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【3分で分る】戊辰戦争の流れ

NHK大河ドラマでも舞台になる戊辰戦争の流れを簡単にまとめてみました。

更新日: 2012年11月05日

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nomadicさん

戊辰戦争とは

1868年(慶応4)戊辰の年に始まり、維新政府軍と旧幕府側との間に一六か月余にわたって戦われた内戦。正月の鳥羽・伏見の戦いに勝利した政府軍は、四月江戸城を接収、上野にこもる彰義隊はじめ関東各地で旧幕府主戦派を討滅、奥羽越列藩同盟を結んで対抗する諸藩をも会津戦争を頂点に一〇月には帰順させた。翌年5月、最後の拠点箱館五稜郭を陥落させ、内戦は終結、明治絶対主義国家確立への途が開かれた。

出典三省堂 大辞林

鳥羽・伏見の戦い

1868年1月27日(慶応四年1月3日)に起こった旧幕府軍および会津・桑名藩兵と、薩長軍との内戦。新政府が王政復古の大号令に続く小御所会議で徳川慶喜(よしのぶ)の辞官納地を決定したのに対し、旧幕府方が挙兵、鳥羽・伏見で薩長軍と交戦。戊辰(ぼしん)戦争の発端となったが旧幕府軍の大敗に終わり、討幕派の優勢が確立した。

出典三省堂 大辞林

幕府及び旧幕府勢力は近畿を失ない薩長を中心とする新政府がこれに取って代わった。また旧幕府は国際的に承認されていた日本国唯一の政府としての地位を失った。また新政府の西国平定と並行して東征軍が組織され、東山道・東海道・北陸道に分かれ2月初旬には東進を開始した。
西日本及び東海地方では、新政府軍と佐幕派諸藩との間ではほとんど戦闘が起きず、諸藩は次々と新政府に降伏、協力を申し出た。

江戸への進軍

江戸へ到着した徳川慶喜は、1月15日、幕府主戦派の中心人物・小栗忠順(小栗上野介)を罷免。さらに2月12日、慶喜は江戸城を出て上野・寛永寺に謹慎し、明治天皇に反抗する意志がないことを示した。
一方、明治天皇から朝敵の宣告を受けた松平容保は会津へ戻った。松平容保は新政府に哀訴嘆願書を提出し天皇への恭順の姿勢は示したが、新政府の権威は認めず、武装は解かず、求められていた出頭も謝罪もしなかった。

江戸城無血開城

旧幕府の全権を委任された陸軍総裁の勝海舟は、幕臣山岡鉄舟を東征大総督府参謀の西郷隆盛に使者として差し向け会談、西郷より降伏条件として、徳川慶喜の備前預け、武器・軍艦の引渡しを伝えられた。西郷は3月13日(同4月5日)、高輪の薩摩藩邸に入り、同日から勝と西郷の間で江戸開城の交渉が行われた。
4月4日 (旧暦)(同4月26日)に勅使が江戸城に入り、「慶喜は水戸にて謹慎すること」「江戸城は尾張家に預けること」等とした条件を勅諚として伝え、4月11日(同5月3日)に江戸城は無血開城され、城は尾張藩、武器は肥後藩の監督下に置かれることになった。

文久の改革後、京都守護職及び京都所司代として京都の治安を担当していた会津藩主松平容保及び桑名藩主松平定敬は、京都見廻組及び新撰組を用い尊王攘夷派の弾圧を行い、尊王攘夷派・後の新政府の怨嗟を買っていた。また鳥羽・伏見の戦いにおいてこの両藩は旧幕府軍の主力となり、この敗北によって朝敵と認定されていた。

奥羽越列藩同盟

仙台、米沢をはじめとした東北諸藩に、会津討伐の命が下り
「なぜ会津が朝敵なのか?先帝孝明天皇から最も厚い信頼を受けていたのは 会津ではないか!会津が賊軍などと官軍が作った偽りにすぎない!!会津は 朝敵にあらず!我らが会津を討つ道理はない!!」
と、仙台、米沢が強く反発した。これに他の東北諸藩も賛同、「ならば奥羽が一丸となって官軍と戦おうぞ!」と、団結の意を示した。

その後、上野戦争を経て東北各藩に新政府軍の討伐が始まった。

会津戦争

秋田戦争、北越戦争と並行して、白河口の戦いが行われ会津藩は敗北。二本松の戦いでも破れ、新政府軍は23日朝に若松城下へ突入した。若松城に篭城にひと月あまり籠城したが、明治元年9月22日(11月6日)遂に降伏。

若松城の籠城者数
5235人(病人570人、奥女中64人、婦女子575人を含む)であった。

会津藩が降伏すると庄内藩も久保田領内から一斉に退却し、9月24日新政府に降伏した。

箱館戦争

榎本武揚ら旧幕府海軍を主体とする勢力は、もはや奥羽越列藩同盟の敗色が濃い8月19日になって江戸を脱出した。
8月26日仙台藩内の浦戸諸島・寒風沢島ほか(松島湾内)に寄港し、同盟軍及び大鳥圭介・土方歳三等の旧幕府軍の残党勢力、約2500人を収容し、10月12日に蝦夷地(北海道)へと向かった。
10月26日榎本は箱館五稜郭などの拠点を占領し、12月5日に北海道地域に事実上の権力を成立させた。榎本らは北方の防衛開拓を名目として、朝廷の下での自らの蝦夷地支配の追認を求める嘆願書を朝廷に提出したが、新政府はこれを認めず派兵した。
その後新政府軍は、明治2年4月9日江差の北、乙部に上陸する。その後、進軍され5月18日(同6月27日)、土方歳三は戦死し、榎本武揚らは新政府軍に降伏し戊辰戦争は終結した。
出典 ja.wikipedia.org

こぼれ話

昭和61年(1986年)には長州藩の城下町である萩市が会津若松市に対して、「もう120年も経ったので」と会津戦争の和解と友好都市締結を申し入れたが、会津若松市側は「まだ120年しか経っていない」とこれを拒絶した。

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このまとめへのコメント1

  • jamsonさん|2013.01.19

    こぼれ話はその後締結されたとか^^

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