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モノクロ写真でよみがえる花魁の世界

江戸期~昭和初期まで文化と流行の発信地であった吉原。モノクロ写真に残された花魁や遊郭から当時をしのぶアルバムを開きます。

更新日: 2015年03月28日

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原告Aさん

吉原遊郭

現在の日本橋人形町にあたる(当時の)海岸に近い、葦屋町とよばれる2丁(約220m)四方の区画で、葦の茂る、当時の江戸全体からすれば僻地であった。「吉原」の名はここから来ている。

江戸市中は拡大しつづけ、大名の江戸屋敷も吉原に隣接するようになっていた。そのような中で、明暦2年(1656年)10月に幕府は吉原の移転を命じる。候補地は浅草寺裏の日本堤か、本所であった。吉原側はこのままの営業を嘆願したが聞き入れられず、結局、浅草寺裏の日本堤への移転に同意した。正式にはこの時に移転した地域を「新吉原」と呼ぶが、「吉原」という呼称も残った。出典;wiki

吉原遊郭 大門(正門)

明治



1911年(明治44年)4月9日午前11時35分、吉原で大火が発生、全焼。

吉原 仲之町(メインストリート)


明治初期

浮世絵に描かれた仲之町

吉原遊郭

仲之町の町並みと遊女たち



昭和初期










昭和31年(1956年)5月21日に売春防止法が可決成立し、翌昭和32年(1957年)4月1日に施行されると、吉原遊廓はその歴史に幕を下ろした。出典;wiki

吉原の町並み


明治か

坂東玉三郎



花魁の盛装例

花魁の衣裳は、紗綾、縮緬、羽二重、羅紗、ビロード、金襴緞子、綸子などぜいたくの限りを尽くし、髪には前後6本ずつのかんざし、2本の櫛のほかに長い笄をさした。ー引用

花魁

花魁(おいらん)は、吉原遊廓の遊女で位の高い者のことをいう。 18世紀中頃、吉原の禿(かむろ)や新造などの妹分が姉女郎を「おいらん」と呼んだことから転じて上位の吉原遊女を指す言葉となった。

「おいらん」の語源については、妹分たちが「おいらの所の姉さん」と呼んだことから来ているなどの諸説がある。

江戸時代、京や大坂では最高位の遊女のことは「太夫」と呼んだ。また、吉原にも当初は太夫がいたが、「おいらん」という呼称の登場と前後していなくなった。今日では、広く遊女一般を指して花魁と呼ぶこともある。出典;wiki

幕末期~明治初期



モノクロ写真に彩色

幕末期~明治初期

モノクロ写真に彩色

幕末期~明治初期




部屋着姿

1910年代



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