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【ETV特集】「永山則夫 100時間の告白」(全編動画付き)

2012年10月14日(日) 夜10時2012年10月21日(日) 午前0時50分 再放送

更新日: 2012年10月24日

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doyoubiさん

番組の概要

1968年秋、全国で次々と4人が射殺される連続殺人事件が起きた。半年後に逮捕されたのは永山則夫、青森から集団就職で上京してきた19歳の少年だった。いわゆる永山事件は、永山の貧しい生い立ちから「貧困が生んだ事件」とも言われてきた。しかし、これまでの認識を再考させる貴重な資料が見つかった。
永山則夫自身が、みずからの生い立ちから事件に至るまでの心情を赤裸々に語りつくした、膨大な録音テープ。ひとりの医師によって保管されていた。医師は、278日間をかけて、患者の治療に使う「カウンセリング」の手法で、かたくなだった永山の心を開かせ、心の闇を浮き彫りにした。

100時間を超える永山の告白は、想像を絶する貧しさだけでなく、“家族”の在りようについて訴えかけている。それは、親子の関係、虐待の連鎖など、時代が変わり、物質的な豊かさに恵まれるようになった現代でもなお、人々が抱え続けている問題だった。
番組は録音テープの告白を元に、罪を犯した少年の心の軌跡をたどりながら、永山事件を改めて見つめ直す。そこから家族の問題や裁判のあり方など、現代に通じる諸問題について考察をめぐらす。

こちらで全編見られます

永山の生い立ちと犯罪

父はギャンブル狂で、永山が生まれる前にバクチの借金で首が回らなくなり、蒸発しました。カタカナしか読み書きができない母は、行商で8人の子どもを育てようとしましたが、まもなく則夫を捨てて家出しました。

形だけ中学校を卒業した則夫は、集団就職で東京に行きました。そこで高級果物店に就職し、一生懸命真面目に働きました。働きぶりが評価され、新規店の店長候補になりました。しかし、万引きで補導された過去を上司に知られた則夫は店を飛び出し、職を転々としました。最後にはホームレスになりました。そして、盗みに入った在日アメリカ軍横須賀基地の米軍住宅で実弾と拳銃を手に入れました。則夫はそれを使って4人を衝動的に射殺しました。

ところが 半年がたった頃板柳を訪れた果物店の上司が永山が呉服屋で シャツを万引きした話を聞きつけて 帰ってきます。
「俺 びっくりしちゃってね。
アレッと思って…」。
「ほんとに ガックリきちゃったわけ」。
1週間後 永山は荷物を置いたまま身一つで寮を飛び出しました。
それから事件を起こすまでの3年半の間20か所近い職場を転々とします。

永山は何度も手首を切りつけます。
石川さんが確認しただけで自殺未遂は 18回に上りました。
日本から逃げ出そうと外国船に忍び込んだ時も船の中で自殺を図りました。
船から送り返され少年鑑別所に入れられました。
無口で小柄な永山はリンチの的になります。
便所の水を飲まされ 耳から血が流れるほど殴られました。
「耳痛いから こうやってやったら血が流れてくるんだ」。
永山は 板柳で 次男に暴力を振るわれた時と同じように「我慢していれば いつか終わる」とただ耐えました。

永山が医師の質問にとつとつと答える中から、凄まじい彼の生い立ちが解ってきます。父親の不在、母親からは疎まれ、母代りの姉の精神の病、兄からの虐待、妹への虐待。医師の母親からの聞き取りで、母も亦捨てられた子であったことを知った永山は、知っていたらこうはならなかったと漏らします。虐待の連鎖、愛情を受けずに育った永山は極度の人間不信と被害妄想を抱えて思春期を過ごし青年期に入り、自分は生まれてこなければよかったと思ったり、自殺未遂をくり返すようになり、せっかく始めた仕事も長く続かず逃避をくり返します。そして米軍基地に潜り込んだ永山はピスト

鑑定書は事件当時の永山について「異常に深い絶望心理や自殺への思い統御できない 異常に強度な攻撃衝動の亢まりで自我の統合はほとんど 解体に瀕しており精神病に近い精神状態であった」と分析しました。

裁判所はどう裁いたか

石川義博氏は聞き取りに基づく鑑定書をまとめて、裁判所に提出した。しかし、第一審は鑑定を無視、あまつさえ被告まで鑑定書に結びついた自己の語りを否定した。死刑判決。第二審は鑑定を裁判官は参考にしたのであろう、判決は無期懲役、最高裁での第三審は鑑定調書に触れることがなかった。死刑確定。

更に 裁判官だけではなく永山自身も自分にとって有利に働く可能性のあった 石川鑑定を否定しました。
鑑定書にあった「被害妄想」という言葉や「脳の脆弱性」という表現は心を病んだ姉の姿を思い起こさせるものでした。
永山は「この鑑定は自分のものじゃないみたいだ」と批判しました。
石川さんは 裁判所からもそして 278日間 向き合った永山則夫 本人からも否定されたのです。

ところが 一審判決から2年後の控訴審では東京高等裁判所は石川鑑定を重視しました。
船田三雄裁判長は永山の成育環境に触れ「犯行当時は 19歳ではあったが精神的な成熟度では実質的に18歳未満」と判断。
社会福祉の貧困も原因の一つとして一審を破棄し無期懲役判決を下しました。
私は 「船田判決」っていうのは石川鑑定に 全面的に依拠した判決だっていうふうに。
判決を聞いた その瞬間から「えっ!?」と思う感じで。
船田判決が 「精神的成熟度」という言葉を使ったあと逆に 石川鑑定を読み直してみてその第4項の鑑定主文の中に「彼の人格 彼の精神は成熟と統合の過

二審の判決から2年後最高裁判所は無期懲役判決を差し戻します。
事実上の死刑判決でした。
判決は 石川鑑定についてひと言も触れませんでした。
判決理由の一つに「同じ環境に育った兄弟は 立派に成人している」と指摘しました。
しかし…。
長男は 永山が逮捕される前に詐欺罪で逮捕され刑務所を出て以降 消息不明。
次男はその後 定職に就く事もなくギャンブルに明け暮れ42歳で亡くなりました。
妹は 成人してから心を病んでしまいます。
一緒に育った姪も行方が分からないままです。

永山則夫と石川医師

当時、石川医師は自分の精根のありったけを傾けて永山則夫という人間に向き合い、彼の本音を引き出し、最後は彼を救いたかったのだと思います。この鑑定書こそ、二人の人間が心通わせて初めて固い心を溶解させた共同作業の成果です。永山の心は解けたけれど、石川医師の心は永山がこの鑑定書を「自分のことが書かれているとは思えない」と否定したことによって凝固してしまっていました。石川医師はその後、前途有望と言われていた犯罪心理学の道を断念、精神鑑定の仕事を頼まれても二度と引き受けることはありませんでした。別の道でたくさんの人を救うことになったので悔い

ところが、今回、あの分厚い精神鑑定書が永山の独房に残されていたのが解り、医師の手元に届けられることに。書き込みや印や線が引かれた永山の手の跡が残る鑑定書を渡された石川医師は、「知らなかった…」と鑑定書を「触っていたんですね」とさすりながら目がうるんできます。

それを見て、私はこんなこともあるのね~と思いました。石川医師は人生たった一人のためにカウンセリングをして、それが「はからずも?」一人の青年を救ったのです。彼は見事に人間性を回復し、自分のしたことを心から謝罪し、悔い改め、小説を書き、結婚もして、遺族の方たち(一人は当時妊娠中

石川医師が、最後の面談の日、看守に隠れて撮影した1枚の写真

和美はアメリカから獄中の則夫に宛てて手紙を書いた。すぐ、彼からの返事が届いた。和美の気持ちはたちまち燃え上がり、アメリカで則夫を支援する署名活動をはじめた。二人の間で手紙の交換が続いているうちに、和美の感情は抜き差しならぬものになっていった。彼女は、ついにこんな手紙を書いた。
「私が生きて行く上で、あなたがどうしても必要です。私は日本に行きます。私と結婚して下さい」

この前見たETV特集の永山則夫が頭の片隅から離れない。人生は自力でどこまで変えられるのか。あの人の人生のそこかしこで生じたほころびに絶句した。あの笑顔の写真も切なかったなあ。

人が生きていくということはどうしてこうも悲しいのだろう。 だけどただ悲しいだけじゃない。人は愛を注がれると変わりうる生き物なのだ。獄中の写真の笑顔がまぶたから離れない。 ETV特集「永山則夫 100時間の告白~封印された精神鑑定の真実~」bit.ly/XKSEyn

【ETV特集】「永山則夫 100時間の告白」(全編動画付き) -NAVERまとめ http://t.co/Cw5VjrNc石川医師が密かに撮影した拘置所内の永山の笑顔。行きずりに四人を射殺して裁判では沈黙を続けたが、精神鑑定では心を開いたかに見える(裁判では鑑定書を否定)笑顔だ。

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