軍隊によって占領され、日本国によって損害を与えられた連合国」が、日本と二国間協定を結ぶことによって賠償が受けられることを規定しました。該当する連合国とはフィリピン、ベトナム、ラオス、カンボジア、インドネシア、豪州、オランダ、英国(香港、シンガポール)、米国(グアム、キスカ、アッツ)の九か国を指します。ただ、大戦中はこれらの国は米、英、仏、オランダの植民地あるいは属領であり、国際法上は独立国家ではありませんでした。この内、ラオス、カンボジア、豪州、オランダ、英国、米国は賠償請求権を放棄または行使しませんでしたが、ラオス、カンボジアとは経済・技術協力協定を結び賠償に代わる準賠償を行ってきました。またこの九か国以外でも、スイスやアルゼンチンなどには日本から受けた損害に対する賠償請求権が認めらました。
 フィリピンには千九百八十億円、ベトナム(南ベトナム)には百四十億四千万円を支払いました。北ベトナムに対しては七五年に八十五億円、また七六年には統一後のベトナムを対象に五十億円の無償経済協力をしました。

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