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学校では教えてくれない聖徳太子の都市伝説、噂をわかりやすくまとめてみた

10人の人の話を一気に聞くことができた、馬小屋で産まれた、などさまざまなエピソードがある聖徳太子。そんな聖徳太子の知られざる逸話、エピソードを新たな視点からまとめていきます。何か間違っているところがあればコメントで指摘していただければありがたいです。

更新日: 2013年05月24日

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kijins1990さん

聖徳太子って?

聖徳太子は西暦574年に用明天皇という天皇の第二皇子として生まれた。今でいうプリンス。
摂政として遣隋使の派遣、冠位十二階や十七条憲法の制定などを行い、天皇を中心とした政治を行ったすごい人。
日本の仏教文化はこの人のおかげで取り入れられたとりあえずなんかすごい人。
皇族ではないのに日本人初の摂政というすごい偉い地位に昇りつめたとっても偉い人。

仏教が大好き

日本に仏教という宗教を大々的に広めたとってもすごい人

聖徳太子のエピソード

馬小屋の前で生まれた

馬小屋の前で産まれた人にキリスト教のとっても偉い人であるイエスキリストがいます。
すごい人って言うのは馬小屋で産まれるのが好きなんですかね?(笑)

もしかしたらキリストさんの出生エピソードをパクったのかも?

10人の人の話を同時に聞くことができた

「ある時、厩戸皇子が人々の請願を聞く機会があった。我先にと口を開いた請願者の数は10人にも上ったが、皇子は全ての人が発した言葉を漏らさず理解し、的確な答えを返したという。」
めっちゃすげえ(笑)

ただホントに10人の話を聞けたわけではなくて、後世の人が聖徳太子を神格化する為にこのエピソードを追加したという説もあります。
「豊かな耳を持つ」=「人の話を聞き分けて理解することに優れている」=「頭がよい」っていう具合に。

若いころは意外に武闘派だった?

当時日本の権力を巡って聖徳太子と仲の良い蘇我氏(そがし)と物部氏(もののべし)の間で戦争が起こった時、太子は蘇我氏陣営で戦争に参加していた。
当時14歳だった太子は頭に仏像を乗っけて自軍を鼓舞しながら戦争を勝利に導いたといわれている。
憲法制定や遣隋使派遣で政治家のイメージが強いですが、若いころは結構ブイブイ言わせてたみたいですね!


ちなみに頭に乗っけていた仏像は四天王像という仏様のことで、戦争が終わった後お礼として四天王を祀るお寺を建てています。
それが現在大阪の天王寺区にある、四天王寺というお寺です。

聖徳太子は温泉大好きだった

聖徳太子は若いころに師匠である慧慈(えじ)という僧侶と一緒に四国の道後温泉によく行っていたと言われています。
その理由は温泉が好きだったとも、なんか人が嫌いになったからリフレッシュしたくなったからとも、精神病になってしまって治療のために行っていたとも言われています。

めっちゃ強い人に対して調子にのって相手を激怒させた

聖徳太子が当時の中国皇帝である煬帝に出した手紙の中に有名な文がありますね。
「日出ずる処の天子、書を日没するところの天子に致す、つつがなきや云々」

この文章を今風に和訳すると「太陽の昇る国の王(帝)から太陽の沈む国の王に(友好の)書を送るぞ。しっかりやっとるか。まあこれからも仲良くやっていこうや」という意味になります。

当時の中国は世界一の超大国、それに比べて当時の日本は今と違い法律もまともにない国でした。
そんな超大国に対してこんな言い方を出来る聖徳太子はやはり格が違いますね!

聖徳太子が残した大予言

平安京に都が出来ることを予言

聖徳太子は京都を訪れたときにある予言をしました。

「私の死後二百年以内に一人の聖なる皇族がここに都を作る。そこはかつてない壮麗な都になり戦乱を
十回浴びても、それを越えて栄え千年の間都として栄えるだろう」

まさに平安京ができることを予言していますね!
平安京は太子の予言通りに、長い間日本の首都として栄えました。

黒船来襲を予言

「一千年の時が満ちた時には黒龍 が来るため、都は東に移される。」

まさしく黒船来航を予言していますね!
そして太子の時代はあまり栄えていなかった東に首都が移転するということも予言しています。
さすが聖徳太子!

さらなる未来も予言されている!?

「それから二百年過ぎた頃にはクハンダが来てその都を汚すため、その東の都は親と七人の子供のように分かれるだろう・・・・」

クハンダとは仏教用語で悪い鬼のこと。真っ黒く汚れきっており、周囲の人の体の中も心も真っ黒く汚してしまう毒のような性質を持っている。これは東京の汚染や人の心のエゴ、慢心を表しているとされ、どうしようもない末世状態になった時に首都機能が七つの都市に分散されることを表しているとも言われています。

聖徳太子の真実

あの有名な肖像画は聖徳太子ではない

「肖像画の人物が頭にかぶっている冠も、着ている服も、持っている笏も、
聖徳太子ではないらしい大化の改新以降の律令国家が成立してからの物で、聖徳太子の時代には、なかった物」
「あごひげも、肖像画を書いた人物とは、別人が後から付け足した物」

なんてこったい・・・
じゃあ今まで信じていたのは何だったんだ

ホントはすごく不幸な人生だったかもしれない

聖徳太子の「徳」という字には恐ろしい意味があります。
この「徳」という字がついている歴代天皇は「孝徳天皇」「称徳天皇」「文徳天皇」「崇徳天皇」「安徳天皇」「順徳天皇」の六人です。
詳しく書くと大変なことになってしまうので簡単に説明すると、この六人の天皇はなかなか不幸な最期を遂げています。
怨霊になったり、孤独死したり、配下にだまされたり、戦争中海で投身自殺したり、流罪になって流刑地で死んでしまったり。

こう考えると聖徳太子もなにか不幸な最期をとげたのかもしれませんね。
例えば最愛の人が死んでしまい自殺してしまったとか、政敵に暗殺されてしまったとか。

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