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ジョン・ウェイン・ゲイシーまとめ【ゲイシーが描いた絵画】

伝説の殺人鬼「ジョン・ウェイン・ゲイシー」が描いた絵画を紹介

更新日: 2014年09月21日

win-winさん

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ジョン・ウェイン・ゲイシー (John Wayne Gacy, 1942年3月17日 - 1994年5月10日)は、アメリカ合衆国生まれの連続殺人者。

子供たちを楽しませるため、パーティなどでピエロに扮することが多かったことからキラー・クラウン(殺人道化・殺人ピエロ)の異名を持つ。少年時代はボーイスカウトに入っていたこともある。アルバイト料の支払いなどの名目で呼び寄せた少年を殺害。その遺体を自宅地下および近くの川に遺棄した。

1972年から1978年のあいだ、少年を含む33名を殺害したことが明らかになっている。資産家の名士でチャリティー活動に熱心だった彼の犯行はアメリカ社会を震撼させた。

彼の描いたピエロの絵画はマニアには大変な人気があり、展示会が開かれたり、高値で取引されている。著名人では俳優のジョニー・デップが購入して所有している。

生い立ち

1942年3月17日、イリノイ州シカゴのポーランド系移民の家庭に生まれる。父親である叩き上げの熟練機械工、ジョン・スタンリー・ゲイシーは貧しさの中で育ち、「人には負けない」、「弱みを見せてはならない」という人生哲学を持っていた。彼には、脳内の手術が不可能な部位に腫瘍があり、発作的な癇癪を起こすなどその情緒は極めて不安定で、やり場の無い怒りが突如湧き上がることもあり、しばしば自分の家族に矛先を向けた。はじめての一人息子に期待を込めて、西部劇で人気を博したアメリカ男性を象徴する名優ジョン・ウェインの名を授けたが、生まれたばかりの息子に心臓疾患があると判明した途端に失望して見限ってしまった。父スタンリーに対するジョンの幼い頃の記憶は躾や礼儀作法に厳しく、小さな失敗をしても革砥で打擲されるというものが多く、スタンリーから徹底的な虐待を受けていた。スタンリーは身体の弱い息子をことあるごとに「クズ」「間抜け」となどと常に責め立て、肉体と精神の両面で痛めつけた。このためにジョンはパニック障害や心臓発作を頻繁に起こすが、彼は罵倒されるのが嫌でストレスや体の不調を我慢して必ず失神し、そのたびにスタンリーは息子を激しく罵った。

失神の直接の原因は病院では分からず、ジョンを診察した医師は「再発性の失神症」と診断した。ジョンの母が夫に対し息子の体をいたわって欲しいと懇願すると、スタンリーは「あのガキは親の気を惹いてやがる」と鼻で笑ったという。ジョンは14歳から18歳までの間、1年以上の入院治療と、高校を4つ変わったことで普通高校を落第となる。その後職業訓練校に編入し優秀な成績を上げたことで、怠学補導教官の助手として事務室で働くように勧められる。この頃のジョンは、父スタンリーの気を惹くように、スタンリーお気に入りの民主党立候補議員の応援をする。だが兵役審査で病歴があったことで免除になると父は息子を再び罵倒するようになる。ジョンが18歳の時、当時の女友達と性交に及ぼうとするも意識を失う。最終的には家を追い出されたが、それでもジョンは自身を罵倒し続けた父親を心から愛しており、いつか父親に認めてもらおうと一生懸命に働き続けた。

http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%BC_%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81#.E7.94.9F.E3.81.84.E7.AB.8B.E3.81.A1

出世・逮捕

1962年、ゲイシーは父の車を貸してもらおうとして口論となり、「タイヤの空気を入れてくる」と言い残しラスベガスへ家出し、母が引き取りに来るまでの3ヶ月間葬儀屋のアルバイトを勤めた。昼間はここで死体に防腐処置を施すための血抜きを手伝い、夜は死体を安置している処置室の隣に置いてある簡易ベッドで寝起きした。

後に「その頃のゲイシーは若者の死体を見ると胸が疼き、それも少年の死体だと、異様な感覚に支配され、仕事に慣れてくると、自分の気に入った少年の死体が入った棺の中に潜り込み、死体の皮膚に身を寄せていた」という話がマスコミによって作り上げられるが、ゲイシー自身はこれを否定している。

その後シカゴへ帰郷したゲイシーは、ビジネスの専門学校へ進んだ。卒業後は大手靴販売店のセールスマンとして就職。入社して間もなく抜群の営業成績を上げたことで、若くしてエリアマネージャーに抜擢された。またゲイシーは青年会議所()の有力会員でもあり、会議所の貯蓄販売券の販売でも優秀な成績を残し、その2年後には州全体で3番目の活動実績を挙げたとして第一部長に就任している。1964年にはマリリンという女性と結婚してアイオワ州に移った。そこで妻の父親が所有していたケンタッキーフライドチキンの3店舗のマネージャーを兼任するようになり、ビジネスに地域活動に八面六臂の活躍をし、人望も厚かったゲイシーは青年会議所の次期会長選出が確実視された。ビジネスマンとして多忙を極める中にあっても1年間で青年会議所の多数のプロジェクトを立案・実行にあたる。また、地元でのボランティア活動にも積極的に加わり、常に精力的に動き回るゲイシーをいつしか周囲は「眠らない男ゲイシー」と畏敬の念をこめて呼び、会頭候補にまで登り詰めた。これほど働いたのは、父スタンリーに自分を認めてもらいたいという彼なりの愛情でもあった。

しかし1968年に少年への性的虐待の罪で服役することになる。
実刑判決を受けて収監されるが、わずか7ヶ月で高校卒業の資格を取り、さらに大学の通信教育で心理学などの単位を取得する。また刑務所内の青年会議所の法律相談員として、待遇の改善に関する2つの法案を州議会に通した。模範囚としてその態度を買われたゲイシーは懲役10年の判決にもかかわらず、わずか16ヶ月で出所となり、イリノイ州に戻った。だが、服役中の1969年、父スタンリーが肝硬変で死去し目標を失った。

http://dic.gree.net/entry/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%BC/%E5%87%BA%E4%B8%96%E3%83%BB%E9%80%AE%E6%8D%95

殺人

釈放から半年後、ゲイシーは少年に対する暴行容疑で再逮捕される。しかし原告が裁判に姿を見せなかったことで不起訴となった。その秋より、ゲイシーはパーティーで知り合った少年をあさるようになる。その翌年の1月のある夜、自分の「拾った」青年とベッドをともにする。早朝に目を覚ますと、その青年がナイフを持って立っているのを見てパニックを起こし、格闘の末刺し殺してしまった。青年はゲイシーのためにサンドイッチを調理しており、彼はナイフを持ったままゲイシーを起こそうとしたのだった。これに大きく混乱したゲイシーは死体を床下に隠した。これ以降、殺人が習慣となっていく。
軽食堂のコックをしながら、室内装飾や増改築などを専門とする軽建築業で身を起こすことを決意したゲイシーは貯金に励みながら事業計画を練り上げ、1971年にシカゴのノーウッド・パークの近くに家を購入。そこを拠点に、満を持して自分の建築ビジネスを興した。持ち前の勤勉さで会社を軌道に乗せると、高校時代から知っているキャロルという女性と結婚、彼女の連れ子二人も共に暮らし地域でも尊敬される存在となっていった。休みには道化師「ポゴ」に扮し、福祉施設を訪れるなどして子供たちの人気者となる。さらに地元民主党のメンバーとなり、パーティー会場で時の大統領ジミー・カーターの妻と握手している写真が残されている。この件について、性犯罪者であった人物と会わせてしまったとしてシークレットサービスの調査能力の無さが非難された。
ゲイシー本人によると、彼の意識障害はある種の健忘を伴って現れるようになり、道化師ポゴを始めたのはポゴに変身しているときは安らぎを得ることができたから、という。
ゲイシーは少年たちを家に誘って強姦した後に殺害した。被害者を誘う手口は「ポルノを観ないか」と誘って地下室に連れ込み、手錠を掛けて動きを封じ凶器で脅しながら性交し、その後首を絞めて殺害するというものであった。死体は床下に埋葬しその上に石灰を撒く。時には塩酸をかけることもあった。1975年の末にキャロルと離婚。その後、ゲイシーの犠牲者は一気に増えた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%BC

家宅捜索

1978年、ゲイシーの会社のアルバイトの面接へ行ったまま行方不明になった15歳の少年、ロバート・ピーストの行方を追っていたデス・プレーンズ警察の警部補ジョゼフ・コゼクサックがゲイシーの家を訪ねた際に様々な遺留品があることに気づいた。それ以上に彼を圧倒させたのは家全体を覆う異様な臭気だった。コゼクサックはゲイシーがただの実業家ではないことを悟った。事実、ゲイシーは以前から警察による厳しい追及を受けていたが、時には地元の有力な民主党員であることを笠に着て、逆に警察の24時間による監視捜査を「人権侵害」だとして民事訴訟を起こすなど、のらりくらりとかわし続けた。

その頃のゲイシーは一方通行の道を逆走するなど、異様な行動が目立っていたのだが、ゲイシーを監視するチームの責任者、ウォーリー・ラング部長刑事はそういった微罪ではなくより大きな罪で逮捕しようと決めた。やがてガソリンスタンドでゲイシーが顔馴染みの従業員にマリファナを渡していたことを部下の聞き込みで知ると、ゲイシーを麻薬不法所持の現行犯で逮捕することにした。これによりコゼクサックは家宅捜索令状を手に入れ、ゲイシーの自宅に入った。

自供を受けてゲイシー宅の強制捜査が行われた結果、29人は石灰で覆われた家の床下から発見された。死体は床下できちんと整頓されたように埋められていた。他の4人は床下にスペースがなかったので近くのデス・プレーンズ川に捨てたことが明らかになった。ロバート・ピーストの遺体もそこから引き揚げられた。被害者の多くは男娼であり、数人は彼の会社でアルバイトをした10代の青年、最も若かった犠牲者は9歳で、20歳の元海兵隊員の青年が一番年齢の高い犠牲者であった。状態が悪かったために身元がわからない遺体も9体あった。

床下に埋められた死体は全てが腐敗しきっており、発生していたメタンガスに現場の警官たちは激しい目眩と吐き気を覚えた。余りに腐臭が凄まじく、一度臭気に触れた衣服は臭気が染みついて洗浄不能になったうえに衛生面でも危険とされたため着用不可能となり焼却処分された。さらに、土中に埋められていた死体が空気に触れたことで再び腐り始めた。衛生局の分析で命に関わる危険な物質が大量に発見され、さらには毒性の強い細菌が検出された。このため郡は現場の捜査員たちに、作業用に使い捨てのジャンプスーツを支給し、傷の自己申告を徹底させ傷を申告をした捜査官を現場から外し、全員に髭を剃ることを禁止した。警察署の死体保管所はガス室と化した。

この死体の捜索と分析は強烈な悪臭と病気の感染との戦いとなり、命を落としかねない危険を伴った。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%BC

処刑

ゲイシーを心理学的に鑑定した臨床医は、彼のIQはかなり高く、神経学テストを初めとする7種類のテストでも、脳障害の兆候は見られなかったと診断する一方でロールシャッハテストや主題統覚検査では異常を感じさせる反応を示し、心理面の安定をみるミネソタ多面人格目録(MMPI)でゲイシーが極めて異常であり、思考の混乱から精神分裂かもしくは妄想症の可能性が強い、とされた。
この検査結果では、ゲイシーは「自分を有利にしようと動いている訳ではない」ということが認定された。元スタンフォード大学行動科学課長及び研究センター会長ローレンス・フリードマンは、ゲイシーを極めて凶暴で歪んだ性欲に巻き込む人格相として存在しているとした。ゲイシーのトラウマをアルコールに耽っていた父親と現在までに及ぶ本人自身の発作によるものと指摘、幼い頃から彼を責め苛み続けた心身症と神経症が彼の犯罪性を作り上げる土壌となったと証言した。だが「このような症例を罰するか罰しないかの判断は、法と社会の境界上の問題であり、心理学の立場からは言及できません」とも話した。ゲイシーの異常さは学問的に証明はできても、それが33人の人間を殺害する確たる理由にはならない、としたのであった。

そんな中、自分に興味を持ち手紙を送ってきた、ジェイソン・モスという当時18歳の少年と文通を始める。ゲイシーは後に彼の電話番号を突き止め、電話でのやりとりを行うようになった。その後、少年に「人殺しをした本当の理由を教えてあげる」と刑務所に招待し面会することになった。しかし情欲を抑えきれなくなったゲイシーは、彼を34人目の被害者にしようと企む。模範囚としての信用を利用して、仕切りなどがない面会室において看守抜きでの面会(本来は規則違反)を取り付け、少年と2人きりでの面会が叶い、彼を監視カメラの死角に誘い出して犯行に及ぶも、間一髪で看守が通りかかったことで未遂に終わった。この犯行が決定的となり、再審請求は取り下げられた。
1994年5月10日深夜、薬物注射による死刑がジョリエット刑務所にて執行された(この一件は日本のテレビ番組で幾度か取り上げられ放送されている)。彼が希望した最後の食事は、ケンタッキーフライドチキン、フライドポテト、エビフライ、イチゴ、ダイエットコークなど、若き日の成功を象徴するものばかりであった。通常、薬物注射による死刑は平均で7分前後で静かに絶命すると言われているが、何らかの手違いか薬効にムラが生じゲイシーは20分近く苦しんで絶命したという。この件についてコメントを求められた担当検事のウィリアム・カンクルは「被害者が受けた苦痛に比べれば、ゲイシーの苦痛など大したことはないね」と述べた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%BC

ジョン・ウェイン・ゲイシーが描いた絵画

ジョン・ウェイン・ゲイシーが描いた絵画

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