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実際にあった不思議な事件『ハーメルンの笛吹き男』~子どもが消えた原因とされる4つの説

ハーメルンの笛吹き男(パイドパイパー、独:Rattenfänger von Hameln)はグリム兄弟を含む複数の作者によって記録された民間伝承である。この伝承は、おおよそ1284年6 月26日に生じたと推定される、ドイツの街ハーメルンの災厄について伝えている。

更新日: 2012年11月25日

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lincoln41さん

▼童話『ハーメルンの笛吹き男』あらすじ

ハーメルンの人たちが困っているところに、「私はねずみを退治することができます」とカラフルなまだら模様の服を着た笛吹き男がやってきました。

街の人たちはこの男にねずみ退治をお願いすることにし、笛吹き男は笛の音によってねずみを操り、ねずみたちは笛吹き男に続いて水の中に入り、溺れ死んでしまいました。

笛吹き男がねずみを退治してくれたにもかかわらず、街の人たちは笛吹き男にお金を払うのがもったいなくなって、いろいろと文句をつけて笛吹き男を街から追い出しました。

6月26日に笛吹き男は再び街にやってきて、笛を吹き始めました。すると町中のこども130人が笛吹き男に付いていき、街からこどもが消えてしまいましたとさ。

▼この物語は事実を基に構成されている?!

それは、実に不可解な事件であった。大量の子供が突如として消え失せてしまったのである。

実際に何らかの理由でハーメルン村から130人の子どもが消えています。

この物語は、1300年頃にハーメルンのマルクト教会に設置されていたステンドグラスの題材としても取り上げられていた。

事実をもとに作られたとされています。

子供たちは、まるで神隠しにでも合ったように、ある日、忽然と消え失せてしまったのだ。

悲しみは計り知れません。

犠牲となった子供たちに対する哀悼の意を込めて、ハーメルンのある特定の街路では、歌ったり音楽を奏でたりすることを禁止する法律が長く定められていた

童話をもとに法律ができるでしょうか。

▼子どもが消えた原因~4つの説

子供たちはある事故で死んだ(ポッペンブルク山で事故死/ヴェーザー川で溺死など)とする説。

1284年6月26日は、“ヨハネとパウロの日”という夏至祭りの日にあたり、ハーメルンではこの祭りの日の夜に、ポッペンブルク山に“夏至の火”を灯す習慣があった。

この山の地形を見ると切りたった崖があり、そのちょうど真下が幅が150メートルもある底なし沼になっていた。そこから一つの推測が成り立つという。

『子供たちは大人の真似をして山に火を灯そうと自分たちだけで山に向かうが、夜道を行列になって歩いている時、崖から足をすべらせて、次々に底なし沼に転落して死んでしまった』

子供たちは何らかの伝染病にかかり、ハーメルンの他の住民に感染しないように町から誘い出され、別の場所に隔離されたとする説。
(以前ペストが流行した時の対応と似ているため)

また「子供たちは踊りながら」という箇所について、ハンチントン舞踏病ではないかともいわれている。

舞踏病の集団発生は、ヨーロッパの幾つかの村でペストによる苦難の期間以降に遍く記録された共同体内での舞踏性躁病の発生の一例を連想させるともいわれており、別の作家が書いた日付1376年という説と一致している。

これらの説では、笛吹き男は死神の象徴として描かれていると解釈されている。

巡礼または少年十字軍運動のようなもので、子供たちが集団で町から出ていったが、それ以来二度と両親の元へ戻らなかったとする説。

これらの説では、名前の出てこない笛吹き男は、運動のリーダーか新兵徴募官であったと解釈されている。

子供たちは東ヨーロッパの植民地で、彼ら自身の村の創建者となるために、自ら望んで両親とハーメルン市を出ていったとする説。

この時代にできた幾つかのヨーロッパの村と都市は、ハーメルンの子供たちが開拓(ドイツ植民)して築いた努力の結果であると考えられる。

この説でも笛吹き男は、運動のリーダーであったと解釈されている。

もっとも可能性が低いのはペスト説だといわれている。

子供たちが1284年にいなくなったという伝承は非常に古くから正確に記録されているが、1300年代の記録は見当たらない。

現代の学者たちは、1番目の事故死説と4番目の植民説がもっとも可能性が高いと考えている。

1番目は日付と風習、地形が合うことなどから支持されており、4番目は13世紀に活発だった東ヨーロッパ植民活動が考えられ、笛吹き男として描かれているのは徴募者で、ハーメルンの若い世代の大部分を、遠いドイツ東方の土地への植民として募りに来たとしたものだ。

▼真相は・・・?

1284年、ヨハネとパウロの日
6月の26日
あらゆる色で着飾った笛吹き男に
130人のハーメルン生まれの子供らが誘い出され
丘の近くの処刑場でいなくなった

ハーメルンで発見され1602年の碑文です。

ここに記されている『丘』は、ハーメルンの市を囲む幾つかの丘の一つであるかのように思われます。
しかしながら、果たしてどの丘がこの詩の作者によって意図されたのかは、未だ不明なままです。

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