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【大正ロマン】日本文化と西洋文化が交じり合う『大正時代』のまとめ【画像・動画】

伝統と近代化の織り交ざった古き良き時代『大正時代』をまとめてみました。

更新日: 2016年03月08日

yu-ao-aoさん

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■大正元年(明治45年)1912

18歳で岡山県から上京。苦学しながら雑誌などに投稿を続け「夢二式」を確立。その美人画と詩は明治から大正にかけ人気を呼んだ。写真は翌2年に発表した「宵待草」、これは歌にもなった。
商業美術を目指すも関東大震災で挫折。やがて肺を病み、昭和9年死去。

■大正2年1913

大正デモクラシーの中で、平塚らいてう は婦人の目覚めを促す文芸誌「青踏」 や新婦人協会設立などに活躍した。写真は 「青踏社」 に集まった女性達。その活動は、婦人参政権はじめ女性の地位向上、平和運動などに活躍した。

初期の制服は緑の袴、丈60cmの長袖の着物、髪はお下げにして根元にリボン。音楽家安藤 弘の助言で少女歌劇を演じることになり、翌春初公演を行った。

森永ミルク・キャラメル[森永製菓、バラ売りで1粒5厘、6月10日]<当初、タバコの代用品としておとな向けにつくられた>

■大正3年1914

東京の表玄関を飾るヨーロッパ風赤レンガ3階建て駅舎は辰野博士の設計で、この年12月に完成した。
昭和20年の空襲で焼失したが、改修現在に至っている。


朧月夜[作詞:高野辰之]♪ 菜の花畠に 入日薄れ 見わたす山の端 霞ふかし 春風そよふく 空を見れば 夕月かかりて におい淡し

故郷[作詞:高野辰之] ♪ 兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川 夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷

■大正4年1915

帰りの松山省三が銀座に「カフェプランタン」を開いたのが明治44年3月。コーヒー、ウィスキーをはじめ珍しい洋酒を提供して親しまれ、黒田清隆、森鴎外、永井荷風ら多数の文化人が常連だった。カフェは大正初期から昭和にかけて全国の大都市に広がり、ハイカラ紳士に親しまれた。

「命短し恋せよ乙女」 芸術座が4月26日、帝劇でツルゲーネフ「その前夜」を初演。松井須磨子が歌った劇中歌「ゴンドラの唄」(吉井勇作詞 中山晋平作曲)が人気を呼び、6月にはレコードになってこのメロディーが人々に親しまれた。とくに黒澤明監督の「生きる」で志村喬がブランコに乗ってこの歌を歌う場面は圧巻であった。

♪いのち短かし 恋せよ乙女     紅き唇 あせぬ間に
  熱き血潮の  冷えぬ間に   明日の月日は  ないものを

♪いのち短かし  恋せよ乙女    いざ手をとりて  かの舟に
  いざ燃ゆる頬を 君が頬に   ここには誰も  来ぬものを

■大正5年1916

東京帝大教授で政治学者の吉野作造が 「中央公論」1月号に100ページもの論文を発表した。「憲政の本義を説いて其の有終の美を済すの途を論ず」でデモクラシーの訳語として 「民本主義」 という言葉をあて、これが実現しなければならない。憲政の精神的な基盤だと説いた。この論文が護憲運動を中心とした大正デモクラシーな理論的な支柱となった。

陸軍が完成させた国産飛行船「雄飛号」が、1月21日午後1時30分所沢飛行場を離陸、途中豊橋で燃料補給したあと、22日午前5時10分大阪に着陸した。搭乗したのは益田少佐ら3人。空をゆっくり飛ぶ飛行船に人々は驚いた。

■大正6年1917

石井獏、佐々紅華らの結成により東京歌劇座が10月23日から浅草の日本館で常時公演をはじめた。「カフェーの夜」「女軍出征」などが人気を呼び、続いて田谷力三らの原信子歌劇団なども誕生した。この人気は関東大震災まで続いた。

■大正7年1918

全国に波及 富山県魚津町で7月に起きたコメ騒動。8月3日には水橋町の魚師の妻たちが米屋や大邸宅に押しかけ15日までに全国に広がり、警官、軍隊も出動した。東京では8月13日、14日の騒動に白米を巡回販売、大八車に市民が集まった。青森、岩手、秋田、沖縄を除く38市153町177村に及んだコメ騒動では、検挙者275000人、一審で死刑2人、無期懲役12人などの判決があった。

夏目漱石門下の鈴木三重吉が主宰して、7月1日に 赤い鳥が発刊された。執筆人に島崎藤村、泉鏡花、徳田秋声らが名を連ね、芥川龍之介が名作を発表したり、北原白秋が童謡部門を担当するなど豪華な顔ぶれに話題を呼んだ。

自動車が1300台になり、事故も起きてきたので警視庁に赤バイ隊が登場。制限時速16kmを超えて走る車があると追跡、翌日警視庁に出頭させて罰金を命じた。ちなみに前年の管内事故は、死亡50人、負傷3647人だった。白バイに変わったのは昭和11年である。

スペイン風邪大流行
 第1次世界大戦中の西部戦線で発生し、スペインで猛威をふるった流行性感冒、スペイン風邪が世界的に大流行。日本ではこの年10月から翌年にかけて流行し、患者150万人のうち15万人が死亡。島村抱月もこれにかかって急逝し、松井須磨子が後を追って自殺した。

■大正8年1919

警視庁初の手動式交通信号機が東京 京橋、銀座、日本橋上野広小路などの交差点に登場した。3.3mの鉄柱の上端に「止まれ」「進め」と書かれた丸い環がついていて、1~2分間ごとに向きを変えるという簡単なものだった。

日本初の乳酸飲料を東京恵比寿の会社が7月発売した。その名はカルシュウムのカルと梵語サルピスのピスをとったという。長年親しまれたマーク(写真)は大正13年に懸賞募集した入選作。ドイツ人オットー・デュンケルの作。

■大正9年1920

禁酒法(憲法第18条修正)が1月17日施行された。飲酒は禁じてないが、アルコール0.5%以上含む飲料の製造、販売、輸送を違反とした。酒製造の非合法化はマフィアの暗躍を許し、「夜の支配者」といわれたアル・カポネと捜査当局の対立を描く映画が多数作られた。

日活は女優役に女形、声色弁士を使っていたが、9月に酒井米子、中山歌子ら初の女優を採用。12月に「朝日さす前」を公開した。しかし、日活の新派調女優の演技には魅力を欠けるとの評判もあった。写真は「沓掛時次郎」の酒井米子と大河内伝次郎。

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