1. まとめトップ

この記事は私がまとめました

kakipさん

滝川市立江部乙小学校いじめ自殺

北海道滝川市の市立江部乙小学校の教室で2005年9月、6年生の女児(当時12歳)が遺書を残し首をつり、2006年1月死亡した。遺書には同級生から女児へのいじめを受けていたとみられる表現があり、遺族は「自殺はいじめによることが明らか」と訴えている。一方、同市教育委員会は「原因は特定できない」と反論している。

 女児は2005年9月9日朝、同市立江部乙小の教室で、天井に設置されたスライド映写用スクリーンのはりにひもをかけ、首をつった。計7通の遺書が教壇の上に置いてあるのが見つかった。女児は意識不明のまま2006年1月6日、同市内の入院先病院で亡くなった。遺書は学校とクラス、母親(37)と同居の親族(58)、友人3人にそれぞれあてられていた。

 クラスあてへの手紙では「みんなに冷たくされているような気がしました。それは、とても悲しくて苦しくて、たえられませんでした。なので私は自殺を考えました。」と記述。学校にあてた手紙では、3年生で周囲に避けられるようになり、6年生で自殺を考えたと告白した。家族への手紙では、自殺を決めたことへの謝罪がつづられていた。

 学校側が調査したところ、女児は首をつる直前に行われた修学旅行(8月31日~9月1日)のグループ分けで、級友から仲間外れにされた。また、遺族によると、首をつる4日前、自殺をほのめかす手紙を友人の1人に渡した。「秘密にしてね」と書かれており、友人は担任ら学校側に相談しなかった。さらに、遺族にいじめの存在を証言する同級生もいたという。

 母親は「学校側は事実をうやむやにしている。いじめを認めてほしい」と訴える。市教委の千葉潤指導室長は「(遺書にある)無視が即、陰湿ないじめに結びつくとは思わない。遺書の中身自体は学級でよくあること。原因は今も調査中だ」と話している。

◇ 遺書の内容



学校のみんなへ

 この手紙を読んでいるということは私が死んだと言うことでしょう

 私は、この学校や生とのことがとてもいやになりました。それは、3年生のころからです。なぜか私の周りにだけ人がいないんです。5年生になって人から「キモイ」と言われてとてもつらくなりました。

 6年生になって私がチクリだったのか差べつされるようになりました。それがだんだんエスカレートしました。一時はおさまったのですが、周りの人が私をさけているような冷たいような気がしました。何度か自殺も考えました。

 でもこわくてできませんでした。

 でも今私はけっしんしました。(後略)

6年生のみんなへ

 みんなは私のことがきらいでしたか? きもちわるかったですか? 私は、みんなに冷たくされているような気がしました。それは、とても悲しくて苦しくて、たえられませんでした。なので私は自殺を考えました。(後略)

※一部抜粋、仮名遣いなどは原文のまま

大阪高1いじめ自殺「遺書」の全容公開へ

定時制高校1年の川岸朋之さん=当時(18)=は携帯電話のメモにこう書き残し昨年10月、自ら命を絶った。川岸さんの自殺に至る経緯について、大阪府警が再捜査を始めた事件。父親(42)は自殺当時、思い当たる理由がなく「自分を責めた」という。しかし、携帯には「死んでくれって言ってるようなもん」「俺は金に殺された」など凄絶(せいぜつ)な言葉が並び、自殺の背景に知人からの金銭の要求がうかがえた。

 「息子は死ぬ以外に逃げ道がなくなったのだろう」と話す父親。無念さを抱えながら「刑事事件として立件を」と強く願っている。
川岸さんの死から約9カ月。父親は「ようやく警察が動いてくれた。息子の死が無駄にならないように、刑事事件として立件してほしい」と願う一方、川岸さんについて「息子はみんなに心配かけたくないから死んだんや」と感じている。
それは、遺書の最後の文面に、こう書かれていたからだった。

《今日で死ねる。やっと楽になれる。俺は金に殺された。金なんかなかったらいいのに》

 《お父さん1人にしてごめんな。今まで苦労かけた。でももう心配せんでいいで。長生きしてな。今まで育ててくれてありがとう。

 おばあちゃんにもいっぱい心配とか苦労かけた。今までありがとう。長生きしてな。

 こんなん書いてたらキリがないな。そろそろ逝くわ。みんないろいろありがとう。んでごめん。》

中野・富士見中学いじめ自殺

1986年2月1日、岩手県の盛岡駅ビルのショッピングセンター「フェザン」のB1トイレ内で、東京中野の富士見中学2年の鹿川裕史君(13歳)が首を吊って自殺しているのが発見された。遺書が残されており、彼の自殺がいじめによるものだと判明した。いじめは日常的に行われており、”葬式ごっこ”なるいじめには教師も参加していた。

家の人へ そして友達へ

突然姿を消して申し訳ありません
(原因について)くわしい事については
・・・とか・・・とかにきけばわかると思う

俺だってまだ死にたくない。
だけどこのままじゃ「生きジゴク」になっちゃうよ。
ただ俺が死んだからって他のヤツが犠牲になったんじゃ、
いみないじゃないか。
だから、もう君達もバカな事をするのはやめてくれ、
最後のお願いだ。

いじめ自殺の今治市中1男子

「生きていくことが嫌(いや)になってきました」。愛媛県今治市の小さな島で先月17日、市立中学1年の男子生徒(12)が、いじめを苦に自殺した。1学年1学級で幼いころから同じ顔ぶれ。学校と家庭がほぼすべての生活。都市と異なる過疎地の濃密な人間関係の中、生徒は小学校時代から続いたいじめから逃げ場を失った。「僕の分まで長生きして、いい職について」。生徒が書き残した遺書は切なく、悲しい。(力武崇樹)

「3年間も続いていて、もうあきれています」

首をつって自殺した後、自宅の勉強机から見つかった「遺言書」には、長期間のいじめのつらさがつづられている。最期の場所に選んだのは、弟たちと野球を楽しんだ広場脇の電柱。夏休み中の登校日の前日だった。今治市教育委員会の調査では、いじめが始まったのは小学4年。「貧乏」「泥棒」と言葉のいじめが繰り返され、何日か同じ服を着ていると「汚い」と言われたこともあった。いじめていたのは同じグループだった。遺言書には「その時は悲しい気持ちになります」と書かれていた。

島は周囲約40キロ。「子供を見れば、両親や祖父母の顔まで分かる」と住民らは言う。生徒が通っていた小、中学校はいずれも1学年1学級。一度もクラス替えはなく、計9年間ほとんど同じ顔ぶれで机を並べる。放課後も、部活動など多くの時間が同じメンバーだ。「狭い地域で一度いじめられると、人間関係が固定されてなかなか抜け出せない」。専門家は指摘する。

母親(37)によると、先祖代々の家が多い中、生徒の家は祖父の代に島の外から引っ越してきた。「私たちも溶け込めていなかったのかも」。自殺にショックを受けている母親は、家庭同士の人間関係にまで思いをめぐらせてしまうこともあるという。「貧乏」といじめられたことについて母親は「夫の仕事だけでは苦しくて厳しい生活だけど、子供に不自由はさせていなかった」と悔しさを口にした。

自殺の1週間ほど前、生徒は、カラスに突かれていた子猫を家に連れて帰ってきた。
母親は「自分の身の上と重ね合わせて拾ってきたのかも」。優しい性格だったという。

生徒は小学時代、両親にいじめられていることを打ち明けていた。学校でも4~5年の時にいじめに気づき、担任がグループに注意。6年のときには校内で泣いているのが見つかり、担任に「いじめに立ち向かうように頑張る」と話した。ところが、中学になると両親にもいじめのことは話さなくなった。中学校には、小学校側から「疎外されやすい傾向」と引き継がれていたが、中学校長は「いじめが起きていることにまったく気付いていなかった」。

島に住む40代の男性は「家族同士の関係が崩れると島で生活しづらくなることは、中学生になると子供でも分かる」と、生徒が気を使って口を閉ざしていたとみている。「いままで育ててくれてありがとう」。遺書は家族への感謝の言葉で結ばれていた。

≪遺書全文≫

最近生きていくことが嫌になってきました。
クラスでは「貧乏」や「泥棒」と言う声がたえず響いていて、その時は悲しい気持ちになります。
それがもう3年間も続いていて、もうあきれています。
それに、毎日おもしろおかしくそいつらは笑っているのです。
そう言うことでこの度死ぬことを決意しました。
私が、死んだ後の物は(弟2人の名前)で分けて下さい。
机にある小判は私だと思って持っていて下さい。
(弟2人の名前)は僕の分まで長生きして、いい職について下さい。
いつも空から家族を身(原文のまま)守っています。
さようなら
いままで育ててくれてありがとう
母さん父さん
By(生徒の名前)

名古屋市高2女子飛び降り自殺

「いじめを受けていた時に死んだわけじゃないんです。いじめられた時の記憶が、美桜子を自殺に追い込んだんです」

 こう涙ながらに話すのは、'06年8月18日に亡くなった、高橋美桜子さん(当時16)の母、典子(54)さんだ。美桜子さんは当時、愛知県豊田市の私立南山国際高校に通う2年生。過去のいじめの影響で突然パニック症状が現れるなどの障害が出て、治療中に自宅マンションの8階から飛び降りて自ら命を絶った。

 搬送された病院で美桜子さんの遺体と対面した後、自宅に戻った典子さんは、破かれたノートに書き残された『遺書』を居間のテーブルで見つけたという。

〈まま、大好きだよ。みんな大好きだよ。愛してる。でもね、もうつかれたの。みおこの最後のわがままきいてね。こんなやつと友ダチでいてくれてありがとう。本当にみんな愛してるよ。でも、くるしいよ〉(引用原文ママ)

川崎市中3男子硫化水素自殺

〈毒ガス発生。扉を開くな〉

 '10年6月7日午後2時頃、川崎市麻生区の自宅1階トイレのドアに、赤いボールペンで大きく書いた張り紙を残し、中学3年の篠原真矢君(当時14)は自ら命を絶った。トイレの便座の上にはA4判の紙1枚に鉛筆で綴られた『遺書』が置かれており、いじめに遭っている友人を救えなかった苦悩と、その友人を庇ううちに自身もいじめられた辛さを、死という最後の手段をもって訴えていた。

〈俺は、「困っている人を助ける・人の役に立ち優しくする」それだけを目標に生きてきました。でも、(中略)E(友だちの名前)のことも護れなかった・・・〉

〈俺はEをいじめた、A、B、C、Dを決して許すつもりはありません。奴等は、例え死人となっても必ず復讐します〉(引用原文ママ)

1