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murasaki09さん

東儀秀樹 音楽家(雅楽師)マルチクリエーター

24歳のとき膝に水が溜り、そこからガン細胞が見つかった。

膝に癌を患って、余命1年、という事態を体験している。

でもそのことを知ってしまったとき、

 僕はまったく怖くなかった。

、「ああ、自分の人生は25,6年ということだったんだな」と平然と受け止めていた。

単にほかの人よりも短い人生なんだなと考えただけです。

「どうせ死ぬなら、こんなことしたって仕方がない」と投げやりになる人が多いと思いますが、僕はそうならなかった。友達がきたら、普通にゲラゲラ笑っていた。

死ぬということがもうそこまで来ているんだったら死ぬ間で一生懸命精いっぱい生きればそれは僕の人生なんだと思うと何か全然怖さがなくて

1日1日ものすごく一生懸命生きるのがいいなと思っていたら
その癌細胞のなにかを培養したものがどんどんどんどん減っていって、

僕は弱らず、どんどん元気になった、医者は首をひねった何もしていないのに何故だか不思議だと言う。

なにもしてないわけではない。自然にしていることがある、
いつも「わくわく」している。  それだけ

バイク事故で重症 脳出血。

後輪が見事にスリップして、思いっきり地面に叩きつけられた。
くの字に横たわった身体も少しも動かせない。


そうとうヤバイぞ。そう感じた。
同時に、それでもまだまだ生きるんだから!

居眠り運転のトラックに追突され首の骨を折りかけた。

「こんなふうに突然死が訪れることだってあるんだな。ああ、でも僕は生きている」と、やはり俯瞰的に事態を眺めていました。「トラックの運転手はビビっているだろうな」と変な気をまわしたり。

死が目の前にあったとしても、冷静に対応するけど根本は「どうにかなるさ!!」と楽天的に考える所は不死身のゆえんなのかも知れません  とゆーか器が大きすぎる。

いのちって、人間の頭で想像する範囲を超えているものだと思うんです。

ものすごく好奇心旺盛なんですよ。ほかの人が面白そうなことをしていたら、すぐに自分でやってみないと気が済まない。

親でもいいんですが、自分をつくってくれた存在に対して、「自分はちゃんと生きているぞ」「人生を無駄にしないで大切にしているから、見ていてくれ」

といえることが、いのちを思うことなんだと考えています。

同じ世代の人を見ると、もう50歳だからこんなことはしないとか、50歳だからそういうところには行かないとか、自己規制している。でも、それって結局、年齢を言い訳にしているだけだと思うんです。

「人が30年かかってすることを、僕は器用だから10年でできるかもしれない」という根拠のない自信を持っています。

笑って楽天的な考えで ・・・・結局病は気からっていうのが僕は信じられると思うんですけどもそれが肉体的なものも全部カバーしちゃうんじゃないかなと。

どんな状況でも、常に前向きに人生を楽しもうとする姿勢には学ぶべきところが多いと思います。

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