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【尼崎連続殺人の流れがよく分からない人へ】角田美代子被告の犯罪年表 時系列順まとめ【完全ソース付き】

記事中の人物の注釈がついていない年齢は2012年現在の年齢。すでに死亡、行方不明になっている場合も注釈がついてない限り、2012年現在まで生きていると仮定しての年齢表記。

更新日: 2012年11月03日

雨男さん

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目次
・1980年以前の角田美代子 戸籍上の妹三枝子との出会いまで
・1980年代 角田被告が尼崎市の賃貸マンションに引っ越して財産乗っ取りに手を出し始めるまで
・1990年代 葬式に因縁をつけ遠縁の親戚を支配し、溶接工(36歳男性)が行方不明になるまで
・2000年-2003年、新築マンションに引っ越してから高松市一家の美人姉妹を洗脳するまで
・2004年-2005年 妹の夫を殺害しマンションを手に入れるまで
・2007年-2008年 高松市一家から拉致した次女が結婚、長女は殺害
・2009年‐2011年 川村博之被告と知り合い、大江和子さん一家を食いつぶすまで
・2012年 その後
・関連

※記事中の人物の注釈がついていない年齢は2012年現在の年齢。すでに死亡、行方不明になっている場合も注釈がついてない限り、2012年現在まで生きていると仮定しての年齢表記。

※記事中に出てくる「~の夫・元夫」「~の妻・元妻」などといった関係性を示す言葉は基本的に2012年現在のもの。いつ結婚、離婚したかは不明。そのほとんどに角田美代子が関わっていると考えられる。

メディアに出ていた1993年頃の角田美代子の写真は別人のものという情報により、写真を削除

1980年以前の角田美代子被告の活動 戸籍上の妹三枝子との出会いまで

1948年
・角田美代子、兵庫県尼崎市内で建設業を営んでいた両親の長女に生まれる。
・角田美代子の祖母宅も尼崎市内
・親戚と集団で共同生活も

>角田被告の祖母宅近くに住む同市内の男性は、角田被告が20歳代の頃、「駐車違反を通報したやろ」と激しく詰め寄られた。

>捜査関係者らによると、美代子被告は尼崎市出身。何度か転居しながら市内で育った。(朝日新聞デジタル12年10月20日)

>尼崎市で建設業を営んでいた両親の長女に生まれた(2012年10月20日10時15分 読売新聞)

・親戚と共同生活(テレビ朝日「モーニングバード」2012/10/22)

角田美代子の家族
・角田は母方の姓で、父方は月岡という
・「とにかくややこしい、怖い一家」

>美代子は尼崎市内で生まれ育った。角田は母方の姓で、父方は月岡という。
>やはり、周囲にこわもての姿を見せていた人物が彼女の親戚にいる。叔父である。美代子は若いころから親しく行き来し、一緒になってトラブルを起こしたこともあったという。かつての隣人は「とにかくややこしい、怖い一家だった」と振り返る。

学生時代
・地元の小中学校に通う
・地元の私立女子高に入学したが1学期で退学
・中学時代から因縁つけて喧嘩に明け暮れる
・親分みたいな口の聞き方で子分を引き連れて歩いていた

>地元の小中学校に通ったが、中学の同窓生によると、ほとんど登校せず、たまに現れると、教室で気に入らない女子生徒につかみかかるなどけんかばかりしていたという。
>同窓生は「子分を連れて周囲をにらみながら歩いていた」と振り返る。卒業後は私立女子高へ進んだが、1学期のうちに退学した。

>中学時代の同級生だったという男性(63)は、当時の美代子被告について「親分みたいな口の利き方をしていた」と話す。(朝日新聞デジタル12年10月20日)

1960年代
・角田美代子の兄の交際相手の女性で、後に分譲マンションの連帯保証人になり、遺体で発見される安藤みつゑさん(71、当時25歳前後)、角田美代子(当時18歳前後)と出会う

>19日に遺体の身元が確認された安藤みつゑさん(71)の弟(64)ら親族が読売新聞の取材に応じた。40年以上前、ドラム缶遺体事件の主犯格とされる角田美代子被告(64)(傷害致死罪などで起訴)らと出会ってから家族と絶縁状態になり、突然、金の無心に現れてはおびえた表情を浮かべていた。「姿を見せた時に強く引き留めていたら」。弟は悔しさに声を震わせた。
>安藤さんは同市出身で、5人きょうだいの3番目の次女。中学卒業後、大阪市内の機械製作会社に勤めたが、入社10年後に会社を辞めた。その頃から、友人などとして「角田」の名前を出しており、角田被告やその兄らと付き合うようになったとみられる。

1960年代
・角田美代子、尼崎市内でスナックを開店
・後に失敗

>10代から市内の繁華街でスナックを開店し、女性を雇っていた

>22歳の時、市内の繁華街でスナックを始める。(2012年10月20日10時15分 読売新聞)

角田美代子が20歳代の頃(1970年代)
・すでにこの頃から暴力団風の恫喝で金銭要求

>角田被告が20歳代の頃、「駐車違反を通報したやろ」と激しく詰め寄られた。
>角田被告は、祖母宅に立ち寄った際、男性宅前に車を止めていて駐車違反の取り締まりを受け、男性が通報したと因縁を付けた。男性が否定しても、自分の当時の交際相手まで呼び出し、2人がかりで何度も謝罪を求めたという。
>男性は「若いのに暴力団かと思うぐらいの迫力でののしられ、会う度ににらまれた」と振り返る。

1970年代
・角田美代子、一度目の結婚
・すぐに離婚

>結婚、離婚を経て知人のつてで横浜市へ移り、ラウンジを経営。30歳代後半で地元に戻り、再婚相手や子供、義妹の三枝子被告(59)(窃盗罪で起訴)と尼崎市長洲東通の賃貸マンションで暮らすようになる。

1970年代
・角田美代子、知人のつてで神奈川県横浜市に移り、戸籍上の妹・三枝子との共同経営で、飲食店開店
・尼崎市ではブランド製品の輸入代行業も手がける
・後に失敗

>約40年前には、友人の誘いで横浜市にも飲食店を開店。今回、行方不明者の年金口座から無断で金を引き出したとして、窃盗罪で起訴されている義妹の角田三枝子被告(59)との共同経営だったという。並行して、尼崎市内でブランド製品などの個人輸入代行業も手がけていたとされる。

>結婚、離婚を経て知人のつてで横浜市へ移り、ラウンジを経営。(2012年10月20日10時15分 読売新聞)

1980年代 角田被告が尼崎市の賃貸マンションに引っ越して集団生活を始めてから家族乗っ取りに手を出し始めるまで

1981年(角田被告33歳)
・尼崎市長洲東通の賃貸マンション(5階建て・3LDK・家賃6万円)2階の1室に入居
・初めは角田美代子と内縁の夫、戸籍上の妹・三枝子の3人暮らし

>捜査関係者らによると、角田被告は1981年、同市長洲東通の賃貸マンション(5階建て)2階の1室に入居。

>初めは美代子被告と内縁の夫、三枝子被告の3人暮らし(朝日新聞デジタル12年10月20日)

1980年代半ば
・同じ賃貸マンションの5階の部屋も借りる
・後に住人は増えていき、角田美代子ら男女十数人は5階で生活、2階は倉庫化

>数年後には同じマンション5階の隣り合った2室も借りた
>角田被告が借りていた部屋はいずれも3DK。2階の部屋から5階に引っ越した後、2階は倉庫代わりに使い、5階の2室を住居としていた。

>また、00年以前に美代子被告らが住んでいた同市内の賃貸マンションも夫名義で契約され、無人の現在も家賃が納められ契約が続いているという。(毎日新聞2012年10月20日)

1980年代
・角田美代子の兄の交際相手の女性で、後に分譲マンションの連帯保証人になり、遺体で発見される安藤みつゑさん(71、当時40歳前後)、金策のため実家の兄弟へ連絡

>その後、尼崎市内の不動産会社に転職。200万円の手形の裏書を誰かに頼まれて借金を背負い、30歳頃から消息不明になった。
>約10年後。同県宝塚市で三女が経営する美容院に現れ、「金を貸して」とせがんだ。「何があったんや。借金ならみんなで返したる。絶対戻ったらあかん」。集まった家族全員で引き留めたが、泣きそうな、おびえた表情で飛び出していった。
>その後、両親は安藤さんと再び会うことなく、相次いで亡くなった。

1980年代
・賃貸マンションでは「角田」ではなく「東(あずま)」と名乗っていた。

・テレビ朝日報道
・20数年前に、角田被告と同じ賃貸マンションで暮らしていた住人の証言

>複数の人物と養子縁組を繰り返して戸籍を複雑にし、本籍地も頻繁に変更。自分の名前もコロコロと変えたという。
>「8年ほど前に知り合った時は、旦那さんの姓の『東』(あずま)を名乗っていたけれど、知人からは『スミちゃん』って言われていた。理由を尋ねると『別に』と急に態度を豹変させるから、名前の話題には触れないようにしていた」(飲み仲間の1人)(ZAKZAK2012/10/24)

1980年代
・角田美代子、再婚
・夫も呼び捨て
・子どもができる

>30歳代後半で地元に戻り、再婚相手や子供、義妹の三枝子被告(59)(窃盗罪で起訴)と尼崎市長洲東通の賃貸マンションで暮らすようになる。

>同居人には命令口調で、夫も呼び捨てにした。角田被告が外出する際には、同居人全員が外廊下に並んで見送る光景も見られた。当時の住人は「気味悪かったが、面倒に巻き込まれるのが嫌で誰も近づこうとしなかった」と明かす。

1986年ごろ(角田美代子当時38歳ごろ)
・角田美代子、息子を出産

>卒業を控えた2002年1月下旬、息子の卒業について角田被告と学校側の話し合いが始まった。

・息子は2007年に、高松市一家の谷本瑠衣と結婚

1987年(角田被告当時39歳)
・後に角田被告の戸籍上の妹・三枝子被告(59)の夫となる橋本久芳さんの実母が、行方不明に

>兵庫県尼崎市の民家から3遺体が見つかった事件で、角田美代子被告(64)の義妹の元夫で、自宅マンションの元所有者だった男性の母親(84)が、殺害・遺棄されている疑いが判明した。捜査関係者によると、この母親は昭和62年に姿を消し、平成6年に失踪宣告を受けて、66歳で死亡したことになっている。

・三枝子と橋本久芳が結婚するのは2000年以降(毎日新聞)

1990年代 葬式に因縁をつけ遠縁の親戚を支配し、溶接工(36歳男性)が行方不明になるまで

1990年代
・賃貸マンションの空き部屋を、後に角田美代子の妹・三枝子の夫となる橋本久芳さんの名義で借りる

>転落死した男性もこの賃貸マンションで、美代子被告とつながっていた。マンション関係者によると、十数年前に美代子被告らが、空いた隣室を「借りたい」と申し出た。「同じ人に2室は貸せない」と断ると、連れてきたのが男性だった。男性名義で部屋を貸したが、男性の姿を見かけることはなかったという。

>また、00年以前に美代子被告らが住んでいた同市内の賃貸マンションも夫名義で契約され、無人の現在も家賃が納められ契約が続いているという。(毎日新聞2012年10月20日)

1994年(角田被告46歳当時)
・行方不明となっていた、角田被告の戸籍上の妹・三枝子被告(59)の夫・橋本久芳さんの実母が、失踪宣告を受け戸籍上66歳で死亡とされる。
・関係者は、「殺された」などと明かしている。

>捜査関係者によると、女性は、角田被告の妹・三枝子被告(59)(窃盗罪で起訴)の夫の母親。94年に失踪宣告を受け、死亡とされた。存命なら現在84歳だが、戸籍では66歳で亡くなったことになっている。この女性の失踪について、角田被告周辺の関係者は、「殺された」などと明かしたという。

・実際に失踪宣告がだされたのは2006年。それによりさかのぼって94年に戸籍上死亡とされた。

1997年ごろ
・角田美代子の兄の交際相手の女性で、後に分譲マンションの連帯保証人になり、遺体で発見される安藤みつゑさん(71、当時55歳前後)を「お手伝い」と呼び、角田美代子の指示に従わせ家事をさせていた。

>角田被告が「お手伝い」と呼ぶ女性がいた。これが、同市内の民家で見つかった3遺体の1人の可能性がある、角田被告の兄の交際相手の女性(71)。角田被告は食事など家事全てをやらせ、手間取ると「グズ」としかりつけたが、女性は抵抗もせず、無言で指示に従っていたという。

1997年ごろ(角田被告当時49歳)
・尼崎市の文化住宅に住む4人兄弟の母親(36歳溶接工男性の祖母)の姉の葬式に、親族として角田美代子が出席
・葬式の段取りに因縁をつけ、当時母親と三男が住んでいた文化住宅に乗り込み、暴力支配

>友人女性の夫の実家は尼崎市にあった。夫は4人兄弟の長男で、三男と母親が文化住宅に住んでいた。
>その後、母親が家を抜け出したとき、住民はこんな話を聞いた。
>「姉の葬式の段取りをめぐって親族の美代子が怒り、家に乗り込んできた。家では猿ぐつわをされてものが言えない。食事は1日1食。動けない状態で座布団の上に寝かされていた」――。

1997年ごろ(角田被告当時49歳)
・親類の葬儀に因縁をつけ、約10人の親族に帰宅を許さず軟禁状態にして金銭要求
・この家族の50代男性の通帳を取り上げ収入管理

>約15年前、初めて顔を合わせた尼崎市内の親類の葬儀だった。葬儀の段取りなどを巡り、角田被告が激高。男性の父や男性ら約10人をこの親類宅に集めた。
>角田被告は背後に暴力団がいると誇示しながら帰宅を許さず「何で違う宗派の僧侶を呼んだ」と激しい口調で罵倒した。父や他の親類は何日も軟禁状態に置かれ、男性も毎日通わざるを得なかった。
>4か月後、問題解決として男性は数百万円を支払わされ、通帳も取り上げられた。

1998年
・角田美代子の母親が三枝子を養子にする。
・角田美代子と三枝子が戸籍上の姉妹になる。

>長男の妻・三枝子被告(59)は、美代子被告が横浜で経営していたバーの従業員で、「長年にわたり、美代子に側近のごとく仕えてきた」人物でもある。ちなみに、三枝子被告は1998年に美代子の母親と縁組している。

1998年4月5月
・4月 尼崎市の文化住宅に他の息子3人(長男・次男・四男)も同居させる
・5月 夫を心配して見に行った長男の妻も軟禁状態に

>友人女性はかつて、家族と滋賀県内で暮らしていた。近所や勤務先などで家族をよく知る人たちによると、県内の工場に勤める夫(66)と子ども2人の4人家族だったという。
>長男一家と付き合いのあった人物は98年当時、周囲にこう漏らしていたという。
>「彼(長男の息子)の様子が3月からおかしくなり、4月にはお父さんが尼崎に行ったきり戻らない。5月にはお母さんもいなくなった。集団生活で食事やお風呂は許可制。みんな洗脳されて、財産を渡してしまった」

>溶接工男性の祖母宅は、祖母と三男の2人暮らしだったが、十数年前に角田被告らが入り込み始め他の息子3人も同居。(読売新聞2012/10/18)

1998年ごろ
・尼崎市の文化住宅に同居して数ヶ月後、長男と三男が「トラブルに遭い、金がほしい」と会社を退職
・長男は家と土地も売却、周囲が連絡を取れなくなった
・母親は食事制限でやせ細り、猿ぐつわをはめられていた
・母親の四男(溶接工36歳男性の父親)は妻と離婚
・四男の次男(溶接工36歳男性)の弟は角田美代子の養子になる。

>溶接工男性の祖母宅は、祖母と三男の2人暮らしだったが、十数年前に角田被告らが入り込み始め他の息子3人も同居。数か月後には長男と三男が「トラブルに遭い、金がほしい」と相次いで退職した。祖母は食事制限でやせ細り、猿ぐつわをはめられていたという。
>間もなく一家は姿を消し、四男の息子である溶接工男性も所在がわかっていない。

>夫は工場を退職。家と土地は売却され、連絡が取れなくなったという。(朝日新聞2012/10/21)

1998年ごろ
・角田美代子が葬式で因縁をつけた50代男性のアパートの別の階に部屋を借り、この男性の父親、親類を一緒に住まわせ、軟禁して暴力支配
・角田被告の言いなりで、家族同士の殴り合い、犯罪行為をさせる。

>葬儀から約1年後、男性の自宅がある集合住宅の別の階に角田被告が部屋を借りた。父や親類を移り住ませた。「言いつけに従わない」などと因縁をつけては全員で車座になり、一人を責め立てた。
>対象者は日替わり。「私がこんなに頭にきてんのに、あんたらは何もせんのか」。角田被告の言葉を合図に、殴る蹴るの集団暴行が始まった。
>角田被告自身は決して暴行に加わらなかった。大半の人が何度も逃げ出したが、その都度、残された者が脅され、みんなで連れ戻した。
>「悪口を言っていた」と告げ口する者は優遇された。みんなが「姉さん」と呼んでご機嫌を取った。

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