12月5日、東京の東中野駅構内で、電車の追突事故が起きた。Aは順子に「あの電車にお前の父親、乗っかっていて、死んだってテレビでやってた。お前見たか」とからかった。順子は不安そうな表情を見せると「どんな気分だい」と訊き、「悲しいです」と答えると「実はウソだよ」と言ってはぐらかした。こんな調子でAとB、Cの3人は「死んだ」「生きている」を何度も繰り返し、心理的に順子を追い詰めていった。

12月10日ころ、順子は「家に帰りたい」と言い始めた。すると、Aが「家に帰ったら母親に何て言うんだよ」と言うと、順子は「今まで新宿で遊んでいました」と答えた。それに対し、Aは「新宿で、学生服のままそんなに長く遊んでいられるかよ」と言って、殴ったり蹴ったりの暴行を加えた。さらに、火傷の跡にライターのジッポオイルをかけ火をつけた。熱がって火を消そうとするのが面白いと何度も繰り返した。

12月中旬、小便で布団が濡れたことを理由にBとCが殴った。果てしなく続く殴打によって順子の顔面が無惨に腫れあがり、凸凹のない別人の顔になった。

「なんだお前、でけえ顔になったなあ」

誰かが言うと、また笑い声がした。

暴行がエスカレートするのにともない、順子に与えられる食べ物もおざなりになっていった。それは主にCの兄のG(当時17歳)の役目であったが、監禁当初は出前を取ることもあったのに、12月末には、1日に牛乳を1本、たまにパン1枚与える程度になっていった。トイレにも行かせず、飲料用紙コップに排尿させられるようになり、その尿を飲まされたりした。


Cの両親は異常な気配に気づいていた。両親はそれ以上追及すると、開き直られるのを恐れて、2階の物音には耳を塞いでいた。

順子はリンチによる足の火傷が化膿して動けなくなった。全身は衰弱し、悪臭もひどくなった。Aはその臭いが嫌だと言って、寄りつかなくなった。

少年たちはそんな状態になった順子を見て、持て余すようになっていた。だが、解放すると警察に知らされる。いっそのこと、死んでくれればと願うようになる。

順子がいないところで次のような会話が交わされている。

「女は殺して埋めるのかな?」「殺すならミンチがいいですよ」「ドラム缶に入れて焼けばいい」「コンクリート詰めにして海に棄てればバレない」「自殺に見せかけて殺しますか? 富士の樹海で首吊りでもさせますか?」

お笑い半分、冗談半分、面白半分、暇つぶし、といった感じであった。

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