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涙なしでは語れない!流通ジャーナリスト金子哲雄さんの「完璧終活」まとめ

金子 哲雄(かねこ てつお、1971年(昭和46年)4月30日 - 2012年(平成24年)10月2日)日本の流通ジャーナリスト、プライスアナリスト、中小企業診断士(経済産業大臣登録)。マネージメント事務所は株式会社オフィス・トゥー・ワン。

更新日: 2012年10月06日

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Hidekuniさん

「最期まで仕事を一生懸命やりたい」という本人の強い希望から、病身を押して、亡くなる直前まで仕事を続けていた。亡くなる前日1日も雑誌の電話取材を自宅で受けていたという。9月28日までにツイッターも更新していた。

金子哲雄さん告別式 200人が最後の別れ (東京都)

2日に肺カルチノイドで死去した流通ジャーナリスト・金子哲雄さん(享年41)の葬儀・告別式が5日、東京・港区の心光院で営まれ、タレント・松本明子やお笑いコンビ「サンドウィッチマン」(伊達みきお、富澤たけし)ら約200人が参列した。

ひつぎには妻・稚子さんと数年前に長崎県を旅行した際に撮った2ショット写真、親族それぞれが選んだ金子さんとの思い出の品が納められた。稚子さんは、金子さんが好きだったというコンビニエンスストア「セブン-イレブン」のメロンパンを納棺した。

式典の最後には、金子さんの父・幸雄さんが参列者に挨拶した。
「41歳で天に召されました。学生時代から忙しい男で、一日が24時間では足りないという生活をしておりました。なので、人の年齢にしたら80歳まで生きた人と同じくらいの記憶を私たちに残してくれたように思います。何一つつらい顔を見せず、最後の最後まで自分の仕事を全うしました」と息子をたたえた。

「人生における早期リタイヤ制度を利用させていただいた」

肺カルチノイドで亡くなった流通ジャーナリストの金子哲雄さんの通夜が営まれた。生前に自ら斎場を手配して、遺影や祭壇に飾る花もわざわざ選んでいた。墓の準備も怠りなかった。
参列者に向けた会葬礼状には、ユーモアを交えた文章を用意。病魔と闘いながらも人生のエンディングに向け、完璧に近い「終活」を進めていた

祭壇に飾られた遺影は2012年4月に撮影されたもので、オレンジのフレームの眼鏡をかけた本人が優しくほほ笑む。飾られたバラの中にも、オレンジのものが見えた。この色はお気に入りだという。参列者にふるまわれた仕出しの料理も、にぎりずしからオードブル、煮物とこれまた金子さんが決めていた。

死後の「第二の現場」から「おトクなネタを探して、歩き回り、情報発信を継続したい」とあり、流通ジャーナリストとしてエネルギッシュに活動していた金子さんらしさが垣間見られる。

「にぎやかにしてほしい」との思いから、控室には50インチのモニターテレビが置かれ、これまで自身が出演したバラエティー番組がノンストップで流されていた。

墓は、東京タワーの目と鼻の先にある場所に決めていた。その理由として礼状に、「東京タワーを見て自分の姿を思い出してもらえればうれしい」との思いを込めた。戒名まで既に手配済みで、家族や周囲の人に対する細やかな心遣いが、テレビの情報番組で絶賛されていた。

参列者に金子さんが用意していた手紙が配られた。以下、手紙全文

このたびは、お忙しい中、私、金子哲雄の葬儀にご列席たまわり、ありがとうございました。今回、41歳で人生における早期リタイア制度を利用させていただいたことに対し、感謝申し上げると同時に、現在、お仕事などにて、お世話になっている関係者のみなさまに、ご迷惑おかけしましたこと、心よりおわび申し上げます。申し訳ございません。

 もちろん、早期リタイアしたからといって、ゆっくりと休むつもりは毛頭ございません!第二の現場では、全国どこでも、すぐに行くことができる「魔法のドア」があるとうかがっております。そこで、札幌、東京、名古屋、大阪、松山、福岡など、お世話になったみなさまがいらっしゃる地域におじゃまし、心あたたまるハッピーな話題、おトクなネタを探して、歩き回り、情報発信を継続したい所存です。

 今回、ご縁がありまして東京タワーの足元、心光院さまが次の拠点となりました。「何か、面白いネタがないかな?」と思われましたら、チャンネルや周波数を東京タワー方面に合わせ、金子の姿を思い出していただけましたら幸いです。

 このたび、葬儀を執り行うにあたりまして葬儀社のセレモニーみやざき 宮崎美津子さまには生前より真摯(しんし)に相談にのって頂きました。また、自分の歩んできた道とゆかりのある港区東麻布を終(つい)の住処とすることをお許しいただきました、浄土宗 心光院 御住職 戸松 義晴先生には公私にわたり、死生観などのアドバイスをちょうだいしました。この場をお借りして御礼申し上げます。ありがとうございました。

 最後になりますが、本日、ご列席下さいました、みなさまのご健康とご多幸を心よりお祈りしております。41年間、お世話になり、ありがとうございました。

 急ぎ、書面にて御礼まで。

 平成24年10月1日

流通ジャーナリスト 金子哲雄

参列者の主なコメント。

病気の宣告を受けたころ、妻に送ったメッセージ

病気の宣告を受けたころとみられる2011年8月、金子さんは妻に「わかちゃんへ。毎日毎日、本当に朝6時ぐらいに起きてもらって、にんじんジュースやグレープフルーツジュースを絞ってくれて、さらに、その絞りカスを掃除したりとか、わざわざめんどくさいことをやってくれながらも、僕の健康のことを気遣ってくれて、ほんとにどうもありがとうございます。買い物に行った時に、僕が見落としているような買い物情報まで付加してくれたりと、わかちゃんがいないと僕は生活できないし、もう生きていく楽しみがまったくなくなってしまうのかな、と思います。これからもわかちゃんを心配させたり、悲しませたりしないよう、僕自身も健康のことを考えながら、仕事や、プライベートも充実していきたいな、と思っています。ほんとにわかちゃん、いつもありがとう。そしてこれからもよろしくお願いします」などと、メッセージを送っていた。

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