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【カトリック王党軍最高司令官】モーリス・ジゴ・デルベ[フランス革命関連人物]

モーリス・ジョゼフ・ルイ・ジゴ・デルベ(Maurice Joseph Louis Gigot d'Elbée)は、フランス革命期の政治家。反革命反乱であるヴァンデの反乱に参加し、カトリック王党軍最高司令官まで上り詰めた人物である。しかしながら、その直後に悲劇的な処刑をされ、41年の短い生涯を終える。

更新日: 2012年11月25日

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lincoln41さん

モーリス・ジゴ・デルベの来歴

モーリス・ジゴ・デルベは1752年、ドレスデンに生まれた。

若いころはザクセン公国軍で士官の座に就き、その後も軍隊での経験を重ねた。

彼の戦略家としての才能は旧体制下にあった当時のフランスでも広く知られていた。

1793年、ヴァンデの反乱が勃発。
ボープレオの城主におさまっていたモーリス・ジゴ・デルベはこれに参加。
カトリック王党軍の幹部となる。

初代総司令官となった、商人出身のジャック・カトリノーとは異なり、ザクセン公国軍での経験のあるデルベは、反乱を「土器で鉄器に挑むようなものだ」と評するなど、比較的慎重な考えで冷静に見据えていた。

やがてヴァンデの反乱内で初代総司令官のカトリノーが戦死。
デルベは次代の最高司令官に選出された。

初代のカトリノーは純粋な農民反乱を想定していた。
しかしながら、貴族であるデルベにとっては、この反乱は王党派の乱としての側面もあることを見越していた。

戦略家として名高いデルベは、以下の3つの革新を行った。

1.リスクの大きい遠征を避け、ヴァンデ地方一帯に確たる地歩を築く。

2.人事の刷新を行い、レスキュール、ボンシャンらを師団将軍に、アンリ・ド・ラ・ロシュジャクランやフランソワ・ド・シャレットを将軍補佐するなど、軍の指揮系統を整備。

3.行政機構である最高評議会を設置。

革新を推し量ったデルベであったが、それは同時に新人事に不満を持ったシャレットらの離反を招く結果ともなってしまう。

ヴァンデの反乱における最大の激戦・ショレの決戦では、一時は共和国軍を街に追い込むなど善戦したが、その結果市街戦に突入し、戦線は混乱。

さらには共和国軍に不意をつかれ、大打撃を受ける。

その後自身も重傷を負い、王党軍に退却を命じた。

戦後、カトリック王党軍は敵の追い討ちをかわすべくロワール川を北上。
デルベはこの途中、怪我の療養のために戦線を離脱する。

やがてノワールムティエ島のノワールムティエ=アン=リル(Noirmoutier-en-l'Île)で共和国軍に発見される。

兵士1,500名と共に捕らえられたデルベは銃殺刑に処されることになった。

足が不自由な状態だった彼は椅子に座ったまま1794年1月6日に銃殺された。

参考サイト

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