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KGB流心理作戦 プーチン・マジック・犬

KGB(ソ連国家保安委員会)時代は大佐です。あのシャアと同じですね。優​位に立て!精神的優​位に立つ。

更新日: 2013年02月13日

TicTacさん

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ウラジミール​・プーチン,常に国の最前線でリーダーシップ

ロシアのウラジミール​・プーチンはメルケル​首相が犬に対して病的​な恐れを抱いているこ​とを知っていた。

​そしてメルケル首相と​の会談の場で精神的優​位に立つために大きな​犬を連れてきた。

コニーは1​999年にサイノロジ​ー・センターで生まれ​た。そこで彼女は捜索​・救助犬として訓練さ​ れることになっていた​。コニーの名前はコン​ドリーザ・ライスから​とられたものだという​噂があるが、真相は不​明である。2000年​12月にセルゲイ・シ​ョイグからのプレゼン​トとしてプーチンに贈​られた。

少女時代​に犬に噛まれたことが​ある。2007年にソ​チでロシアのウラジー​ミル・プーチン大統領​と会談中、プーチンの​愛犬コニーが乱入して​彼女の足下に座った。​

​メルケル首相は、不快​に思ったようだったと​ いう。

1952年10月、ロシア第2の都市、レニングラード(現サンクトペテルブルク)の貧しい家庭に生まれた。映画や小説の影響でスパイにあこがれて猛勉強し、レニングラード大法学部を経て旧ソ連国家保安委員会(KGB)入りした。

在外勤務地は東ドイツのドレスデンと二流どころだったが、KGBに身を置いた経歴は「国家至上主義」といえる彼の統治観に表れている。前大統領期に地方知事の選挙を廃止、主要メディアを国家統制下に入れるなど強権統治を推し進めたのも、「まずは強い国家の再興が必要」との考えからだ。

東独勤務の89年に「ベルリンの壁」崩壊を目の当たりにし、ソ連の暗い先行きを予感。ソ連が消滅する直前の91年8月にKGBを去り、大統領府に勧誘される96年まで、大学の恩師が改革派市長だったサンクトペテルブルクで副市長を務めた改革派官僚の顔も持つ。

1988年撮影ってことは、米ソ冷戦終結間際かな。
首から下げてるカメラが、改造銃だったりなんかしたら、歴史が変わっていますね
こういうスパイ活動経験者が、大統領になれたロシアという国ってすごいなぁと思います。
http://chucchu-chu.seesaa.net/article/196429227.html

動物好きで有名なプーチン首相。今回のブルガリア訪問で、ホリソフ首相から、カラカハン・ドッグ(Karakachan dog)の子犬をプレゼントされた。

日露首脳会談でプーチン大統領は、APEC首脳会議の会場で活動した学生ボランティアのうち500人を横浜への船旅に招待するとし、500人分の入国ビザを2日間で手配してほしいと野田佳彦首相に要請していた事が分かった。野田首相は期間の短さと人数の多さに少し当惑した様子を見せたが、・・・・・・
http://seiji2ch.ldblog.jp/tag/%E3%82%A6%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%B3

1. 氏名

 ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン
 (Putin, Vladimir Vladimirovich)

2. 生年月日

 1952年10月7日

3. 出身地

 レニングラード市(現サンクトペテルブルク市)

4. 学歴

 1975年 レニングラード国立大学法学部卒業

6. 家族

 既婚(妻リュドミーラ)。2女。

7. 趣味

 少年時代に始めた柔道は、1976年にレニングラード市チャンピオンとなり78年にスポーツ・マスターの称号を得たほどの腕前。2000年9月の訪日時には講道館から六段の段位を受けた。

8. 訪日歴

 5回(大統領としての訪日はうち3回)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/russia/cv/r_putin.html

2007年南米のグアテマラで開催地決定のIOC総会が開かれたときに、韓国の平昌が優勢ということで、ソチにはほとんど注目されていませんでした。しかしプーチン大統領自らがIOCへのロビーイングを続け、IOC総会ではプーチン大統領自らが英語で演説し、まさに逆転でソチオリンピック決定を勝ち取りました。プーチン大統領の政治力が強く印象に残っています。
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/450/141390.html

プーチン大統領は、講道館館長から送られた六段の紅白帯をその場で締めることを丁重に辞したうえ、こう言葉を続けました。「私は柔道家ですから、六段の帯がもつ重みをよく知っています。ロシアに帰って研鑽を積み、一日も早くこの帯が締められるよう励みたいと思います」
http://www.yamashitayasuhiro.com/kouenroku/yawaranohito/yawara.html

今思うとロシアとアメリカの間で一時的にせよ蜜月時代があったとは不思議な気がする。
それはプーチンが大統領になった2000年からブッシュがイラク戦争を始めるまでの2003年までの約3年間だが、この間はロシアとアメリカの関係はちょうど日本とアメリカのような関係だった

なぜプーチンのロシアがアメリカや西欧との関係改善を求めていたかと言えば以下の理由だろう。
① 国内経済が疲弊し海外からの資本投入以外に経済再建がおぼつかなかったこと、
② 国内の反プーチン派を叩き潰すことに忙しかったこと、
③ チェチェンで独立運動が起こっていたこと
プーチンにとり上記問題の解決が優先で、その間はアメリカとことを起こしたくなかった。

プーチンにとって幸いだったのは2001年9月に信じられないような同時多発テロがニューヨークで発生し、ブッシュ大統領が頭に血が登ってアルカイダ殲滅に乗り出したことだ。
ブッシュはアルカイダが根拠地を置くアフガニスタンの山岳地帯を攻撃することにしたが、空母による海からの攻撃だけでは容易にアルカイダは背後の旧ソビエト領のタジキスタンやキルギスに逃げ込んでしまう。

そこでタジキスタンとキリギスの空軍基地を対アルカイダ殲滅のために使用してほしいとプーチンのロシアに申し込んだ。
この申し出でに対しロシアのイワノフ国防相は絶対反対だったが、プーチンはロシアが行っている「チェチェン紛争は同じくテロとの戦いだ」と言うことをアメリカが同意することを条件にこの申し出でを受け入れた。
チェチェンの戦士の秘密訓練所がアフガニスタンにあったこともプーチンが同意した大きな要因だったと言う。
「よし、アメリカにアフガニスタンにあるチェチェンの秘密訓練所をたたいてもらおう」

だがしかしロシアとアメリカとの蜜月はそう長くは続かなかった。
アメリカが長くロシアとの間で締結していたABM条約(弾道弾迎撃ミサイル制限条約)を廃棄したいとロシアに申し出て来たからだ。
ABM条約は迎撃ミサイルの配置と数を制限する条約で、迎撃能力を互いに最小に抑えることで相互確証破壊を保障し、その結果互いに核戦争を防ごうとした条約である。

アメリカがABM条約を破棄しようとしたのは核兵器の運搬手段を持つ国はロシアだけでなく中国もインドもイランも(現在では北朝鮮も)そうした能力を持ってきたからだ。
「まずいじゃないか、迎撃能力がないとロシアの核兵器はともかく中国やイランからの攻撃を防げないじゃないか・・・・」

一方ロシアは迎撃能力ではるかにアメリカに遅れていたためABM条約の破棄に大反対したが、アメリカはロシアの反対を押し切って2002年に脱退してしまった。
このことがプーチンにアメリカとの蜜月時代の終焉を決意させた。

2003年3月、アメリカはイラクに大量破壊兵器が隠されているとの理由にイラク侵攻を図ることにし、国連決議を要求したがこのときロシアはフランスとドイツと図って安保理決議を葬り去ることにした。
「明確な証拠がない限りイラクへの侵攻は認められない」

アメリカは致し方なくイギリス・オーストラリア等との有志連合でイラク戦争に突入したが、この戦争を契機に石油価格が上昇し始め石油資源王国ロシアに思わぬ富をもたらすことになった。
石油価格は開戦当初30ドル程度だったのがその後一本調子で上昇し、リーマンショックで世界経済が崩壊する2008年まで約100ドル程度にまで上昇した。

ロシアは漁夫の利を得たのだが、当初この利益は新興財閥だけのものだった。
プーチンは強いロシア再生のために石油会社ユコスのポドルフスキーをKGBの総力をあげて追い込みユコスを国家管理にすることで財政の安定化が図れるようになった。
そうしてプーチンはアメリカとの提携を捨てて、再び強いロシアに邁進し始めた。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-7c80.html

ソ連崩壊後、年間約百万人が減少する人口動態危機に見舞われてきたロシアで、今年、連邦崩壊後20年で初めて人口増加に転じる可能性が出てきた。

ロシアは91年のソ連崩壊による経済の悪化と社会不安の増大に伴い、深刻な人口減少に見舞われた。過剰なストレスやアルコール被害から男性の平均寿命は50代後半にまで落ち込み、総人口は93年の1億4856万人をピークに減少幅は年間70~100万人までに達した。国連は2050年までに1億783万人まで減少すると予測した。

しかし、ロシアはここ10年で高度経済成長を続け、プーチン前政権時代の06年に本格的な少子化対策を開始。
2人以上の子供を持つ母親に対して、25万ルーブル(約70万円)を補助する「母親資本」制度の実施や育児手当を拡充したことから、出生率が向上し出した。
一方、医療保険制度の改革も進め、死亡率も危機的な状況から改善されつつある。

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