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ミスター赤ヘル・山本浩二は現役時代こんなに凄かった!なお

次期侍ジャパンの監督候補・山本浩二氏の現役時代まとめ

更新日: 2012年10月01日

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nari_104さん

▼プロでの実績(現役時代)

MVP:2回(1975年、1980年)
首位打者:1回(1975年)
本塁打王:4回(1978年、1980年、1981年、1983年)
打点王:3回(1979年 - 1981年)
ベストナイン:10回(1975年、1977年 - 1984年、1986年)
ゴールデングラブ賞:10回(1972年 - 1981年)
月間MVP:5回(1975年8月、1978年8月、1980年6月、1983年4月、1986年4月)
オールスターゲームMVP:2回(1975年第1戦、1979年第3戦)
野球殿堂入り(2008年)

●広島県立廿日市高等学校から法政大学へ

大学進学後、投手として野球部に入部したが、1年生部員だけで50人いた当時の法大では台頭できず、すぐにエリートコース(合宿組)に入った田淵幸一と違い、富田勝、桑原秀範らと共に一般部員の立場に甘んじていた。

2年生時、山中正竹の入部をきっかけに外野にコンバートされ、松永怜一監督に個人特訓を受けて打撃の才能が開花。2年生にしてクリーンナップに抜擢される。

やがて山本は、田淵、富田と共に「法政三羽ガラス」の異名を取り、法政黄金時代を築き上げる大きな原動力となった。リーグ通算で65試合出場、229打数67安打、打率.293、8本塁打、30打点の成績を残し、ベストナインを2回獲得した。

「法政三羽ガラス」:山本浩二、田淵幸一、富田勝

●1968年 ドラフト1位でカープに入団

【年度別成績】

75 .319 30本 *84点 24盗 首位打者
76 .293 23本 *62点 14盗 
77 .308 44本 113点 22盗 
78 .323 44本 112点 12盗 本塁打王
79 .293 42本 113点 15盗 打点王
80 .336 44本 112点 14盗 本塁打王、打点王
81 .330 43本 103点 *5盗 本塁打王、打点王
82 .306 30本 *90点 *8盗 
83 .316 36本 101点 *5盗 本塁打王
84 .293 33本 *94点 *5盗 
85 .288 24本 *79点 *2盗 
86 .276 27本 *78点 *4盗 (引退)

通算安打:2339本
通算本塁打:536本

1968年のドラフト1位で広島東洋カープに入団。入団当初の背番号は27だったが、山内一弘引退後、背番号8を譲り受けた。

1974年には主に3番打者を務め、打率.275、28本塁打、74打点という好成績を残した。同年シーズンオフ、姓名判断で「浩司という名前は勝負師に向かない」と言われたため、名前を「浩司」から「浩二」に改名した。

1977年から5年連続40本塁打を記録。この記録を持つのは王貞治と山本のみである。1978年、1980年、1981年、1983年と4度の本塁打王に輝き、打点王も3度獲得した。

1980年頃を境に足や肩に陰りが見え始めたことや、長嶋清幸と山崎隆造が台頭してきたこともあり、1983年より左翼手にコンバート。同年4月30日の対阪神戦(甲子園)ではサイクル安打を記録した。

1986年、リーグ優勝を花道に、40歳で現役引退した。この年、チームは130試合制の129試合目にリーグ優勝を決め、日本シリーズも第8戦まで行ったため、日本シリーズ第8戦が事実上の引退試合となった。試合には敗れ、西武に優勝を譲ったが、広島ナインから惜別の胴上げを受け広島市民球場は万来の浩二コールに包まれた。翌日の引退会見の際、涙ながらに「山本浩二は幸せな男です」と述べた。

▼引退後はカープの監督を通算10年務める。

648勝681敗29分 勝率.488
Aクラス3回、Bクラス7回

監督時代、第一期政権時代には前田智徳や緒方孝市、江藤智など、第二期政権時代には新井貴浩や嶋重宣、栗原健太を打線の主力として育成した。

▼次期侍ジャパン監督として急浮上。

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